「玉勝」の版間の差分

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== 概要 ==
 
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図1では[[西王母]]の頭に玉勝がはっきりと見られる。玉勝は[[西王母]]の髪にある簪で、[[西王母]]のトレードマークといえるが、玉勝が明確でない図像もある。図5では、[[西王母]]ではなく[[女媧]]の髪に玉勝がみられる。
 
図1では[[西王母]]の頭に玉勝がはっきりと見られる。玉勝は[[西王母]]の髪にある簪で、[[西王母]]のトレードマークといえるが、玉勝が明確でない図像もある。図5では、[[西王母]]ではなく[[女媧]]の髪に玉勝がみられる。
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時代が下って、西王母の夫として東王父が登場すると、玉勝は東王父の頭にも認められるようになった。
  
 
== 馬王堆漢墓1号墓の帛画 ==
 
== 馬王堆漢墓1号墓の帛画 ==

2022年9月30日 (金) 00:36時点における最新版

図1,左から2番めの人物が西王母。頭上に勝を戴いているのがわかる。
図3,紀元前2世紀。馬王堆漢墓(ばおうたいかんぼ)1号墓の帛画
最上段中央が西王母と思われる(管理人)。
図6,臨沂金雀山4号漢墓出土帛画他
金雀山汉墓帛画、百度百科(最終閲覧日:22-09-30)
図5,西王母像(漢代の拓本)、中央が西王母で、向かって左側に伏羲、右側に女媧が配置されている。

玉勝(ぎょくしょう)は、西王母の髪飾り(簪)であって、西王母の図像のトレードマークである。玉勝は本来、機織機の横木に取り付けられて、横木の回転を制御する道具であったという説がある[1]

概要[編集]

図1では西王母の頭に玉勝がはっきりと見られる。玉勝は西王母の髪にある簪で、西王母のトレードマークといえるが、玉勝が明確でない図像もある。図5では、西王母ではなく女媧の髪に玉勝がみられる。

時代が下って、西王母の夫として東王父が登場すると、玉勝は東王父の頭にも認められるようになった。

馬王堆漢墓1号墓の帛画[編集]

馬王堆漢墓1号墓の帛画の最上段中央の人物については諸説あるようである。その理由は、この人物の頭に「玉勝」がないこと、女媧を思わせる蛇身人面で現されているからであろう。「世界の神話図鑑」ではこの人物を女媧と紹介している[2]。「西王母と七夕伝説」では臨沂金雀山9号漢墓出土帛画(図6、右側の図)と比較して、図6の最上段の山は「崑崙山」と推察し、左側の図の頂上の人物は西王母だと示唆している[3]

管理人は小南の説に賛成で、このような世界図のような図は全体の構図を見て、三足烏や嫦娥を従えているのは西王母であることが通常なことも加えて考察すべきと思う。「蛇身人面だから西王母ではない」とする根拠はないように思う。

世界を留める玉勝[編集]

図3,図6の中央では地面の下に龍などを留めている玉が認められ、これは神話的な「玉勝」であると考える。西王母の玉勝は世界、特に地下世界や、龍神に象徴される河川を束ねて留め、その秩序がバラバラにならないように留めておく、と考えられていたのではないだろうか。とすると、治水や干拓、開墾にもこの玉勝は重要なアイテムとされていたと思われる。

私的注釈[編集]

図の番号は西王母のページと一致させるようにつけている。

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • 金雀山汉墓帛画、百度百科(最終閲覧日:22-09-30)
  • 世界の神話図鑑、フィリップ・ウィルキンソン編、井辻朱美訳、原書房、2013
  • 西王母と七夕伝承、小南一郎著、平凡社、1991

参照[編集]

  1. 西王母と七夕伝承、小南一郎著、平凡社、1991、p148-150
  2. 世界の神話図鑑、フィリップ・ウィルキンソン編、井辻朱美訳、原書房、2013、「天の10の太陽」、p219
  3. 西王母と七夕伝承、小南一郎著、平凡社、1991、p128-133