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奈良県奈良市にある神社。式内社(小、論社)で、旧社格は県社。 | 奈良県奈良市にある神社。式内社(小、論社)で、旧社格は県社。 | ||
− | 推古天皇元年(593年)2月3日、勅命により大神君白堤(オオミワノキミ シラツツミ)が園神を祀ったのに始まると伝える<ref name="shishi" /><ref>「大三輪三座鎮座次第」によると、大神君白堤が勅を奉じて春日邑率川・坂岡の両所を奉斎した</ref>。その後、養老元年(717年)11月28日、藤原不比等が韓神二座を相殿として合祀したという。かつては'''春日率川坂岡神社'''あるいは'''園韓神社'''と称していたが、韓神の韓が漢に、園神の園が國となり、「漢國神社」という社名になったと伝える<ref name="shishi" />。「大神分身類社鈔并附尾」(昭和三年)や「大三輪神三社鎮座次第」(昭和七年)には、漢國神社を「狭加岡神社」「坂岡神社」と記す<ref>[https://ameblo.jp/keith4862/entry-12606380036.html 狭岡神社]、かむながらの道 ~天地悠久~(最終閲覧日:24-12-13)</ref>。 | + | 推古天皇元年(593年)2月3日、勅命により大神君白堤(オオミワノキミ シラツツミ)が園神を祀ったのに始まると伝える<ref name="shishi">奈良市史 社寺編, 奈良市史編集審議会, 吉川弘文館, 1985, p179, isbn:4642015493</ref><ref>「大三輪三座鎮座次第」によると、大神君白堤が勅を奉じて春日邑率川・坂岡の両所を奉斎した</ref>。その後、養老元年(717年)11月28日、藤原不比等が韓神二座を相殿として合祀したという。かつては'''春日率川坂岡神社'''あるいは'''園韓神社'''と称していたが、韓神の韓が漢に、園神の園が國となり、「漢國神社」という社名になったと伝える<ref name="shishi" />。「大神分身類社鈔并附尾」(昭和三年)や「大三輪神三社鎮座次第」(昭和七年)には、漢國神社を「狭加岡神社」「坂岡神社」と記す<ref>[https://ameblo.jp/keith4862/entry-12606380036.html 狭岡神社]、かむながらの道 ~天地悠久~(最終閲覧日:24-12-13)</ref>。 |
主祭神:園神(そのかみ)として大物主命、韓神(からかみ)として大己貴命・少彦名命を祀る<ref name="shishi" />。 | 主祭神:園神(そのかみ)として大物主命、韓神(からかみ)として大己貴命・少彦名命を祀る<ref name="shishi" />。 |
2024年12月13日 (金) 22:48時点における版
佐保姫(さほひめ)は、春をつかさどる女神である。秋の女神である龍田姫(立田姫、たつた姫)と対置される[1]。
春は佐保姫(さほひめ)、夏は筒姫(つつひめ)、秋は竜田姫(たつたひめ)、冬は宇津田姫(うつたひめ)と四季に女神を例えた概念があったと思われる[2]。
目次
概要
『古事記]』の狭穂姫命との関係について、『古事記伝』の伊邪河宮(開化天皇)の条にある沙本毘賣命の記述には「後世の歌に、佐保姫と云ことあり」等の記述があり、春をつかさどるとされる佐保姫との関連性を指摘している[1]。
元は佐保山の神霊であり、948年の『陽成院一宮姫君歌合』では秋の歌に登場している。
五行説では春は東の方角にあたり、平城京の東に佐保山(現在の奈良県法華寺町法華町)があるためにそこに宿る神霊佐保姫を春の女神と呼ぶようになった。白く柔らかな春霞の衣をまとう若々しい女性と考えられる。この名は春の季語であり和菓子の名前にも用いられている。
秋の歌枕「たつた」に対比する形で春の歌枕「さほ」は設定されたと考えられている[1]。
竜田姫が裁縫や染めものを得意とする神であるため、対となる佐保姫も染めものや機織を司る女神と位置づけられ古くから信仰を集めている。古来その絶景で名高い竜田山の紅葉は竜田姫が染め、佐保山を取り巻く薄衣のような春霞は佐保姫が織り出すものと和歌に歌われる。
有名な詩歌
- 佐保姫の糸染め掛くる青柳を吹きな乱りそ春の山風 平兼盛『詞花集』
(佐保姫が染めた糸を掛けた柳の枝を吹き乱さないでおくれ春の山風よ)ここでは柳の瑞々しい若葉を佐保姫の染めた糸にたとえている。
- 佐保姫の霞の衣ぬきをうすみ花の錦をたちやかさねむ 後鳥羽院『後鳥羽院御集』
(佐保姫の霞の衣は横糸が少ない(薄織りにしている)ので、花でできた錦を重ね着するのだろうか)ここでは春霞を軽くやわらかな薄織りの絹に譬えている。
- 霞の衣裾は濡れけり佐保姫の春立ちながらしとをして 山崎宗鑑『新撰犬筑波集』
霞の下の方を衣に譬えて「霞の裾」と言う。「しと」は尿のこと。霞のたなびく中、地面に近いところが湿っぽくなった、それを佐保姫が立ちながら粗相をしたためと見立てている。「立ち」は霞が立つと佐保姫が立つとの掛詞。
