「黄帝型神」の版間の差分
(→12) |
(→12) |
||
103行目: | 103行目: | ||
太陽女神から転落して地母神(冥界神) | 太陽女神から転落して地母神(冥界神) | ||
− | にされてしまった。伏羲・女媧伝承では「母女神」は存在そのものが消されて消滅しており、それは「'''伏羲・女媧の第1子''' | + | にされてしまった。伏羲・女媧伝承では「母女神」は存在そのものが消されて消滅しており、それは「'''伏羲・女媧の第1子'''」という形で表されることになった。子供をバラバラにしてばらまくメーデイアという女神も登場した。母系が強い時代には、殺された姜女王は |
「'''女媧の第1子'''」 | 「'''女媧の第1子'''」 | ||
− | + | という形に変換されたのだと思う。女媧の第1子が'''母親の手でバラバラにされて、種としてまかれた'''ということにして、その記念に「第1子を殺して神に捧げよう。」という祭を行うことになった。西方で「幼児供犠」という祭祀に変化したと思われ、非常に評判が悪かった。伏羲という神は、父系が優位になってきてから付け加えられたのだと思われる。 | |
ベンガルのコンド族の農耕祭祀では人身御供は第1子に限定されず、古い形式の太陽女神の祭祀を強く残していたと考えるが、彼らの地母神女神はタリ・ペンヌーといった<ref>J・G・フレイザー著 吉川信訳『金枝篇 上』ちくま学芸文庫、2003年、521-525頁</ref>。カルタゴで「幼児供犠」の生け贄を受けた第一の神はタニトという女神だった。おそらくベンガルの女神とカルタゴの女神は同起源だと考える管理人である。(彼らの中間地点にはバビロニアの女神ティアマトがいる。)彼らは本来は、子供を殺したのではなく、'''母親を殺した女神'''だったのだろう。 | ベンガルのコンド族の農耕祭祀では人身御供は第1子に限定されず、古い形式の太陽女神の祭祀を強く残していたと考えるが、彼らの地母神女神はタリ・ペンヌーといった<ref>J・G・フレイザー著 吉川信訳『金枝篇 上』ちくま学芸文庫、2003年、521-525頁</ref>。カルタゴで「幼児供犠」の生け贄を受けた第一の神はタニトという女神だった。おそらくベンガルの女神とカルタゴの女神は同起源だと考える管理人である。(彼らの中間地点にはバビロニアの女神ティアマトがいる。)彼らは本来は、子供を殺したのではなく、'''母親を殺した女神'''だったのだろう。 |
2024年11月8日 (金) 00:15時点における版
黄帝型女神(こうていがたかみ)とは、神話・伝承の中に登場する男神のうち、中国の神である黄帝に類似した性質を持つものを指すこととする。黄帝型神は伝説の黄帝に、それぞれの時代背景や政治的思惑から生じたと思われる様々なイメージが付加されて生じた性質の総称である。古代中国に黄帝に相当する人物がもし仮に存在していたとしても、その性質を必ずしも投影したものではない、といえる。
- 水雷人、という場合:神話的な黄帝といえば炎帝や蚩尤といった「火」の神々と戦って勝利した神であ。また「雷の精の子」という伝承があり、「水神」に関した雷神、天候神
- 食人を忌避する神
- 軍神:「炎帝と戦った」という逸話を持つのだから、軍神としての性質がある。
- 女神の支援を受けて勝利する神あるいは英雄である場合:特に「女神に蘇生して貰った」と類する逸話が不可されたもの。物語の最後が「結婚」で終わる場合。
- 女神の支援を受けて勝利する神あるいは英雄である場合:特に「女神に蘇生して貰った」と類する逸話が不可されたもの。物語の最後が「結婚」に関して不成功で終わる場合。
- 女神の支援を受けて勝利する神:上記以外の場合
- 射日神話に関する英雄
- 招日神話に関する英雄
- その他勝利する神:上記以外の場合
- 女性(女神)が戦って勝利を得る神である場合:黄帝が西王母の支援を受けて炎帝に勝利した故事にちなむ。黄帝の存在が省かれた形式といえる。
- 犠牲神:黄帝的な神が人身御供にされてしまう場合。あるいは殺されて、水に関するものに変化する場合。
