「夏の建国神話」の版間の差分
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となろうか。いずれも原型はあまりとどめていないように思う。ともかく、「バロンの死」については、ヤオ族の伏羲・女媧伝承、塗山氏女、青ひげ、メリュジーヌ系を参考にした。メリュジーヌの名は、もしかしたらドゥルガー女神の別名マヒシャースラマルディニーからの派生かもしれないと考える。 | となろうか。いずれも原型はあまりとどめていないように思う。ともかく、「バロンの死」については、ヤオ族の伏羲・女媧伝承、塗山氏女、青ひげ、メリュジーヌ系を参考にした。メリュジーヌの名は、もしかしたらドゥルガー女神の別名マヒシャースラマルディニーからの派生かもしれないと考える。 | ||
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2024年11月10日 (日) 20:28時点における版
夏の建国神話を考察してみたい[私注 1]。
『墨子』五巻には夏と三苗(ミャオ族)[注釈 1] に関する伝説が記載されている。
三苗(サンミャオ)時代に、夜に太陽が現れ、血の雨が三日間降った。龍が寺に現れ、犬は通りで吠えた。夏の水は氷になり、大地は裂け、水が噴き出した。五穀は変異した。天はミャオ族に克服を課した。雷が連続し、鳥をともなった者がミャオ族の指導者を射た。後、夏王朝は建国した(wikipedia:夏 (三代)より)。
もっと深く再現してみよう
例えば「鳥をともなった者がミャオ族の指導者を射た」とあるが、誰が射たのか分からない、ということになる。これをもう少し詳しく書き加えて、整理したいと考える。
昔、夜に太陽が現れたり、火の雨が降る、といった天変地異があって干ばつが起きた。これは火雷神である帝俊が起こしたものである。火雷神は人類に対して怒りを感じていたのだ。そこに人類を救うために、水雷神である龍犬の槃瓠が現れた。槃瓠は大地を冷やし、火を消すために大量の水を使った。敵は槃瓠を攻撃するために「龍犬が人類を滅ぼすような大洪水を起こした。」と悪口を言った。夜に現れた太陽は邪魔なので槃瓠が弓で射落とした。だけど、帝俊と槃瓠との争いで、あちこちで災害が起きたため、五穀は実らなくなった。帝俊はこれをミャオ族のせいだと言い張った。
ミャオ族は龍犬槃瓠の孫だった。ミャオ族のおばあさんは帝俊の妹の蛙姫だ。蛙姫には親の決めた饕餮という婚約者がいた。饕餮は帝俊と蛙姫の従兄弟だった。ところが龍犬槃瓠が蛙姫を好きになってしまった。こっそり蛙の姿に変身して蛙姫のところに忍んできた槃瓠は、姫を盗み出し二人は駆け落ちしてしまった。二人からは鶏娘のバロンと雄鶏息子のダロンが生まれた。ミャオ族はバロンとダロンの子供たちだったのだ。
蛙姫を盗み出した槃瓠のことを帝俊は嫌いだったが、更に嫌いになるような事件があった。昔の天は、「人身御供を立てて、生け贄の肉の半分を天と人類で分け合って食べ、残りの半分を種と一緒に畑にまく。」という祭を人類に行わせていた。種は天がその身の一部を削って人々に分け与えたものなのだ。お返しに天が太れるように人類の肉の一部を天に返さなければいけない。天の子たちである種がちゃんと目を覚まして太れるように、種にも人肉を食わせないといけない、とされていた。龍犬槃瓠は、人身御供として殺される人々を哀れみ、人身御供の祭祀をやめ、人を食うこともやめるようにと言った。ミャオ族が祖父の槃瓠の味方をしたので、人の肉を食べて撒く祭祀は中止になった。帝俊は人肉を食べられなくなり、腹がたったので干ばつを起こしたのだ。干ばつのせいで五穀は実らず、災害が起きたのに、帝俊は
「五穀が実らなくなったのは槃瓠の味方をしたミャオ族が、天への祭祀を中止したからだ。槃瓠とミャオ族を殺して、祭祀を再開しなければいけない。」
