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サイズ変更なし 、 2025年12月29日 (月) 08:51
一方、現在の冠着山には姥捨伝承に関する寺社が全くない。これが「この地に(通常みられる形の)姥捨伝説はなかった」という結論の根拠にもなっているのではないか。ということは、冠着山は本来は「宇津尾山」といって[[会津比売神]]に関する山とされていたものが、いつしか「姥捨山」に変えられてしまい、姥捨伝承が後付けされた、ということなのではないだろうか。姥捨伝承は「後付けされたもの」だから、現地に行ってもゆかりのあるアイテムや寺社が存在しないのではないか。
そのかわり、姥捨伝承が後付される前の女神信仰の痕跡が山の周囲に残されているのだろう。「山に捨てられた姥」とは[[会津比売神]]のことと思われる。地元にその伝承は残されなかったが、どういうわけか上野(群馬県)に残されたのである。ただし、多くの人を殺すような「悪い女神」として描かれている。地元では干ばつの際に、臼道祖神のご神体の臼を'''水に沈めた'''、とある。「[[赤城大明神]]の事」で、更科姉弟は多くの人を「'''水に沈めて'''」殺す。ご神体を水に鎮めることは「人身御供」を思わせるし、篠ノ井には「干ばつの際に水に人身御供を沈めた」という伝承もある。かつて人身御供を立てる習慣があり、」殺す。ご神体を水に沈めることは「人身御供」を思わせるし、篠ノ井には「干ばつの際に水に人身御供を沈めた」という伝承もある。かつて人身御供を立てる習慣があり、[[会津比売神]]が「人身御供に関する女神」として忌避された可能性はあると考える。ただし、干ばつの際の人身御供の祭祀は江戸時代まで続けられていた、と伝承から推察されるから、女神信仰がほとんど廃れても人身御供は続けられていた、といえる。
== 備考 ==

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