- 祖神:なにがしかの犠牲を伴いながら祖神とされる場合。
- 悪神:人々に迷惑をかけるような水雷神である場合。
- 倒される神:悪神である結果倒されてしまう場合。
- その他
目次
本来あったと思われる伝承のプロットを作ろう
大抵の神話は「ここから派生した」といえそうなプロットを仮に作ってみた。
1
1.昔、姜氏という「人食い」の氏族がいた。彼らは母系の氏族で、家長は女性、族長も女性だった。その頃は全ての氏族が母系であって、人々に「父」というものは存在しなかった。家長は家族の娘たちをまとめ、家族の子を育て、それを母方の叔父や兄弟たちが守り支えていた。彼らは太陽の神、火の神を祀り、虎と牛を姉妹だと考えていた。族長は「太陽女神の化身」と考えられていた。族長は神々を祀り対話するシャーマンでもある。太陽女神は人々に穀物や野菜の種をもたらす存在と考えられていたので、種をまく時期には人身御供を焼き殺して、生け贄の肉を細切れにして種とし、一部を植え、一部を豊穣のために神と食す、という祭祀を行っていた。神が怒って天災をもたらす時などにも怒りを静めるために人身御供を捧げた。狩の獲物も、農作物も神が授けてくれたものなのだから、お礼に人間の中からもお返しをあげなくてはいけない、と考えたのだ。族長の一族は神と民とをつなぐ人々でもあったので、神そのものとも見なされていた。だから彼らも神と同様人身御供の肉を食べた。
女王の兄弟たちは、女王の代理の補佐官として表向きの政治を取り仕切り人々を支配した。母系社会では女性は家の財産を守るために兄弟と結婚することが許されていたので、補佐官は女王の「夫」でもあった。女王は一族以外の男を恋人に持つことができたが、その場合相手の男は一夜限りの相手の場合はもちろんのこと、長く女王と連れ添った場合でも女王の家庭内のことに口を出すことは許されなかった。女王から生まれてきた子供達は誰が遺伝子上の父親であろうと、女王の正式でかつ一番の「夫」である補佐官の子供とされた。
2
2.彼らの家臣に姫という青年がいた。優れた青年であり、姜女王の多くの敵と戦ってこれを滅ぼした。彼は「犬族」の出身だった。蛙と馬も彼のトーテムだった。彼自身は身分の低い父系の部族出身だった。ある時代、女王の補佐官だった兄弟に、饕餮という傲慢で怠け者の人間が現れ、権威をかさに来て横暴な政治を行い人々を苦しめた。特に「女王と神々のため」と称し、神の数を増やして、祭祀のために多くの人身御供や税金を要求した。姫青年はこれを憂い、女王に補佐官の政治を改めて貰いたい、と願った。多くの人々が青年に賛成し、彼と一緒に謀反を起こした。
3
3.女王は民の声を聞き、政治を改めるべきだと考えたが、饕餮は聞き入れなかった。女王は密かに兄弟たちの元から逃げ出し、反乱軍の元にはせ参じた。自分の気持ちが民と共にあることを示すためである。女王が来てくれたことで、形勢は一気に逆転した。それまでは姫青年と民の方が「謀反人」だったのだが、今度は補佐官が女王に逆らう「謀反人」になったのだ。姫青年と民は勝利を収めた。饕餮補佐官は戦死した。そして死後「楓」の木と一体化した、とされた。楓の木は天と地をつなぐ日月樹で「親の木」と考えられていたのだ。楓の木が天地をつなぐように、楓の子たちである姜一族は、天の神と人々を結ぶシャーマンとされていた。饕餮は楓の木となって天地を支える存在となったのだ。
女王は姫青年がとても好きになってしまったので、姫青年と結婚し夫婦になった。今までに前例のない他部族出身の正式な「夫」とされた。そして、以後は姜女王の兄弟と夫の両方が補佐官を務めることとなった。姫青年が補佐官となったことで、民の声は女王に届きやすくなり、政治はあらたまった。姫青年は女王の名において「これからは食人を禁ずる。かわりに、祭祀の際は動物を生け贄に捧げる。」と発布した。殺された饕餮は楓の木の化身(世界樹)とされ、天地を支える、とされた。この神木を管理するのが姫補佐官の仕事とされた。
4
