「法性」とは、法性身(法身)のことで、無色無形の真如を虚空に喩えたものを指す<ref>宮坂宥勝「神と仏の融合ー密教思想からの解釈」『御柱祭と諏訪大社』筑摩書房、1987年、162頁。</ref>。これは「我に於いて体なし」という諏訪明神の神勅と符合する<ref>寺田鎮子、鷲尾徹太『諏訪明神―カミ信仰の原像』岩田書院、2010年、116頁。</ref>。また、密教的には法性身は有色有形の法身大日如来を指すことから、「法性神」は大日如来と同様に唯一にして根源的な存在、すなわち最高神を意味するとも解釈できる<ref>宮坂宥勝「神と仏の融合ー密教思想からの解釈」『御柱祭と諏訪大社』筑摩書房、1987年、164頁。</ref>。
一方「{{読み仮名|南宮|なんぐう}}」の由来についてはいろんな説がある一方「南宮」の由来についてはいろんな説がある<ref name="miyachi2324">宮地直一『諏訪史 第2巻 後編』信濃教育会諏訪部会、1937年、23-24頁。</ref>。
* 諏訪明神は[[閻浮提|南閻浮州]](人間が住むこの世界)に示現した法性神とされたことから諏訪明神は南閻浮州(人間が住むこの世界)に示現した法性神とされたことから<ref>宮坂宥勝「神と仏の融合ー密教思想からの解釈」『御柱祭と諏訪大社』筑摩書房、1987年、163頁。</ref>* 諏訪社は[[美濃国]]の仲山金山彦神社([[南宮大社]])や[[伊賀国]]の諏訪社は美濃国の仲山金山彦神社(南宮大社)や伊賀国の[[敢國神社]](南宮大菩薩)とは関係があったことから:『[[梁塵秘抄]]』の中で「{{読み仮名|南宮|なんぐ}}の本山は 『梁塵秘抄』の中で「南宮の本山は 信濃の国とぞうけたばる さぞまうす 美濃の国には中の宮 伊賀の国にはおさなき {{読み仮名|稚|ちご}}の宮」と歌われるように、中世においてはこの三社が「南宮三社」として知られていた。(敢國神社は甲賀三郎伝説にゆかりのある神社でもある。)伊賀の国にはおさなき稚の宮」と歌われるように、中世においてはこの三社が「南宮三社」として知られていた。(敢國神社は甲賀三郎伝説にゆかりのある神社でもある。)<ref>大庭祐輔『竜神信仰: 諏訪神のルーツをさぐる』論創社、2006年、137-138頁。</ref>* 諏訪明神は[[皇居|帝の王宮]]の南面の守護神とされたことから諏訪明神は帝の王宮の南面の守護神とされたことから<ref>武井正弘, 「[https://doi.org/10.20807/icmrb.9.0_121 祭事を読む-諏訪上社物忌令之事-]」『飯田市美術博物館 研究紀要』 1999年 9巻、130, 142頁。</ref>
* 諏訪社は信濃国の南部([[南信地方]])にあることから
* 諏訪上社は諏訪湖の南方に位置することから