と言ったのだ。帝俊と槃瓠の戦いはますます激しくなったが、槃瓠もミャオ族も勇敢だから負けなかった。そこで帝俊は槃瓠を騙して殺すことにした。
「仲直りしよう。」
と騙して宴席を用意させ、槃瓠とミャオ族を招待したのだ。槃瓠たちは帝俊の言葉に騙されてやってきた。帝俊は槃瓠に酒を飲ませて眠らせてしまい、復活させた祭祀の生け贄の第1号にした。雄鶏息子のダロンも射殺して自分で食べてしまった。鶏娘のバロンはすばやく走って逃げ回ったが、結局帝俊につかまった。帝俊はバロンを
「これからは自分に協力して、邪魔者たちを黙らせるのに協力しろ。さもないと殺すぞ。」
と脅した。バロンは帝俊に協力したくなかったけれども、子供達を殺されたくなかったので、仕方なく言うことを聞いた。そして、帝俊が油断している隙にこっそり子供達を逃がし、
「南へ逃げて新しい国を作りなさい。」
と言った。バロン自身は厳しく見張られていたので子供達と一緒に逃げ出せなかった。ミャオ族が逃げたことを知った帝俊はバロンも殺した。そして、人類がこれ以上逆らえないように自ら地上に降りて国を作ることにした。そうして建国したのが夏である。
帝俊の子孫が王となった夏は次第に大きくなって、「中国最初の王朝」と呼ばれるようになった。
ところで、帝俊はダロンを食べたので、その能力を得て鶏に変身できるようになった。なのでときどき鶏に変身しては南へ出かけてミャオ族の様子を探るようになった。そして雷を鳴らしては人々を脅すようになった。ミャオ族の人々は
「鳴っている雷が帝俊なのか槃瓠父さんなのか間違えないように。飛んできた雄鶏がダロンなのか帝俊なのか、ようく気をつけて、けっして間違えないように。」
と言い合ったのだった。
解説
解説もなにも、「こうすれば、夏の建国神話と、伏羲・女媧神話を一体化できる。」という補足をするために、こうだったのではないか、と思われる話を作ってみた。ヤオ族とミャオ族の伏羲・女媧神話で一番違う点は、
- ヤオ族の雷神は「水雷神」で洪水を起こす黄帝で、父親が蚩尤
- ミャオ族の雷神は太陽を出して干ばつを起こす「火雷神」の祝融(蚩尤)で、父親が「蛙父さん」で水神の黄帝
となっている点である。水神と火神が二つの話で、役割が入れ替わっているのだ。しかし、墨子を読むと、まず「火雷神」が起こす干ばつが起き、次に「水雷神」が起こす洪水が起きた、とある。どちらの雷神も騒ぎを起こしたわけだけれども、ヤオ族伝承では「火雷神」が父さんに、ミャオ族伝承では「水雷神」が父さんに変わってしまっているのだ。最初は二人の雷神が暴れる話だったのだが、伝承の話し手がどちらに味方するかで見方が分かれて、ヤオ族の話とミャオ族の話に分かれてしまったのだろう。
帝俊と祝融
管理人は、帝俊、禹、祝融、蚩尤、ミャオ族の雷神、伏羲、ダロンを「同じもの」として伝承を再構築した。いずれも「火雷神」としての性質を持ち、天上に複数の太陽を出したり、地上に火の雨を降らせたりする神だ。墨子の「血の雨」は「火の雨」に変更した。「夜に太陽が現れる」とは、いかにも暑く干ばつを連想させるし、祝融には「夏の都城に火を降らせた」という伝承があるからだ[1]。
伏羲については天帝の象徴である北斗七星の象徴のヒョウタンに乗っている点で、「天帝」としての性質が示されているように思う。すなわち、帝俊とは伏羲の別の姿だと考えている。だから、再構築した話には伏羲は登場させず、ミャオ族のダロンだけを登場させている。ダロンも本質的には帝俊と同一のもので、母系の文化を色濃く残したミャオ族の伏羲・女媧神話では存在しなくても良い、とすら管理人は感じるので、一応登場だけさせておいて、最後に帝俊に食わせることで一つに纏めてみた。
