人物の頭の上に太陽が描かれていたからといって、それをすぐに「太陽神」と決めつけてしまって良いのだろうか、とやや疑問に感じる。候補としては、'''太陽神、雷神、あるいは後の盤古となるような巨人'''が考えられ得ると思う。梅原、安田の説によると、後の大渓文化で、王というものが登場したのではないか、とのことである<ref>長江文明の探求、梅原猛、安田喜憲共著、新思索社、p110-111</ref>。支配者としての世襲の男性の王の出現と身分の階級化の開始は、古代中国の父系化の開始ともいえる。
城背渓文化が'''母系文化'''であって、「太陽神」=「女神」であれば、石刻の人物は、'''太陽神の下位にくる雷神、樹木神、盤古のような世界の基礎となる巨人'''が考え得る。'''父系文化'''がすでに開始されていて、男性が支配者であれば石刻の人物は人々や神々の頂点に位置する'''王(帝)'''、'''太陽神'''の可能性が高くなる、と考える。'''母系文化'''の場合、頂点に来る「太陽」は後に[[西王母]]と[[女媧]]に分裂・分化する女神のことと考える。巨人の腰についている[[ヒョウタン]](要は陰嚢あるいは陰茎のこと)が[[伏羲]]なのであろう。
ただし、個人的にはただし、個人的には巨人そのものは'''王'''で良いのではないか、と思う。何故なら石刻の人物は、髪の毛がほとんどなく、「の象徴で良いのではないか、と思う。何故なら石刻の人物は、髪の毛がほとんどなく、「'''弁髪'''」であるように見えるし、それは中国北東部の住人の文化だからである。人物は、'''北方から攻め込んできて人々を征服した支配者の象徴'''ではないだろうか。とすれば、'''王'''とみなすことが妥当であり、太陽よりも大きな姿はその偉大さを現しているともいえる。しかも支配者による父系文化がすでに開始されていた証拠ともなる。そのため、「太陽信仰」といった自然現象を精霊神として崇拝するいわゆるアニミズムの他に、王やその先祖を精霊神と同列にして崇拝の対象とする、いわゆる殷型の「'''祖神信仰'''」も発生しており、その証拠が「太陽神石刻」ではないのだろうか。その場合には後の殷と同様、王が自ら祭祀者(シャーマン)となって祖霊を祀った可能性も高いと考える。
後に、「'''弁髪文化'''」である夏家店上層文化を中国東北部で作り上げた人々のY染色体のハプログループはハプログループO2やハプログループC2だった。ハプログループO2はミャオ族に関連すると共に、日本人にも見られる。長江文明の父系の支配者層に、中国東北部出身の遺伝子が入りこんでいる、と考えてみれば、興味深い、といえなくはないだろうか<ref>ただし、日本人に多いのは中国東北部発(夏家店上層文化)のハプログループO1b2とのことである。これはごくわずかではあるが中国南部でも認められ、やはりその起源と意味は興味深い。ハプログループO-M176(系統名称ハプログループO1b2)は日本人及び朝鮮民族に30%程度みられ、満州族では34~4%でみられる。また、モンゴル、ブリヤート、ウデヘ、インドネシア人、ミクロネシア人、ベトナム人、タイ人、そして中国国内に居住するダウール族、ナナイ、エヴェンキ、シボ族、漢族、四川省カンゼ・チベット族自治州新龍県のチベット族(カムパ)、新疆昌吉地区の回族、湖南省の瑶族・苗族・カム族でも低頻度にみられる。</ref>。