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2024年11月23日 (土) 17:55時点における版
小泉小太郎(こいずみこたろう)は、長野県上田地域に伝わる民話。人間の父親と大蛇の母親との間に産まれた少年・小太郎にまつわる物語。同じく長野県安曇野地域には泉小太郎(いずみこたろう)という民話が伝わり、こちらは小太郎が自らの母親である竜と共に安曇野周辺を開拓する物語である。これらは内容こそ異なるものの関連が指摘されており、現代になってこれらを一つの物語に再編する試みがなされ、作家・松谷みよ子による創作『龍の子太郎』では物語の根幹を成す。
上田地域の小泉小太郎
小泉小太郎にまつわる民話の大要が1922年(大正11年)発行の『小県郡史 余篇』に収録されているので、以下に要約して紹介する[1]。
- 西塩田村にある鉄城山の山頂に寺があり、そこへ毎晩のように通う一人の女性がいた。彼女がどこからやって来たのか分からず、不思議に思った寺の住職は、彼女の衣服に糸を付けた針を刺しておいた。翌朝、住職が糸をたどって行き着いた先は、川の上流にある鞍淵の洞窟であった。中をのぞくと、赤子を産もうと苦しむ大蛇の姿があった。住職は驚いて逃げ出し、出産を終えた大蛇も正体が知られたことを恥じて死んでしまう。
- 赤子は小泉村の老婆に拾われ、小太郎という名前で育てられた。身長は小さいものの、たくましい体に成長した小太郎であったが、食べては遊んでばかりで仕事をしたことがない。14、5歳になった頃、老婆から仕事を手伝うよう促された小太郎は、小泉山へ薪を取りに出かけることにした。
- 夕方、小太郎は萩の束を2つほど持ち帰った。これは山じゅうの萩を束ねたものだから、使うときは1本ずつ抜き取るようにして、決して結びを解いてはいけない、と小太郎は老婆に伝えたが、たった1日でそのようなことができるはずがないと思った老婆は結びを解いてしまう。すると、束がたちまち膨れあがり、家も老婆も押しつぶしてしまった。
補足として以下に何点か記す。
- 似たような伝承は日本の各地に見られ、それらの根幹は古事記にある三輪山伝説であると考えられている[1]。
- 『小県郡史 余篇』によると、寺があるとされる鉄城山は殿城山またはデッチョウ山とも呼ばれ、その支峰が独鈷山であると記されている[2]。のちに再編された作品の中では独鈷山という名前に置き換えられている[3]。
- [産川という川の名前は、大蛇が赤子を産んだという逸話に由来する[1]。また、産川の流域に散らばる[沸石は蛇骨石と呼ばれ、それらは死んだ大蛇の[遺骨であるという[1]。
- 小泉山は、その山じゅうの萩を小太郎が刈り尽くしたため、以来1本も萩が生えなくなったという[1]。とは言え、現代では萩の繁茂が見られるようである[1]。
- 小太郎とその子孫は当地に永住したが、彼らの横腹には蛇紋のような斑点があるという[1]。
- 松谷みよ子は塩田平を訪れた際に小泉小太郎の民話を耳にしている[4]。内容は『小県郡史 余篇』にあるものとほぼ同じものであるが、小太郎を出産後に死んだ大蛇の死因は鉄の毒によるものであったという[4]。松谷は小太郎に抱いた怠け者という印象から、物くさ太郎や三年寝太郎、厚狭の寝太郎といった物語を連想し、小太郎も将来大きな事をやってのけるのではないかと考えたが、当地の語り手からは松谷が期待する内容の逸話を得ることはできなかった[4]。
安曇野地域の泉小太郎
長野県安曇野に伝わる民話に泉小太郎(いずみこたろう、日光泉小太郎、泉小次郎とも)がある。かつて安曇野を含む松本盆地は大きな湖で、泉小太郎が陸地に開拓したというものである[1]。
『信府統記』に泉小太郎に関する記述があるので、以下に要約して紹介する[5]。
- 景行天皇12年まで、(安曇野の対岸にある)松本のあたりは山々から流れてくる水を湛える湖であった。その湖には犀竜が住んでおり、東の高梨の池に住む白竜王との間に一人の子供をもうけた。名前を日光泉小太郎という。しかし小太郎の母である犀竜は、自身の姿を恥じて湖の中に隠れてしまう。
