「志那都比古神社」の版間の差分
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== 概要 == | == 概要 == | ||
「風の森峠」の頂に鎮座する古社。金剛・葛城山麓を南北に走る山裾の道「葛城古道」の途上にあるのが「風の森峠」。 | 「風の森峠」の頂に鎮座する古社。金剛・葛城山麓を南北に走る山裾の道「葛城古道」の途上にあるのが「風の森峠」。 | ||
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+ | この地は日本の水稲栽培発祥の地と言われており、風の神は五穀豊穣、風水害から守る農業神として祀られている<ref>[https://www.city.gose.nara.jp/kankou/0000001424.html 志那都彦神社]、御所市HP(最終閲覧日:25-01-18)</ref>。 | ||
峠の南側は「西佐味(にしさび)」「東佐味(ひがしさび)」という鍛治製鉄の名残の地名があり、ここは「金剛降ろし」が吹くという夏場でも冷房無しで過ごせるほどのところ。そして葛城襲津彦が新羅から連れ帰った捕虜を住まわせたという、四邑のうちの「佐糜邑(さびむら)」の推定地である。 | 峠の南側は「西佐味(にしさび)」「東佐味(ひがしさび)」という鍛治製鉄の名残の地名があり、ここは「金剛降ろし」が吹くという夏場でも冷房無しで過ごせるほどのところ。そして葛城襲津彦が新羅から連れ帰った捕虜を住まわせたという、四邑のうちの「佐糜邑(さびむら)」の推定地である。 | ||
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近くの高鴨神社とは一対であったとも言われています。 | 近くの高鴨神社とは一対であったとも言われています。 | ||
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− | かつて鴨族が採鉱し鍛冶を行っていたものが、葛城氏の当地入植、さらに葛城氏が束ねていた渡来人たちがそれに従事し、取って変わったものか<ref>[https://ameblo.jp/keith4862/entry-12398335424.html 志那都比古神社 (風の森神社)(改定)]、かむながらの道、~天地悠久~(最終閲覧日:25-01- | + | かつて鴨族が採鉱し鍛冶を行っていたものが、葛城氏の当地入植、さらに葛城氏が束ねていた渡来人たちがそれに従事し、取って変わったものか<ref>[https://ameblo.jp/keith4862/entry-12398335424.html 志那都比古神社 (風の森神社)(改定)]、かむながらの道、~天地悠久~(最終閲覧日:25-01-18)</ref>。 |
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2025年1月19日 (日) 06:18時点における最新版
概要[編集]
「風の森峠」の頂に鎮座する古社。金剛・葛城山麓を南北に走る山裾の道「葛城古道」の途上にあるのが「風の森峠」。
この地は日本の水稲栽培発祥の地と言われており、風の神は五穀豊穣、風水害から守る農業神として祀られている[2]。
峠の南側は「西佐味(にしさび)」「東佐味(ひがしさび)」という鍛治製鉄の名残の地名があり、ここは「金剛降ろし」が吹くという夏場でも冷房無しで過ごせるほどのところ。そして葛城襲津彦が新羅から連れ帰った捕虜を住まわせたという、四邑のうちの「佐糜邑(さびむら)」の推定地である。
近くの高鴨神社とは一対であったとも言われています。
「上鴨社」と称される高鴨神社に対して、「中鴨社」と称される葛木御歳神社。そちらの奥山から尾根続きの「唐笠山」にかけて、かつは銅山があり、弥生時代から採掘されていたのではないかと考えられている。
かつて鴨族が採鉱し鍛冶を行っていたものが、葛城氏の当地入植、さらに葛城氏が束ねていた渡来人たちがそれに従事し、取って変わったものか[3]。
私的考察[編集]
関連項目[編集]
脚注[編集]
- ↑ 葛城めぐり4 ~風の森神社~、NAVI彦 ~つつがなき神様めぐり~(最終閲覧日:25-01-18)
- ↑ 志那都彦神社、御所市HP(最終閲覧日:25-01-18)
- ↑ 志那都比古神社 (風の森神社)(改定)、かむながらの道、~天地悠久~(最終閲覧日:25-01-18)