4.戦いで死なずに生き残った女王の兄弟たちは、持てる権力が低下したので、これを快く思っていなかった。人身御供を立てることは、政敵をたやすく死に追いやるための方便も兼ねているから、その手段を奪われたことも悔しい。しかし、立場が弱くなり、女王の命令で出された発布に異議を唱えることはできない。
5
5.女王と姫補佐官との間には何人か子が生まれたが、中に一人の賢い男子がいた。姓は母系の一族なので、当然「姜」になる。姜王子は現状に不満を持っていた。なぜなら、どんなに賢くても女王となるのは女性なので、彼は頂点に立つことができない。姉妹の女王の補佐官になったとしても、今度は誰かよその家の者が夫としてやってきて共に補佐官となるだろうから、その男と権力を分け合わなければいけない。そちらの方が女王の信頼を得れば、姜王子の方が隅に追いやられてしまうことだってあり得る。しかも姫補佐官は父系の部族の出だったので、兄妹同士の結婚は「近親の結婚で好ましくない」と考えていた。姫補佐官は姜一族のしきたりまで変えようとはしなかったが、一族のしきたりに従えば姜王子が父補佐官の考えに逆らうことになることは明らかだった。「理不尽だ」と姜王子は考えた。姉妹たちの誰よりも自分は賢いのだし、男が頂点になって「男王」になって何が悪いのだろうか。父親の出身部族では、男が家長になることが当たり前なのに。
王になった男が自ら政治を行えば、よその家の男に権力を奪われる心配はないはずだ。補佐官がいなければ政治を行えない女王制の方が無駄だ。神だって「男」ということに変えて、男の王が祭祀を行えばいい。こう考える姜王子を母方の叔父たちが密かに支援した。叔父たちは自分たちを隅に追いやった姉妹の姜女王のことも、夫の姫補佐官のことも恨んでいたのだ。
6
6.ある時、河が大反乱を起こして洪水が起きた。気の毒な天災であって、祭祀を行っても効き目はなかった。姜王子にとっては、これはクーデターを起こす好機だった。王子は父親であった姫補佐官に酒を飲ませて殺し、母親を捕らえて「天が禍を起こすのはお前の政治が悪いからだ。お前が生け贄になれ。お前は火と太陽の女神なのだから、罪がなければ焼け死ぬことはないだろう。」と言って、母親に火をつけ焼き殺した。姜女王は麻薬を飲まされて意識が朦朧としていたので抵抗できなかったのだ。
姜王子は姉妹の中から新しい女王を立てて、これらのことを新女王の名で行った。「悪い女が王なので天が怒った。その怒りを鎮めるために先女王を人身御供にしたのは正しいことだ。」と姉妹に述べさせたのだ。そして、以後、中国では「婿というものはよくよく信用せずに、こき使えば良いもの」とされた。姫青年を信用せず、こき使っただけの姜王子の親族の行為はこれで正当化された。また、この件を記念して忘れないために「寡婦は夫が死んだら焼き殺されねばならない。」と定められた。この思想は中国国内というよりは中国の外で広まり、印欧語族の寡婦殉死の制度に繋がった。また「年取った親は殺さねばならない。」とも定められたが、これはさすがに反対が多くてすぐに廃れた。「王の政治がうまくいかない場合は神の加護が得られないためで、王を殺さねばならない」、とも言ったが、当然自分の首を絞めかねない定めなので、中国国内ではほとんど適用されず、採用させられたのはやはり印欧語族だった。そして、殺された姫補佐官は酒宴の席で殺されたので「酒をふるまう神」として神格化した。酒瓶の象徴であるヒョウタンが姫補佐官の印とされた。姜王子と新女王の行為は暴挙とみなされたので、あちこちで反乱が起き国が混乱した。しかし、姜王子は勇敢な戦士でもあったので敵と激しく戦い、冷酷に反対勢力を粛正して権力の頂点についた。
7
7.しかし、王族が両親を殺して王位を簒奪したというのは外聞が悪い。そこで、「洪水が起きたので、先女王と姫補佐官の死は神の怒りを鎮めるため、しかたなかった。彼らが川と雷の神を鎮めたのだから、今度は姫補佐官を水雷神として祀ることとしよう。そしてこの件を教訓にして河の神が怒らないように人身御供を捧げよう。女王は太陽女神だったのだから、死後は月の女神となって人々を見守っている、と言うことにしよう。」とすることにした。