- 筑摩郡中山の産ヶ坂で生まれ、放光寺で成人した小太郎は母の行方を捜し、尾入沢で再会を果たした。そこで犀竜は自身が建御名方神の化身であり、子孫の繁栄を願って顕現したことを明かす。そして、湖の水を流して平地とし、人が住める里にしようと告げた。小太郎は犀竜に乗って山清路の巨岩や久米路橋の岩山を突き破り、日本海へ至る川筋を作った。
大昔に山清路を人の手で開削して松本盆地を排水、開拓したとする『仁科濫觴記』の記述を根拠に、これを伝説の由来とする説がある[6]。「泉小太郎」の名も、その功労者である「白水光郎」(あまひかるこ)の名が書き誤られたもの(「白」・「水」の2文字を「泉」の1文字に、「光」の1文字を「小」・「太」の2文字にといった具合に)であるという[6]。
民話ゆかりの地である松本市・安曇野市・大町市・長野市には、伝説にちなむ銅像や石像が建立されている。また、大町市の大町温泉郷には泉小太郎を扱う博物館「民話の里おおまち小太郎」がある。
小泉小太郎と泉小太郎との関連
小泉小太郎と泉小太郎との関連について、『小県郡史 余篇』には「内容は異なれど其名称相似たり」とあり[7]、民俗学者の柳田國男も自著『桃太郎の誕生』の中で「元は一つであつたらうことが注意せられる」と指摘している[8]。松谷みよ子は小泉小太郎の民話を聞いたのち、安曇野周辺を訪れて泉小太郎の民話を聞くと、「相違点はあるにせよ、これはおそらく一つの話に違いない」と考えた[9]。
1957年(昭和32年)発行の『信濃の民話』(未來社『日本の民話』シリーズ)には、長野県の各地(南安曇郡・北安曇郡・東筑摩郡・小県郡)に伝わる小泉小太郎および泉小太郎の民話を一つの物語にまとめた「小泉小太郎」が収録されている[3]。前半部分は概ね先に示した小泉小太郎のあらすじに沿った内容であるが、小太郎の母は山の向こうの湖の中で生きており、後半で成長した小太郎が母をたずねて旅立ち、再会した二人が力を合わせて湖を切り開くという内容である[3]。同様の物語は1973年(昭和48年)発行の『民衆の英雄』(角川書店『日本の民話』シリーズ)にも「小泉小太郎と母竜」(瀬川拓男による再話)の題で収録されているが、本作では小太郎の父親が開拓者集団の長(おさ)という設定であり、松本盆地のみならず、同じく湖であった上田盆地についても、三頭山から虚空蔵山を結ぶ半過の崖を小太郎と母竜が突き崩し、排水したとするなど[10][11]、『小県郡史 余篇』や『信濃の民話』のものとは異なる点もある。この「小太郎と母龍」の物語はテレビアニメ『まんが日本昔ばなし』で放送され、同作のDVD第5巻に収録されている[12]。演出は樋口雅一、文芸は沖島勲、美術は小関俊一、作画は高橋信也が担当した[12]。
『信濃の民話』の編集委員の一人であった松谷みよ子は、「水との闘いの民話」の多くが陰惨な内容であるなか、小泉小太郎を明るく雄大な物語として捉えた[13]。忘れられつつあった小泉小太郎を復活させ、秋田県の民話や自身の体験、また子供たちとの関わりなどをもとに、松谷が1959年(昭和34年)度に創作したのが『龍の子太郎』である[14][15]。
私的解説・再現神話
昔、八布施山の山頂に神社があり、そこへ毎晩のように通う一人の女性がいた。彼女がどこからやって来たのか分からず、不思議に思った村の老人が、こっそり彼女の衣服に糸を付けた針を刺しておいた。翌朝、村人が糸をたどって行き着いた先は、犀川の縁にある洞窟だった。中をのぞくと、赤子を産もうと苦しむ大蛇の姿があったが、男の子を産んだ大蛇は息も絶え絶えだった。
「私は出産で力を使い果たし、このままでは生きていかれません。川の底の我が家で休まなければなりません。どうかこの子を預かって育ててください。」
そう言うと、大蛇は老人に赤子と龍の赤い玉を預けて、犀川に入って行ってしまった。老人は赤ん坊に小太郎と名付け、妻と一緒に大切に育てた。身長は小さいものの、たくましい体に成長した小太郎だったが、食べては遊んでばかりで仕事をしたことがない。14、5歳になった頃、養母から仕事を手伝うよう促された小太郎は、小泉山へ薪を取りに出かけることにした。母親からもらった龍の玉を使うと仕事は簡単に済んだ。小太郎は萩の束を2つほど持ち帰った。これは山じゅうの萩を束ねたものだから、使うときは1本ずつ抜き取るようにして、決して結びを解いてはいけない、と小太郎は養母に伝えたが、たった1日でそのようなことができるはずがないと思った養母は結びを解いてしまった。すると、束がたちまち膨れあがり、養母はその下敷きになって動けなくなってしまった。