四季の女神達
筒姫
一説には「筒姫の”筒”は井戸から生じた名前。筒姫とは、水の恵みを具現化した神様」と言われてますが、詳細不明な謎多き女神である。五行思想で夏は南ですが、平城京の南にそれらしい場所や伝承は今のところ発見されていない、とのこと[3]。
宇津田姫
他に「黒姫」もしくは「白姫」とも。「黒姫」は五行思想で冬は黒にあたることからきているのではないかと言われている[4][5]。
祀る神社
- 佐保姫神社(奈良県奈良市西包永町)
佐保川天満宮
奈良時代に、聖武天皇陵のある多聞山に「雷神」、即ち「天の神」として祀られたのが始まりである。山の守護神として、「天神の宮」或いは「天満宮」として近在の人々の信仰を集めていたようだ。松永弾正久秀が、1560年に多聞山に城を築いた際に、山上に祀られていた「佐保姫明神」と共に現在地に移され、後に「佐保姫明神」が他の地に移されてからも、天満宮の周辺には人家がなかったので「草天満」と呼ばれていたようだが、その後、菅原道真も祀られようになり、「佐保川天満宮」と呼ばれて人々に親しまれている[6]。
佐保姫神社(天棚織姫神社)・桜七所明神社
大和国添上郡奈良市にある神社。狹穗姫を祀る、という説[7]と佐保姫を祀る、という説[8]があるようである。佐保川のほとりにある。
かつて「多聞山」に鎮座していた「佐保姫神社」が、多聞城を築くため「西包永町」の佐保川天満宮の地に遷座し、さらに遷座されたのが当社であろうと推定される、とのこと。
狹岡神社
奈良県奈良市法蓮町にある神社。祭神は若山咋之神、若年之神、若沙那賣神、彌豆麻岐之神、夏高津日之神、秋比賣之神、久々年之神、久々紀若室葛根之神である。
社伝によると、 霊亀二年(716)、藤原不比等が国家鎮護し藤原氏繁栄のため、自宅の丘上に創祀したという。大伴安麻呂を佐保大納言と呼ぶように、大伴氏と関連の深い地域だ。
祭神は、大年神と天知迦流美豆比売神の子である羽山戸神と大気都比売神の間に出来た御子神八柱。祭神が、天神八座となったのは、佐保姫神を若沙那賣神に付会したためであり、本当の祭神は佐保姫神とする説もある。
参道階段左手に、「佐保姫旧跡保存地」という鏡池と呼ばれた窪地があり、旱魃に雨乞いをしたという[9]。
黒髪山稲荷神社
漢國神社
奈良県奈良市にある神社。式内社(小、論社)で、旧社格は県社。
推古天皇元年(593年)2月3日、勅命により大神君白堤(オオミワノキミ シラツツミ)が園神を祀ったのに始まると伝える[10][11]。その後、養老元年(717年)11月28日、藤原不比等が韓神二座を相殿として合祀したという。かつては春日率川坂岡神社あるいは園韓神社と称していたが、韓神の韓が漢に、園神の園が國となり、「漢國神社」という社名になったと伝える[10]。「大神分身類社鈔并附尾」(昭和三年)や「大三輪神三社鎮座次第」(昭和七年)には、漢國神社を「狭加岡神社」「坂岡神社」と記す[12]。
主祭神:園神(そのかみ)として大物主命、韓神(からかみ)として大己貴命・少彦名命を祀る[10]。
率川神社
関連項目
脚注
- ↑ 1.0 1.1 1.2 奥村恒哉, http://id.nii.ac.jp/1430/00000813/ , 歌枕序説 : 起源と前史, 鹿児島県立短期大学紀要 人文・社会科学篇, volume40, 鹿児島県立短期大学, 1989, p13-20, CRID:1050282812956920960
- ↑ 文月 「空」、OSOTO web(最終閲覧日:24-12-12)
- ↑ 四季を司る女神、一ノ口二山 (最終閲覧日:24-12-13)
- ↑ 四季を司る女神、一ノ口二山 (最終閲覧日:24-12-13)
- ↑ 夏=南ですから、佐保川下流の筒井(つつい)かもしれないし、冬=北ですから京田辺の打田(うつた)かもしれない、という考察があったので付記しておく。(大和国の佐保めぐり⑮ ~佐保姫神社~、NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~、最終閲覧日:24-12-13)
- ↑ 佐保川天満宮、佐保のかはず(最終閲覧日:24-12-12)
- ↑ 佐保姫神社(天棚織姫神社)・桜七所明神社、かむながらのみち ~天地悠久~(最終閲覧日:24-12-12)
- ↑ 大和国の佐保めぐり⑮ ~佐保姫神社~、NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~(最終閲覧日:24-12-12)
- ↑ 狹岡神社、玄松子(最終閲覧日:24-12-13)
- ↑ 10.0 10.1 10.2 奈良市史 社寺編, 奈良市史編集審議会, 吉川弘文館, 1985, p179, isbn:4642015493
- ↑ 「大三輪三座鎮座次第」によると、大神君白堤が勅を奉じて春日邑率川・坂岡の両所を奉斎した
- ↑ 狭岡神社、かむながらの道 ~天地悠久~(最終閲覧日:24-12-13)