そして時期を見て「両親を生け贄にした新女王は悪者だ。」と言いがかりをつけて新女王を廃し、殺して姜王子自身が王位に就いた。姜王子は親殺しではない。親殺しは姉妹の方で、姜王子は人々のためにやむなく両親を犠牲にされた可哀想な王、ということにしたのだ。少なくとも表向きは。これに反対した王子の娘は「大事な蚕が病気になったのはお前の責任だ。お前が人身御供になれ。」と無理矢理罪を着せられ、水神であり桑神でもある馬神への人身御供として殺されて桑の木に吊された。「水神であり桑神でもある馬神」とは亡くなった姫補佐官のことだ。馬神でもあった姫補佐官は、生きている時は「日月樹の管理者」とされて、日月樹の霊が暴れないように祭祀して管理する役割だったのだが、時が経つにつれて一部では日月樹と同一の存在、とも考えられるようになっていたのだ。これを記念して、桑の木にも人身御供を捧げるようになった。殺された娘たちは「蚕の母になった」と言われた。この頃には絹産業が王室の重要な収入源となっていたので、楓に変わって桑の木が日月樹とされるようになっていたのだ。
以後「女みたいな悪者を王位に就けてはいけない。」という屁理屈ができた。そして、家というものは「男が継ぐ。女は財産を持ってはならない。」と定められた。そうすれば、姜王子が即位したり、母親や姉妹や娘の命や財産を奪ったことを正当化することができると考えたのだ。財産とは悪い女が持っていてはならないものなのだから。姜王子は「自分が太陽神である。父補佐官と母女王の代理でもある。」と述べて食人を復活させた。いやだ、なんて言ったら姜王子に殺されてしまう、と誰もが知っていた。姜王子は酒と麻薬を使い、姉妹たちを操って親を殺し、権力を手に入れた恐ろしい男だ、とみな理解していたのだ。
8
8.ともかく親の姫補佐官が「食人は禁止。祭祀における人身御供は禁止。」としたので、人身御供や食人を行うにはそれなりの理由が必要だと説明せねばならないことになった。一つには、食人と祭祀を切り離して、祭祀の方は「殺すだけで食べないのだから、禁止事項には当たらない。」という方便が考え出された。姫補佐官は土神ともされ、穀物や野菜は姫補佐官の死体から発生したものだ、とされた。土神に人身御供を捧げなければ神が怒って土から生える食物の豊穣は得られないかもしれない。姜王子は女性の太陽女神信仰を禁止した。そして、自分(太陽男神)の権威は、父である姫補佐官を神格化することと、饕餮補佐官が変化した桑の木の権威に頼ることにしたのだ。太陽女神を権威ある存在にすると、男である自分が太陽神を名乗れなくなってしまう。
この頃はまだ「太陽女神」の思想が残っていたので、「女性が天(円)、男性が地(方)」という考え方が強くて残ってしまった。食人は祭祀から離れ、特別な日のごちそうとされるようになった。
9
9.子孫の時代になると姜一族は増え、王室はますます栄えたが、社会制度や道徳観念が整ってくると王室の歴史に色々と問題が生じるようになった。先祖である姫補佐官と饕餮補佐官の仲が悪いことは体裁が悪い。姫補佐官と息子の姜王子の仲が悪いのも体裁が悪い。父親殺しなんてもっての他である。母親殺しもまずいけど、姜王子が早い段階で太陽女神信仰と母の存在を公式の記録から消してしまっていたから、こちらは子孫の政治的課題にはならなかった。ともかく、父系の男の家族はみな仲良しだったことにせねばならないのだ。
そこで、姫補佐官を「黄帝」、饕餮補佐官を「炎帝」として二人とも神格化して並び立てることにした。彼らは喧嘩もしたけど、仲も良かったのだ、ということにした。饕餮補佐官は怠け者でたいした業績がなかったので、「天地を支える存在」であることに加えて、「土神」としての性質を黄帝から炎帝に移すことにした。そうすると、
「黄帝が天(円)、炎帝が地(方)」
になって、二人は子孫の皇帝と皇室を見守ってくれていることになる。
姫補佐官と姜王子の関係は一つにまとめることができなかった。姫補佐官が悪い、という人達と、姜王子が悪い、という人達がいて反発しあうからだ。そこで3つのパターンを作った。この頃には姜王子は「火を祀る一族」にちなんで「火神」とみなされるようになっていた。天の太陽神でもあり、地の火神でもあるのだ。
