という前提が暗黙の内にあって話が作られている。「姥捨」が良いことであったとすれば、子供は親が何をしようが親を捨ててしまったであろうし、聞き手も「姥捨」を良いことと考えていたのなら、子供の行動に共感できないはずである。だから、「姥捨」を下敷きにしながら、それに対する反論的説話といえる。
親が枝を折るのは、親が神話的に「木を切る人」であるという暗喩と考える。神話的な「樹木」は世界樹のように「世界を支えるもの」でもあるが、[[桂男]]の桂の木のように天界の邪魔な木となって、これを切り倒し続けなければいけない場合もある。この場合、親が人々のために木を切り続ける「'''[[黄帝型神]]'''」といえる。それに対して、子供は親を捨てて外装とするような」といえる。それに対して、子供は親を捨てて害そうとするような'''[[祝融型神]]'''である。両者が対立するのではなく、和解して平和な世界を作って欲しい、という'''河姆渡型'''の思想に沿って作られた話と考える。
== 物語の種類 ==