「お母さん、僕の言うことを信用しないから、罰を受けたんですよ。次から気をつけてください。」
小太郎はそう言いながら、萩をのけて養母を助け出した。小太郎のとってきた萩の薪はとても良く燃えて怖いくらいだった。
薪取りで失敗したので、小太郎は今度は養父の畑仕事を手伝うことにした。石ころだらけの山坂を開墾する厳しい仕事だ。農地は少ないし、仕事は大変だし、小太郎は嫌気がさした。
「こんなに山が険しくては田畑も少ししか作れない。せめて犀川の周囲がもっと平らだったら村のみんなも仕事が楽になるのになあ。」
と小太郎は思った。そこで、小太郎はなんとかならないものかと、母親の大蛇に会いに行くことにした。実は母親の大蛇は犀川の女神の犀竜だったのだ。母親は尾入沢というところに住んでいて、近頃ではすっかり具合も良くなり、天気の良い日には陸に上がってきて、尾だけを水につけて日向ぼっこしながら昼寝をしている、と噂で聞いたのだ。だから、その地を「尾入沢」と言うのだ。小太郎が養父母にその話をすると、養父母は小太郎が険しい山道を越えていけるように馬を1頭貸してくれた。
小太郎が会いに行くと犀竜はとても喜んでくれた。
「少し体を休めようと思っていたら、子供がこんなに大きくなるほど時間が経っていたなんて気がつきませんでした。お前の用向きは私が何とかしてあげましょう。」
と犀竜は言った。そして、犀竜は自身が諏訪湖の女神・八須良姫で、小太郎の父親は諏訪湖の神・八須良雄だと教えてくれた。八須良雄は白い龍だと言う。
「私と夫は、役の行者という悪者と戦って、瀕死の重傷を負ったのです。この行者が神々の神域に入り込んで、修行する、と言っては荒らし回るので追い出そうとしました。でも、良く話してみたら少しは話が分かるところもあったので、神域を大きく荒らさないことを約束させて戦いをやめることにしたのです。傷ついたお父さんは、飯山の白龍湖で今も体を休めています。私は具合が良くなったから、川の流域を平地として、人が住める里にしましょう。」
と犀竜は言った。小太郎は犀竜に乗って山清路の巨岩や久米路橋の岩山を突き破り、日本海へ至る川筋を作った。仕事が終わると、母の犀竜はまた水底の住処へと帰っていった。小太郎と人々は、久米路橋のほとりに、「小太郎神神社(彦神別神神社)」を作って母の八須良姫を祀った。白龍湖の近くにも「小太郎神神社(彦神別神神社)」を作って父の八須良雄を祀った、小太郎は箱清水という所に住んで、「小太郎神神社(彦神別神神社)」を作り、自分がそこの彦神別神という神様になった。彼らの神社は水内大社と呼ばれ、朝廷からも篤い尊敬を受けた。
でも、役の行者とその仲間たちは、小太郎一家を恨んでいたので、こっそり八須良雄を「八面大王という盗賊だ。」とか、八須良姫を「鬼女紅葉だ。」と悪口を言って言いふらしたので、小太郎の両親は今ではそっちの名前の方が有名になってしまったのだった。
再現神話の解説
そもそも怠け者の小太郎が、開拓事業なんかするはずがない、ということで、「開拓」の話そのものが、子孫のお手盛り感が強い創作神話だと管理人は感じる。犀龍女神の本当の神話は
「夫の武彦根命(諏訪系の阿遅鉏高日子根)が亡くなった時に、冥界で夫を子として生んで、生まれ変わらせるために殉死させられた女神(犀竜)の死体から生まれたのが和泉小太郎である。犀龍は生前、太陽女神だったので、小太郎はその後を継いで、太陽神となった。本当は出早雄命(諏訪系のお犬神兼大国主命)の息子なんだけど、そんなこと言いたくないんだよ、武彦根命(諏訪系の阿遅鉏高日子根)の子供ってしないとやだやだやだーー。だって自分は体は大国主命(黄帝)の息子だけど、阿遅鉏高日子根(炎帝)の生まれ変わりの伏羲なんだもんーーーー。」
というそういう話だと思う。その子孫の皆様が、犀川流域の土地の利権を独占するために
「全部うちの先祖が開拓した」