- 姫補佐官と姜王子が戦って、姫補佐官が勝ったパターン。これを、黄帝と蚩尤の戦い、とした。父と子の関係はなかったことにした。でもクー・フーリン(「犬」という名の英雄)とコンラ、ロスタムとソフラーブ、シヴァ(蛙)とガネーシャ(火)、伊邪那岐命と火之迦具土神の中に「父が子を殺すパターン」が残されている。
- 姫補佐官と姜王子は戦うけれども、和解して姜王子の子孫が認められるパターン。ヤオ族の伝承では、これを黄帝(雷)と蚩尤(父親)との戦いの後、蚩尤の子伏羲だけが許されて生き残る、とした。さらに伏羲は禹という名に変えられて、夏という国を作ったこととされたと考える。(禹は祝融同様水神を殺す。)だから夏の皇室の名は姜だったと思われる。
- 姫補佐官と姜王子が戦って、姜王子が勝ったパターン。祝融と共工の戦い、あるいは祝融と鯀の戦いである。黄帝は悪神とされた。でも、インドと日本の神話にだけ、火神が親を焼き殺す話が残ってしまったのだった。
こうすると土神、植物神、蚕神としての姫補佐官は消してしまわなければならないので、国内からはほとんど消した。あくまでも「犬族の姫補佐官神は土神である」と言い張る人々は粛正の対称とされた。後に彼らは政治という祭祀(占い)の場で姫補佐官の霊にお伺いを立てるための人身御供として、殷でどんどん殺されることとなった。
10
10.もう一つ、人身御供に関する方便は「首狩」である。こちらは「成人儀礼のために余所の部族の首を狩ってこい。」というものだった。これも「男子の成人式に必要なことだし、殺すだけで食べないのだから、禁止事項には当たらない。」とされた。成人式は誰かを殺して先祖の日月樹に捧げ、木と一体化する重要な行事とされた。首を狩られる者は、炎帝と一体化するために必要な人身御供だったのだ。でもこの儀式は王国が大きくなっていろんな部族が国民に加わるようになると、国民が互いに殺し合う原因となって、だんだん邪魔になってきた。そこで「首狩」は禁止とされ、抵抗した人々は船に乗せられて沖に流され、国を追い出された。
11
11.姫補佐官と饕餮補佐官のことを
「黄帝が天(円)、炎帝が地(方)」
と作り替えることに反対した人達もいた。彼らは彼らで、
「姫補佐官と饕餮補佐官が協力して悪い火雷神と天で戦う。」
という話を作って持っていたのだ。姫補佐官と饕餮補佐官が、「喧嘩はしたけど、仲は良かった」という設定にはしたかったけれども、どちらかを「地(目下)の神」とするような優劣をつけたくなかったのだ。それでは不平等だ。だから、彼らは姫補佐官のトーテムが蛙であることにちなんで
蛙饕餮
という合成神を作り出した。姫補佐官と饕餮補佐官を一つの神にまとめて「父神」と呼ぶことにしたのだ。そうして二人が「天の蛙饕餮神」となるようにしたのだ。そこまで極端にしなくても「2神」が日月を支えて天に並び立つと考える人たちもいた。ちなみに蛙のことを中国では「蛙黽(あぼう)」というので、蛙饕餮のことを人々は「アペ父さん」と呼んでいた。こうして黄帝も炎帝も採用せず、「アペ父さん」を祀っていた人々は石家河文化へと移り、
「黄帝が天(円)、炎帝が地(方)」と考えた屈家嶺文化
から分かれていったのではないだろうか。「天の蛙饕餮神」は仰韶文化、縄文八ヶ岳の人々に信仰されたと思われ、彼らの土器に蛙人紋として残されていると思われる。
12
女神たちの変遷を纏めれば、殺された姜女王は太陽女神から月の女神へ変化した。姜王子が自分で太陽神・火神を名乗りたかったからだ。そして、本来は太陽女神に捧げられて切り刻まれた人身御供たちの肉片が植物の「種」とされていたのだが、切り刻まれた姜女王の肉片が植物の「種」とされるようになった。姜女王が太陽女神だったのなら、生け贄たちも彼女と一体で同じもののはずだから。そして、姜女王の肉片(種)を娘の女王が人々に与える、とされた。種はいったん地面の下に入るものだから、姜女王には地母神、冥界神の性質も与えられた。こうして、姜女王は
太陽女神から転落して地母神(冥界神)
