この場合の「柱」とは、建造物の構造のそれではなく、神道(多神教)において神を数える際の助数詞「柱(はしら)」の延長線上にある語で、死者の霊魂を「人でありながら神に近しい存在」と考える、すなわち対象に宿るアニミズム的な魂など霊的な装置に見立ててのことである。こういった魂の入れられた建造物は、そうでない建造物に比べより強固に、例えるなら自然の地形のように長くその機能を果たすはずであると考えられていた。この神との同一視のため、古い人柱の伝説が残る地域には慰霊碑ないし社(やしろ)が設置され、何らかの形で祀る様式が一般的である。
上記の例とはややニュアンスが異なる人柱も存在する。上記のタコ部屋労働の人柱のように[[不当労働行為|不当労働]]や賃金の未払いから「どうせなら殺してしまえ」という理由で人柱にされてしまった例や、[[炭鉱#炭鉱事故|炭鉱火災]]が発生した際、坑内に残る鉱夫を救助することなく、かえって[[酸素]]の供給を絶つために坑口を封鎖したり注水する殺人行為を「人柱」と称することもある([[北炭夕張新炭鉱ガス突出事故]]など)。[[小説]]などの[[フィクション]]においては、城の秘密通路を作成した作業員を秘密隠蔽のために全員殺害し、その死体を人柱に見立てるといった例もある。上記の例とはややニュアンスが異なる人柱も存在する。上記のタコ部屋労働の人柱のように不当労働や賃金の未払いから「どうせなら殺してしまえ」という理由で人柱にされてしまった例や、炭鉱火災が発生した際、坑内に残る鉱夫を救助することなく、かえって酸素の供給を絶つために坑口を封鎖したり注水する殺人行為を「人柱」と称することもある(北炭夕張新炭鉱ガス突出事故など)。小説などのフィクションにおいては、城の秘密通路を作成した作業員を秘密隠蔽のために全員殺害し、その死体を人柱に見立てるといった例もある。
== 人柱伝説の考察 ==
[[南方熊楠]]は自身の著書『南方閑話』にて、日本を含めた世界で数多に存在する人柱伝説について紹介している。書かれている人柱の[[呪術]]的意図に関しては、62頁の「[[ムンバイ|ボムベイ]]のワダラ池に水が溜らなんだ時、村長の娘を[[生贄|牲]]にして水が溜まった」とあるように人柱により何らかの恩恵を求めたものや、64頁の「[[史記]]の[[滑稽列伝]]に見えた[[魏 (戦国)|魏]]の[[文侯 (魏)|文侯]]の時、[[鄴]]の巫が好女を撰んで[[河伯]]の妻として水に沈め[[洪水]]の予防とした事」、68頁の「物をいうまい物ゆた故に、父は[[長柄 (大阪市)|長柄]]南方熊楠は自身の著書『南方閑話』にて、日本を含めた世界で数多に存在する人柱伝説について紹介している。書かれている人柱の呪術的意図に関しては、62頁の「ボムベイのワダラ池に水が溜らなんだ時、村長の娘を牲にして水が溜まった」とあるように人柱により何らかの恩恵を求めたものや、64頁の「史記の滑稽列伝に見えた魏の文侯の時、鄴の巫が好女を撰んで河伯の妻として水に沈め'''洪水の予防'''とした事」、68頁の「物をいうまい物ゆた故に、父は長柄<!-- 当時は現在の北区長柄よりも広域の地名 -->の人柱 ― 初めて[[長柄橋|此の橋]]を架けた時、水神のために人柱を入れねばならぬと[[関]]{{要曖昧さ回避|date=2016年5月}}を[[豊津村 (大阪府)|垂水村]]初めて此の橋を架けた時、水神のために人柱を入れねばならぬと関<sup>''(要曖昧さ回避, 2016年5月)''</sup>を垂水村<!-- [[垂水神社 (吹田市)]]の周辺。村制施行前の[[豊島郡 の周辺。村制施行前の豊島郡 (摂津国)]]垂水村、[[吹田市#行政区域の変遷(市町村制施行以後)]]を参照、ただし当時はより広域の地名か。この記事での詳細な説明は不要だと思われる。歴史的な地名でもある[[垂水町 垂水村を参照、ただし当時はより広域の地名か。この記事での詳細な説明は不要だと思われる。歴史的な地名でもある垂水町 (吹田市)]]、あるいは[[垂水 、あるいは垂水 (豊島郡)]]の立項が望まれるが、実際問題としては期待しがたい。 -->に構えて人を補えんとする」、68頁の「王[[ブーシーリス]]の世に9年の[[飢饉]]があり、[[キプロス|キプルス]]人のフラシウスが毎年外国生まれの者一人を[[生贄|牲]]にしたらよいと勧めた」とあるように人柱によって災難を予防、もしくは現在起こっている災難の沈静化を図ったもの、69頁の「[[大洲城]]を[[wikt:龜|龜]]の城と呼んだのは後世で、古くは此地の城と唱えた。最初築いた時下手の高石垣が幾度も崩れて成らず、領内の美女一人を[[くじ|抽籤]]で人柱に立てるに決し、オヒヂと名づくる娘が当って[[生き埋め|生埋]]され、其れより崩るる事無し」、71頁の「[[出雲国|雲州]][[松江城]]を[[堀尾氏]]が築く時成功せず、毎晩その邊(辺)を美[[声|聲]]で唄い通る娘を人柱にした」、87頁の「[[セルビア|セルヴイア]]では都市を建てるのに人又は人の影を壁に築き込むに非ざれば成功せず。影を築き込まれた人は必ず速やかに死すと信じた」とあるように人柱によって建築物を霊的な加護によって堅牢にする意図があったことが明らかとなっている。神話学者の[[高木敏雄]]によれば、建築物の壁などに人を生き埋めにし人柱をたてるのは、人柱となった人間の魂の作用で建物が崩れにくくなる[[迷信]]があったからだという。に構えて人を補えんとする」、68頁の「王ブーシーリスの世に9年の飢饉があり、キプルス人のフラシウスが毎年外国生まれの者一人を牲にしたらよいと勧めた」とあるように人柱によって災難を予防、もしくは現在起こっている災難の沈静化を図ったもの、69頁の「大洲城を龜の城と呼んだのは後世で、古くは此地の城と唱えた。最初築いた時下手の高石垣が幾度も崩れて成らず、領内の美女一人を抽籤で人柱に立てるに決し、オヒヂと名づくる娘が当って生埋され、其れより崩るる事無し」、71頁の「雲州松江城を堀尾氏が築く時成功せず、毎晩その邊(辺)を美聲で唄い通る娘を人柱にした」、87頁の「セルヴイアでは都市を建てるのに人又は人の影を壁に築き込むに非ざれば成功せず。影を築き込まれた人は必ず速やかに死すと信じた」とあるように人柱によって建築物を霊的な加護によって堅牢にする意図があったことが明らかとなっている。神話学者の高木敏雄によれば、建築物の壁などに人を生き埋めにし人柱をたてるのは、人柱となった人間の魂の作用で建物が崩れにくくなる迷信があったからだという。
なお、南方熊楠は『南方閑話』の92頁において[[座敷童子]]は人柱となった子供の[[霊魂|霊]]であると書いている。そのほか、罪人が人柱となる話や、82頁にあるようにある特殊な境遇の人間の血を建物の土台に注いだら建物が崩れにくくなるといった人柱同様の迷信が存在していたことも語っている。