と言いたくて、お手盛りで作ったのが泉小太郎神話と考える。要は元は「エンリルとニンリル」とだいたい同じ話、ミャオ族の神話で言うところのチャンヤン神話である。「犀竜女神は夫の白龍が死んだので、彼を生まれ変わらせるために殺されて冥界で子を産んだ。そして更に死んだ(あるいは息子に焼き殺された)。」という話と思われる。小泉小太郎を信用しなかった養母が薪で殺されてしまうのは、「焼き殺された」の暗喩と思われる。でも管理人は安易に殺す話は嫌いなので、「薪が良く燃える薪だった」という表現に改めた。これは小泉小太郎が元は火神の祝融でもあったことを示すためのものだ。「刺す住職」とはチャンヤン神話の蛾王のことで、小泉小太郎の父の白龍の別の姿でもある。殺された養母は犀竜の別の姿だ。だから、管理人はその点をふまえて、養父母と犀竜・白龍は元は同じもの、という意味を込めて再現している。
参考文献
- Wikipedia:小泉小太郎伝説(最終閲覧日:24-11-22)
- 「信濃の民話」編集委員会編『日本の民話 1 信濃の民話』未來社、1957年6月30日。
- 松谷みよ子著、坪田譲治〔等〕編『松谷みよ子全集 9 龍の子太郎』講談社、1971年[10月8日。
- 瀬川拓男・松谷みよ子編『日本の民話 4 民衆の英雄』角川書店、1973年5月30日。
- 松谷みよ子著『講談社現代新書 370 民話の世界』講談社、1974年10月28日。
- 鈴木重武、三井弘篤編『NDLDC:765132 信府統記 巻五』吟天社、1884年
- 降幡雎著『[NDLDC:765126 新撰仁科記』伊藤書店、1904年3月5日。
- 藤沢衛彦編著『NDLDC:953569 日本伝説叢書 信濃の巻』日本伝説叢書刊行会、1917年7月31日。
- 小県郡役所編纂『NDLDC:965787 小県郡史 余篇』小県時報局、1923年3月25日。
- 柳田國男著『NDLDC:1062590 桃太郎の誕』三省堂、1942年7月20日。
- 佐久教育会編『佐久口碑伝説集 北佐久編』佐久教育会、1978年。
関連項目
外部リンク
- 泉小太郎(松本地域) - 長野県
- 電子紙芝居 小泉小太郎物語
- 塩田の里交流館(とっこ館)
- 民話の里おおまち小太郎
- 国立国会図書館のデジタル化資料:953569:日本伝説叢書. 信濃の巻
- 国立国会図書館のデジタル化資料:1018693:信濃の伝説
脚注
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 1.6 1.7 『小県郡史 余篇』NDLDC:965787/36 46 - 47ページ。
- ↑ 『小県郡史 余篇』NDLDC:965787/25 24 - 25ページ。
- ↑ 3.0 3.1 3.2 『日本の民話 1 信濃の民話』175 - 183ページ。
- ↑ 4.0 4.1 4.2 『講談社現代新書 370 民話の世界』37 - 38ページ。
- ↑ 『信府統記 巻五』[NDLDC:765132/26 23 - 24ページ]。
- ↑ 6.0 6.1 『新撰仁科記』9 - 10ページ。
- ↑ 『小県郡史 余篇』NDLDC:965787/36 47ページ(かっこ内は引用)。
- ↑ 『桃太郎の誕生』NDLDC:1062590/125 228ページ(かっこ内は引用)。
- ↑ 『講談社現代新書 370 民話の世界』39ページ(かっこ内は引用)。
- ↑ 『日本の民話 4 民衆の英雄』6 - 15ページ。
- ↑ かつて湖だった上田盆地を排水したという内容の民話は、ほかにも大ネズミが食い破ったという話(『日本伝説叢書 信濃の巻』[NDLDC:953569/106 157- [NDLDC:953569/107 159ページ)や、ダイダラボッチが突き崩したという話(『佐久口碑伝説集 北佐久編』105ページ)が伝えられている。
- ↑ 12.0 12.1 「小太郎と母龍」『まんが日本昔ばなし DVD第5巻』 (EAN:4988104066459) より。
- ↑ 『講談社現代新書 370 民話の世界』36 - 39ページ。
- ↑ 『松谷みよ子全集 9 龍の子太郎』170 - 171ページ。
- ↑ 『講談社現代新書 370 民話の世界』39 - 40、57 - 65ページ。