にされてしまった。伏羲・女媧伝承では「母女神」は存在そのものが消されて消滅しており、それは「伏羲・女媧の第1子」という形で表されることになった。子供をバラバラにしてばらまくメーデイアという女神も登場した。母系が強い時代には、殺された姜女王は
「女媧の第1子」
という形に変換されたのだと思う。女媧の第1子が母親の手でバラバラにされて、種としてまかれたということにして、その記念に「第1子を殺して神に捧げよう。」という祭を行うことになった。西方で「幼児供犠」という祭祀に変化したと思われ、非常に評判が悪かった。伏羲という神は、父系が優位になってきてから付け加えられたのだと思われる。
ベンガルのコンド族の農耕祭祀では人身御供は第1子に限定されず、古い形式の太陽女神の祭祀を強く残していたと考えるが、彼らの地母神女神はタリ・ペンヌーといった[1]。カルタゴで「幼児供犠」の生け贄を受けた第一の神はタニトという女神だった。おそらくベンガルの女神とカルタゴの女神は同起源だと考える管理人である。(彼らの中間地点にはバビロニアの女神ティアマトがいる。)彼らは本来は、子供を殺したのではなく、母親を殺した女神だったのだろう。
13
太陽女神だった姜女王とその夫との子の神話的象徴が伏羲・女媧とすれば、伏羲は姜王子の姿を投影した神といえる。伏羲は祝融、禹の別の姿でもある。ということは女媧は塗山氏女の別の姿でもある。塗山氏女は夫の禹に追い回されて死んだ。管理人が、姜王子が妹で妻でもある者を殺したのだろう、と考える所以である。
14
14.また、時代が下って姫補佐官と姜女王が仲の良い夫婦であった、という伝承も希薄になってきた。炎帝と姜女王が姉弟だったことも。そのため、「河伯を鎮めるには妻が必要」とか、「桑の木から良い蚕を得るには木の化身の炎帝に妻が必要」とか、「地面に建物を建てるときや、農業の収穫のために土神である炎帝に妻が必要」とされるようになって、姜女王の化身に見立てた若い娘が狙い撃ちのように人身御供に立てられるようになった。これは「悪い女たちの権力」を押さえ込むためのものでもある。ともかく、女は女であるだけで悪いのだ、とされるようになった。殺された女性たちは「芋の母」とか「蚕の母」とみなされるようになった。
15
15.そしてとても長い年月が流れた。その王室の子孫たちは本当に先祖の姫補佐官のことを邪魔者だと思っていたし、姜女王の事を一族を裏切った悪い女だと思っていた。でも、自分たちが直接人身御供を立て続けていたら、親殺しの先祖の姜王子が非難されるし、文明が進んで殺人もだんだん悪いこととされるようになってきた。そこで、裏から人を操って、自分たちの政敵や標的を、「他人に人身御供として殺させる」ようになった。そうして自分たちの先祖からは、姜女王、姫補佐官、饕餮補佐官の名前を隠してしまった。そして、自分たちの名前も隠してしまったので、今ではもう姜という名前は、自分たちでは知っているけれども、名乗っていないのである。
プロットについて
黄帝が水神となった理由
プロット7,8は黄帝がなぜ水神とされるようになったのか、の縁起譚を管理人なりに作ってみたものだ。これは、黄帝型神の性質のうち、3番目の「犠牲神」としての黄帝といえる。
大洪水について
黄帝型神の伝播について
黄帝から派生した神で重要なもの
管理人が黄帝から派生した神であって、黄帝を知るために重要な神と考える群。
- 羿:黄帝と同様弓の名手である。
- 伏羲:蛇神の姿を持つが、悪神とまではされていない神。兄妹婚姻譚を持つので、純粋な黄帝型神とは言いがたい。兄妹婚姻譚はバビロニア的な母系文化の特徴なので、むしろ炎帝型神の特徴といえる。蛇形に変換された上に、炎帝型神の設定を付け加えられてしまった黄帝が伏羲だと言えると考える。
- 共工:悪い水の神とされてしまった黄帝の姿である。
- 河伯:人身御供を求める悪い水神。
- ヴァルナ:炎黄の対立神話は印欧語族に取り込まれて、アスラ(水神)対デーヴァ(火神)という彼らの壮大な神話群の元となった。ヴァルナはアスラの筆頭である。
- ペルーン:スラヴ神話の主神
- ベーオウルフ:「水」の名を持つブリテンの英雄。グレンデル(火のデーヴァ)という名の巨人を倒す。
