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<blockquote>昔、ラオンという者が山に入って猪に変身し、社にきては婦女を犯していた。ある時、畑仕事に行っていた妻が猪に襲われ、いつまでも帰ってこないので、夫が探しにいくと猪と戯れていた。夫は猪を射て殺した。妻は家に帰ったが、まもなく猪の子を産んだ<ref>ラオンの猪となりし話、神々の物語、台湾原住民文学選5、神村徹編、草風館、2006年8月1日出版、p356</ref>。</blockquote>
他に妻が夫に殺されてしまうパターンの話がある。ラオンというのは犬(quǎn)のことと考える。ケルト神話には、キアンという人物が豚に変身して殺されてしまう、という話がある。こうして「殺された間男」のトーテムは猪(豚)に変更されてしまったように思う。更に場所や時代によっては、これが牛に変更されたように思う。そうやってトーテムが変化していくと、しまいには「殺す側」と「殺される側」のトーテムが入り交じって混乱が生じ、「兄弟の水牛を生贄に捧げる[[チャンヤン]]」のように回り回って身内を生贄にしてしまうような神話が生じて、誰が誰を殺したのかも、混乱してくる。ケルトのキアン(犬)は殺されたけれども、ユダヤ神話のカインは弟を殺す。殺したの? 殺されたの? どっち? と混乱するかもしれない。正解は間男のカインが、先夫のアベルを殺したから、その生まれ変わりにカインが殺されてしまった、という話が正しいのである。神話におけるカインとアベルは兄弟は兄弟でも、俗に言う「腹兄弟」だったのではないだろうか。ということは、[[ミャオ族]]神話の[[チャンヤン]]と水牛の仲も、以下同文だったと考える。そして、ミャオ族は不幸にして亡くなった「ワン青年」の供養に生贄を捧げる際に、豚では足りなくて水牛を捧げるようになった、と述べている。それは結局、「'''殺されたワン青年に、犯人の命を捧げて供養し、祟らないようにしよう。'''」という意味なのではないだろうか<ref>おそらく水牛の祭祀に関する」という意味なのではないだろうか。おそらく水牛の祭祀に関する[[チャンヤン]]は「ワン青年の生まれ変わり」なのだろう。</ref>。なぜなら、彼は犯人の子供に生まれ変わって復讐したいと思うほど、相手を深く恨んでいたからである。犯人を殺して、殺して、殺し尽くさねば、ワン青年の怨霊は鎮まらない、とそう思われていたのかもしれない。は「ワン青年の生まれ変わり」なのだろう。生贄に殺される水牛たちはワン青年を殺した犯人の化身、と考えられていたのではないだろうか。生贄にされる水牛たちは、シャンリャンが「石に変えてしまった水牛」とは'''異なる水牛'''なのだ。ワン青年は、犯人の子供に生まれ変わって復讐したいと思うほど、相手を深く恨んでいたのだろう。犯人を殺して、殺して、殺し尽くさねば、ワン青年の怨霊は鎮まらない、と人々からはそう思われていたのかもしれない。
== 父と息子のチェンジリング ==

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