「常世神」の版間の差分

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;秦河勝
 
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当時、仏教の信仰に篤い豪族は他にもおり、また、秦河勝より強い政治権力を持った人物も多かった。なぜ河勝ひとりが、常世神信仰を討伐したのかについては、全国に秦人・秦部を抱え、殖産興業を推進してきた秦氏としては、民の生産・経済活動を停止させる宗教は、看過できなかったとする考えがある。また、渡来氏族である秦氏の河勝は、新興ではあるが原始的な「神」を恐れることなく、これと対決できたのではないかとも言われる<ref name="水谷"/>。
 
当時、仏教の信仰に篤い豪族は他にもおり、また、秦河勝より強い政治権力を持った人物も多かった。なぜ河勝ひとりが、常世神信仰を討伐したのかについては、全国に秦人・秦部を抱え、殖産興業を推進してきた秦氏としては、民の生産・経済活動を停止させる宗教は、看過できなかったとする考えがある。また、渡来氏族である秦氏の河勝は、新興ではあるが原始的な「神」を恐れることなく、これと対決できたのではないかとも言われる<ref name="水谷"/>。
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== 私的解説 ==
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'''常世神'''とはアゲハチョウの幼虫のことと思われるが、性別がはっきりしていないようである。管理人は常世神とは女神ではなかったか、と思う。何故なら、橘の木があるとして、その葉を食べるのがアゲハチョウの幼虫であるので、「橘の木」を男性とすれば、それを食べる常世神が女性であるのが、古来よりの東アジアでの考え方だからである。中国神話では'''「死んだ馬と一体化した桑の木」が夫'''で、その'''妻の馬頭娘が蚕'''で現される。蚕は桑の葉を食べる。つまり、常世神とは、蚕をアゲハチョウの幼虫に置き換えて作り出した新興宗教ではないのか、ということである。「時じくの香(かぐ)の木の実」とは常世神(女神)とその夫の「橘の木」からもたらされるものといえる。
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一方、中国神話では「不老不死の薬」は、月の女神[[嫦娥]]と月の桂の木(おそらく[[蚩尤]])から得られる、とされている。すなわち、常世神とは嫦娥を移し替えたものであり、「橘の木」は「月の桂の木」を移したものであって、神話の場所も月から「常世の国」に置き換えただけのものといえなくはないだろうか。月は東の海から昇るものであるため、海の向こうの「常世の国」とは「月世界」の別の姿と考えられたのかもしれないと思う。
  
 
== 関連項目 ==
 
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* [[月読命]]
 
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* [[不老不死の薬]]
 
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* [[馬頭娘]]
  
 
== 参照 ==
 
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2022年10月9日 (日) 20:17時点における版

常世神(とこよのかみ)は、『日本書紀』に登場する新興宗教の神。この神を祀ると、富と長寿が授けられ、貧者は裕福になり、老人は若返ると説かれた。

古来行われてきた共同体的な祭祀ではなく、個人の欲求を叶える信仰であるところに特色があるといわれ、民間道教の一種ではないかとの説もある[1]

概要

『日本書紀』によると、皇極天皇3年(644年)、東国の富士川の近辺の人・大生部多が村人に虫を祀ることを勧め、「これは常世神である。この神を祀れば、富と長寿が授かる。」と言って回った。巫覡(かんなぎ)等も神託と偽り、「常世神を祀れば、貧者は富を得、老人は若返る」と触れ回った。さらに人々に財産を棄てさせ酒や食物を道端に並べ、「新しい富が入って来たぞ」と唱えさせた。

やがて信仰は都にまで広がり、人々は「常世虫」を採ってきて清座に祀り、歌い舞い、財産を棄捨して福を求めた。しかし、全く益することはなく、その損害は甚大だった。ここにおいて、山城国の豪族・秦河勝は、民が惑わされるのを憎み、大生部多を討伐した。巫覡等は恐れ、常世神を祀ることはしなくなった。時の人は河勝を讃え、

太秦(うずまさ)は 神とも神と 聞こえくる 常世の神を 打ち懲(きた)ますも
(秦河勝は、神の中の神と言われている 常世の神を、打ち懲らしめたことだ)

と歌った。

常世神の正体

『日本書紀』では、常世神とされた虫について「この虫は、常に橘の樹に生る。あるいは山椒に生る。長さは4寸余り、親指ぐらいの大きさである。その色は緑で黒点がある。形は全くに似る」と記され、アゲハチョウの幼虫ではないかといわれる。

解説

常世の国」は、海の彼方にある、不老不死の世界のことである。大国主命の国造りを助けたスクナヒコナ命や、浦島子(浦島太郎)が行ったのが常世の国といわれる。この常世の国には、「時じくの香(かぐ)の木の実」という、不老不死の仙薬になる木の実が生えており、『記紀』では「橘」のこととされる。橘は常緑樹で、雪や霜にも負けずに繁茂し、その実も保存の利く植物であるために、常世の木と同一視されるに到った。橘に発生する「虫」が常世神とされたのも、これに関連づけられている[2]

秦河勝

当時、仏教の信仰に篤い豪族は他にもおり、また、秦河勝より強い政治権力を持った人物も多かった。なぜ河勝ひとりが、常世神信仰を討伐したのかについては、全国に秦人・秦部を抱え、殖産興業を推進してきた秦氏としては、民の生産・経済活動を停止させる宗教は、看過できなかったとする考えがある。また、渡来氏族である秦氏の河勝は、新興ではあるが原始的な「神」を恐れることなく、これと対決できたのではないかとも言われる[1]

私的解説

常世神とはアゲハチョウの幼虫のことと思われるが、性別がはっきりしていないようである。管理人は常世神とは女神ではなかったか、と思う。何故なら、橘の木があるとして、その葉を食べるのがアゲハチョウの幼虫であるので、「橘の木」を男性とすれば、それを食べる常世神が女性であるのが、古来よりの東アジアでの考え方だからである。中国神話では「死んだ馬と一体化した桑の木」が夫で、その妻の馬頭娘が蚕で現される。蚕は桑の葉を食べる。つまり、常世神とは、蚕をアゲハチョウの幼虫に置き換えて作り出した新興宗教ではないのか、ということである。「時じくの香(かぐ)の木の実」とは常世神(女神)とその夫の「橘の木」からもたらされるものといえる。

一方、中国神話では「不老不死の薬」は、月の女神嫦娥と月の桂の木(おそらく蚩尤)から得られる、とされている。すなわち、常世神とは嫦娥を移し替えたものであり、「橘の木」は「月の桂の木」を移したものであって、神話の場所も月から「常世の国」に置き換えただけのものといえなくはないだろうか。月は東の海から昇るものであるため、海の向こうの「常世の国」とは「月世界」の別の姿と考えられたのかもしれないと思う。

関連項目

参照

  1. 1.0 1.1 水谷千秋『謎の渡来人 秦氏』(文春新書、2009年)。
  2. 及川智早 「ときじくのかぐの木の実」『日本神話辞典』 大和書房 1997年。