また、ダロンのトーテムを鶏にした点だが、本来的にはこれは「雉」とすべきと思ったが敢えて鶏に変更した。ダロンが帝俊(火雷神)と同一とした場合、ミャオ族の伝承に「パンカオという娘をさらう雉」の話があり[2]、娘に害をなす悪神のトーテムには雉がふさわしいのだが、しかしダロンは龍犬父さんに味方する子供で、太陽を呼ぶ「鶏雷神」でもある父さんの息子だ、という意味を込めて敢えて彼のトーテムは鶏にした。ミャオ族のアペ父さんの名前は、本来「アペ・ダロン・コペン」であって、「ダロン」を抜いて息子の方に移したのが正しい歴史だと思う。でも、縄文八ヶ岳の人々はアペ父さんのことをダイダラボッチと、ダロンの名で呼んでいたし、インド神話では「アペ・ダロン・コペン」が「ヴリ・トラ・ハン」に変化していると思うので。ダロンというのは父さん名を一部だけ抜き取って神話的に作った「息子」だったと考える。日本では抜き取った方を「父さん」の名にして呼んでいたのである。バロンでもあり、パンカオでもある娘のトーテムは鶏で何の問題もない。彼女は本来、鶏父さんの連れ合いである鶏の太陽女神だったのだから、と考える。
帝俊が龍犬槃瓠を人身御供にして、祭祀で食べてしまう点は、后羿を殺した寒浞の故事による。祝融に相当する中国神話のアグニが「両親を焼き殺した」という点も参考にした。寒浞は后羿の息子も同然なのだが、后羿を殺して食べている。
伝承では共工は祝融の子とされているのだが、共工を黄帝とすると事実は逆で共工が父、祝融が子だと考える。祝融が両親すなわち黄帝とその妻を殺した、とすれば寒浞が父(も同然)の后羿を殺した話と一致したモチーフを持つことになるからだ。ただし、「夏の建国神話」としては「帝俊が父親の后羿を殺して王となって夏を建国した。」ということが事実だったとしても、二人の子孫の方がそんな話を嫌がって、帝俊と后羿(すなわち祝融と黄帝)が父子だということはひた隠しにしただろうと思うし、夏の王の事績をみても、后羿の方が王位を狙って王家を混乱させた悪者のように描かれているので、「夏の建国神話」を作った人たちは黄帝を悪く思っていただろう、と思うので、再構築した話では、帝俊とミャオ族は、「少しだけ親戚」みたいな感じにとどめておくこととにした。帝俊(火雷神)と対立して、帝俊(火雷神)の火である太陽を射落とすのだから、伝統的な神話の形式から見て羿には言われずとも水神、すなわち黄帝の性質があるように思う。「弓の名手」である点も羿と黄帝の共通した性質だ。
蛙姫とバロン
管理人が再構築した物語は、あくまでも「夏の建国神話」としてのものなので、蛙姫とバロン(女媧)をないがしろにするつもりはないのだが、元の墨子に女性が出てこないので、最低限の出演にとどめた。母の蛙姫は嫦娥がモデルだ。バロンについては、ミャオ族の伝承を見る限り、神話的に「母と娘」の2つの役割を一つに纏めてあるように感じる。一つはアペ父さんの生活を応援する西王母王的妻であり、悪い雷神でも逃がしてしまう甘い母親という、「妻と母」としての役割だ。もう一つはアペ父さんの娘であり、帝俊(禹・ダロン)の妻である、という「娘と妻」としての役割だ。纏めると、バロンの中に「母と娘」という二人の面が押し込まれている。(もしかしたら、もう一人いるかもしれないが。)この二人の女性はいずれも非業の死を遂げたと思うのだけれども、大渓文化の頃には現在のように纏められてしまっていて、なかなかはっきり分かれた良い例が見つからない。女媧のように強く神格化されてしまうと不老不死の存在にされてしまうので、彼らの死がどのようなものだったのか、探りようがない。しかし、纏めれば
- 嫦娥のように死んで「月」になった母太陽女神
- 塗山氏女のように追いかけ回されて殺され、木に吊された娘太陽女神。馬頭娘的。
- 女娃のように水の中に投げ込まれた太陽女神
があるように思う。ただ、塗山氏女と女娃は同じものかもしれないし、良く分からない。台湾の神話では「バルン」という娘の名で、女娃と似た伝承がある[3]。日本の賀茂系神話では、表向きは「女神の死」はなかったこととされているように思う。敢えて挙げれば
