[[File:C-shaped_jade_dragon.jpeg|thumb|300px|図1、馬のたてがみを持つ玉竜。紅山文化の出土品。]]
[[File:01_kouzan.jpg|thumb|300px|図2、紅山文化の太陽女神<ref>[https://read01.com/o2O5oz.htmlhttps://read01.com/o2O5oz.html現存唯一紅山文化玉器女太陽神;高26寬7.5厚10厘米,重2246克原文網址]、壹讀(最終閲覧日:25年12月20日)</ref>。]]
[[File:kouzansungod_1201.jpg|thumb|300px|図3、紅山文化の翡翠の太陽神<ref>https://commons.wikimedia.org/wiki/File:%E7%8E%89_%E5%A4%AA%E9%99%BD%E7%A5%9E%28A1%29_%E7%B4%85%E5%B1%B1%E6%96%87%E5%8C%96_%E7%8E%89%E8%80%8C%E5%AF%8C_1201.jpg</ref>。]]
[[File:太陽神_紅山琉璃_玉而富_1003.jpeg|thumb|300px|図4、太陽神の玉器]]
紅山文化の名は、内モンゴル自治区の赤峰市で発見された紅山後(こうざんご、Hongshanhou)遺跡に由来する。1908年、満蒙調査を行っていた考古学者の鳥居龍蔵が発見し、1935年に濱田耕作(浜田青陵)や水野清一らにより大規模な調査が行われた。戦後各地で発掘が相次ぎ、彩陶と細石器に特徴付けられるこの文化は1954年、紅山後にちなんで紅山文化と命名されている。
紅山文化は母系社会で、神像は女性を祀るために使われたものと思われる。 また、女性の太陽神を祀るために、神像は高台に吊るされたと思われる<ref>[https://read01.com/o2O5oz.html 現存唯一紅山文化玉器女太陽神;高26寬7.5厚10厘米,重2246克、原文網址:https://read01.com/o2O5oz.html]、壹讀、15-04-21(最終閲覧日:22-12-19)</ref>。
== 私的考察 ==
紅山文化では、死者の再生を願う風習があり、その象徴がセミ(蝉)だったことが分かる。
太陽神像を見ると多くが男性形だが、女性形の太陽神もわずかにあるようである。母系社会だが、太陽神が女性から男性に移行する過程の文化だったことが分かる。太陽神像は人間と同じ形ではなく、男性形・女性形いずれの場合も頭上にウサギの耳のような突起状のものがついている。これはいわゆる「三叉冠」が変形したものではないだろうか。手足が獣の爪様の神像もある。これらの神像は「木に吊されて使用された」という説もある。女神であれば当然「吊された女神」となろう。「吊された女神」に死者を再生させる能力がある、と考えられていたと思われる。男性形の太陽神も、発生当初は女神を男神に変更しただけだったので、像は木に吊されたのだと考える。再生者としての機能も、その際に男性形の太陽神に移されたのだろう。
彩陶(図8)には渦巻き模様が描かれ、雷紋と考える。雷紋の中に小さな鳥が描かれている。これが雷神を意味する雄鶏なのか、雷神の使役神といえるカラス(烏)なのかは不明だが、時代が下ると近隣の朝鮮、日本ではいわゆる「[[三足烏]]」が神霊鳥として有名になっていくので、カラスの可能性が高いと思う。雷神系の神とカラスが組み合わさった意匠は良渚文化にも見られる。三叉冠も良渚文化を特徴づけるアイテムである。紅山文化は宗教的に良渚文化に類似したことが示唆される。
紅山文化のみの特徴としては、
== 石器および陶器 ==