- パパイオス:スキタイの主神。おそらくヴァルナ系の神。
- テーセウス:ギリシャ神話で、人身御供を禁止するため、ミーノータウロス(火の牛)と戦う青年。本来は水雷神としての性質もあったのかもしれない。妻のパイドラの名と併せて「ディヤウス・ピター」と同語源だと思う管理人である。ディヤウスというのは雷神を意味している。
- オルペウス:名前はパパイオスに似る。ギリシア神話で冥界に妻を迎えにいった楽人。伊邪那岐神と似て失敗するパターン。軍神としての性質はなく、楽神で文化英雄といえる。黄帝に古琴の発明者との伝承があるのでこの項に入れる。
- ペルセウス:ペルセウスは全体に見て、悪しき蛇神を倒すことが多くヴァーユに近い神だと思うので本当は黄帝型神に入れるべきではないと思う。名前が水神系の名なことと、アンドロメダーを助けた点などのみ、黄帝型神といえると考える。アトラースを石に変える点にも黄帝の面影が残っているように感じる。
- アレース:ギリシア神話の軍神。トーテムが雄鶏である点が黄帝と一致している。破壊神的な性質を持つ。
- エスス:ガリアの神。世界樹を管理する神、といえる。医薬神としての性質も持つ。
- シヴァ:インド神話の破壊と再生の神。火神アグニに近い性質も持つ。破壊性の高い軍神の場合は、黄帝と祝融が融合した神といえると考える。蛇神的な性質を持つ点は黄帝と一致している。
- アジ・ダハーカ(イラン)、タクシャカ(インド):それぞれ、ジャムシード王、ジャナメージャヤ王という似た名前の王と戦う悪神属性の蛇神である。倒される王の名は「m」という子音が入り、「火」を意味すると考える。どちらもテーセウスと同系統の名だと考えるのだけれども、地理的に中国に近くなるほど共工的な悪神となっていくのが興味深い。おそらく遠方に伝播したものほど古い伝承が残されているのではないだろうか。
- 建御名方命:日本で軍神であり、水神である神の筆頭といえばこの神である。人身御供を禁止した、という逸話も持つ。というか、この神が日本のヴァルナなのでは、と思う。地元の神様なのだから、管理人にとっては名前を挙げないでどうするのか、という神である。火雷神系の建御雷神と戦ったという逸話があるが、負けた、とされている。
- 大国主神:黄帝から軍神と水神の性質を抜いて、人食いを復活させた、みたいな印象を受ける神。建御名方命の父神とされる。「月の女神」のトーテムである兎に親切にする伝承があるので、一応こちらも黄帝型の神とする。こちらも建御雷神と戦い負けた、とされている。日本では、火雷神系の祖神を持つ氏族が優位なので、水神系の神々は子孫の勢力に合わせて「敗者」の側に追いやられている感がある。
- 八束水臣津野命:出雲系の水神であり、力持ちの神。ヴァルナの化身と思われる神々は出雲系に集中しているのが日本神話の特徴と考える。
- 伊邪那岐神:妻が焼け死んでいること、伊邪那岐神も一応冥界に行っていることから、その点で黄帝型神といえる。黄帝型神とは言いがたい特徴もかなり持つ。妻を焼き殺した火之迦具土神を伊邪那岐神が殺したことになっている。
- 天之手力男神:岩戸隠れの際は岩戸の脇に控えており、アマテラスが岩戸から顔をのぞかせた時、アマテラスを引きずり出して(『日本書紀』の一書や『古語拾遺』では「引き開けて」)、それにより世界に明るさが戻った、とされる神[2]。日本の「招日神話」の主役と言える。「手力」とは「田力」とも読み替えられ、単に「男」という字を分解しただけの名な神。鶏雷神の方が情緒があって良かった、と思うのは管理人だけだろうか。
- 天若日子:日本の羿といえる気の毒な若者神。古い時代の「建御名方命の妻と思われる女神」と、妻の名が同じ神。建御名方命の別形態ともいえると考える。
- 少名毘古那神:この神は、特に東国で「天神」「征服神」「祖神」として祀られていた形跡があり、北斗信仰と関連した神とも考えられるので、伏羲の項にいれるか、こちらに入れるか迷ったのだが、「征服神(軍神)」ということを重要視してこちらに入れる。信濃金刺氏がかつて祖神としていた形跡がある。