- 母女神 = 下光比売命、犀竜
- 娘女神 = 玉依姫系、「雉も鳴かずば」の小豆娘
- 三女神の複合体 = 豊玉比売
となろうか。いずれも原型はあまりとどめていないように思う。ともかく、「バロンの死」については、ヤオ族の伏羲・女媧伝承、塗山氏女、青ひげ、メリュジーヌ系を参考にした。メリュジーヌの名は、もしかしたらドゥルガー女神の別名マヒシャースラマルディニーからの派生かもしれないと考える。
「ヤオ族型の女媧」から派生した神話・伝承は上記のほかに、ギリシア神話のアタランテー、「足の速さ」から「足」にこだわったシンデレラ系、変わったところで「夫の足」にこだわった北欧神話のスカジがあると考える。
槃瓠と羿
ミャオ族のアペ父さんは「アペ」という名前が「水神」を意味する言葉だし「蛙黽」という意味でもあると考える。(娘のバロンは「黽」と考える。)「世界を支える巨人」という点ではギリシア神話のアトラース的だし、縄文八ヶ岳のダイダラボッチに非常に良く似ているので、本当は「蛙饕餮」という名が一番相応しいと考える。アトラースの名も「アペ・ダロン・コペン」から派生したものではないだろうか。ただ、管理人にとって「人身御供を禁止した」というのはやはりギリシア神話のテーセウスであり、日本の伝承の早太郎なのだ。おそらく、8000年かそれ以上古い時代に、人身御供が当たり前だったのを人命を尊重して中止を求め、身を挺して戦ったことは尊敬に値することだと思う。なので、管理人が再構築した話では、中国神話の槃瓠に人身御供中止のエピソードはないのだけれども、槃瓠に敬意を払って龍犬を採用してみた。
槃瓠は「目上の女性」でかつトーテムが異なる女性、すなわち他部族の女性と結婚して、妻は親族の中で肩身の狭い思いをする。ギリシア神話のテーセウスも部族の異なる女性アリアドネー・パイドラと結婚するし、平和な結婚ではなくて結局妻の兄弟ミーノータウロスと戦うことになり、妻の親族と軋轢を持つ。なので、槃瓠とテーセウスは起源が同じもので良いと考える。テーセウスの名はインド神話のタクシャカと同起源と考えるが、これは「ダロン・コペン」から派生した名ではないのだろうか。だから槃瓠とアペ・コペンは「同じもの」なのだ。
テーセウスの妻であるアリアドネーの「アリ」は「神」を意味する冠詞なので、それを外したアドネー、そしてパイドラはいずれも「バロン・ダロン」から派生したものと推察する。インド神話のスーリヤも同様である。そしてギリシア神話のアテーナー、カフカスのサテネも同様と考える。もっと挙げればブリュンヒルデ、クリームヒルト、カーマデーヌと「バロン・ダロン」から派生した名は広範囲に確認できるように思う。「バロン」を中国語の「白(パイ)」とすれば、バロン・ダロンで「白虎」になるのではないだろうか。(虎の方は印欧語の読み方だけれども。)とすれば、「バロン・ダロン」とは西王母のこととなる。火神と戦って、西王母が応援したものとは黄帝のことなのではないだろうか。だから、母系の場合は「息子のダロン」を外せば、まさに
西王母(バロン・ダロン)に応援されて火雷神(蚩尤)と戦う黄帝(アペ父さん)
で物語は成立してしまうのだ。そして「ダロン(虎)」という名がつけば、バロンはインド神話のドゥルガーでもある、といえる。ドゥルガーと同一視される女神にパールヴァティーがいる。「パールヴァティー・ドゥルガー」でやはり「バロン・ダロン」になるのではないだろうか。女媧は泥をこねて人間を作り出した、とされているがパールヴァティーにも同様の伝承がある。
関連項目
私的注釈
- ↑ 結局これをやる羽目に・・・(2024-11-09)
Wikipediaの注釈
- ↑ 現代のミャオ族と、先史時代の伝説に記載された三苗や、楚や呉を構成した民族との関連性はまだ確定していない(要出典、2016-09-09)。