== 私的解説 ==
[[画像:202208181424223.png|thumb|300px|石斧か?<ref>[http://abc0120.net/words/abc2007031809.html 大渓文化、考古用語事典]</ref>蚩尤は死後バラバラにされた、とあるのだから「首」だけの図像は蚩尤なのではないだろうか。]]
結論から述べれば、蚩尤の直接的な起源は[[大渓文化]]あたりに遡ると考える。[[大渓文化]]の石器(あるいは玉器?)に刻まれた人面像は、蚩尤そのものであって、この時点で彼が道具、特に'''武器に何か呪術的な性質を与える神'''と考えられていたと思われる。首だけの像で現されるのは、彼が「'''首をはねられて死んだ'''」ことを意味しているのだと思う。死してなお、人々に影響を与え続ける「'''怨霊神'''」ともいえる。この神は、道具に関わる神として、大工の神や、鍛冶神などの職人の神へと変化していくように思うが、「'''兵主神'''」としての姿はその一形態と考える。