「意岐萩神」の版間の差分
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2024年12月3日 (火) 21:17時点における版
意岐萩神(おきはぎのみこと)は、現在では諏訪大社の祭神である建御名方神と上野貫前の女神(荒船大明神あるいは抜鉾大明神)の子神とされる神である。
名称
意岐萩命は興波岐命・小萩命・児萩・古波岐とも書き、長野県佐久市田口宮代にある新海三社神社の祭神でもある[1]
岡谷市の鉢伏山には山頂付近にいくつかの小祠が祀られており、「鉢伏大権現」「鉢伏太神」「小萩」「日本第一軍神」と読めるとのこと[2]。
概要
岡谷市の鉢伏山には山頂付近にいくつかの小祠が祀られており、「鉢伏大権現」「鉢伏太神」「小萩」「日本第一軍神」と読めるとのこと。鉢伏山を水源としている横河川がつくる扇状地の扇頂部には出早雄小萩神社がある。この神社は内県(うちあがた)(諏訪郡)の総領といわれ、小萩祝(こはぎほうり)という専属の神官が存在した[3]。
御神渡
『諏方大明神画詞』では、御神渡りの一つを「佐久新開神社と小坂鎮守神社の祭神が会った跡」と書いてある、とのことだ[4]。小坂鎮守神社の祭神は下照姫命である。下照姫命では諏訪では、この他に上社御射山社に祀られている。上社系の女神であろう。
新海三社神社の伝承
興波岐命は佐久地方開拓の祖神。延文年間の『諏訪大明神画詞』には「新開(にいさく)」の神と記され、大県の神とも称した。
この「開(さく)」が、佐久の地名となり。「新開(にいさく)」から、新海という社号になったようだ。また、鎮座地の田口は、佐久地方で初めて田が開かれた場所とも。
当地から西へ進むと上野国(群馬県)だが、伝承として、諏訪の建御名方命が、日光二荒山の母神を訪れる途中、上野貫前の女神(荒船大明神)と契り、興波岐命が生まれたとある[5]。
上野国一之宮貫前神社は姫大神と経津主神を主祭神として祀る。物部君(毛野氏同族)が祖神を祀ったことに始まる神社である。意岐萩神が物部氏縁の神であることが示唆される。兄とされる出早雄命が物部氏の祖神である知波夜命(ちはやのみこと)と同じ神であるなら、諏訪大社とは物部氏に縁が深い神社といえるのではないだろうか。
祀る神社
- 新海三社神社(長野県佐久市田口宮代)
- 出早雄小萩神社(長野県岡谷市長地出早)
私的考察
出早雄命は諏訪氏の祖神であり、一部地域の開拓神である、という以外に大きな事績がなく、どのような神であるかははっきりしない。
愛知県岡崎市東阿知和町の謁播神社(あつわじんじゃ)に、物部氏の祖神で、初代参河国造(みかわのくにのみやつこ)として知波夜命(ちはやのみこと)という神の名が見え、管理人はこの神が出早雄命と同じ神と考える。
また、鉢伏山信仰にかかわる横河付近の出早雄小萩神社に祀られていること、名前に「はや」という言葉がつくことから、いずれも善神である「犬神」と考える。