サートゥルナーリア祭の期間中は大いに飲み食いし、騒いだ。正装であるトガは着用せず、非公式でカラフルなディナー用の服を着用した。そして、解放奴隷の被るピレウス帽(イリリア、エトルリア、古代ギリシャ、パンノニアおよびその周辺地域で着用されたフェルトキャップ。後に古代ローマでも導入された)を誰もが被った。奴隷は主人に口答えしても罰せられなかった。奴隷も宴会に加わり、宴会の給仕を主人が務めた。ただし、'''社会的立場の逆転'''は表面的なものだった。例えば、宴会の給仕は奴隷が務めることも多く、主人の晩餐の準備は奴隷たちが行った。すなわちこれは微妙な境界の中での気ままさだった。つまり、これは社会秩序の破壊ではなく一時的な逆転でしかない<ref>Woolf, Greg. March 2005.</ref>。
=== 生贄について ===
基本的に祭りは神々を讃えるために行われる儀式で、そこには必ずお供え物があった。供え物は神々に奉納されたのち、人々におすそ分けされた。
古代ローマのお祭りで供え物の中心になっていたのが「生贄(いけにえ)」である。古代ギリシアの人々も行っていたことだが、流血をともなう家畜の犠牲を神々にささげることがとても重要視されていた(野生の動物は使用されなかった)。このため、古代ローマの初期には「敬虔な人」は「ポリュテレス(生贄をささげる人)」と呼ばれた。
神の意志によって執り行われる生贄の儀式では、'''動物自身が喜んで犠牲になる必要があった'''ので、犠牲になることをうなずくことで承諾した動物だけが犠牲になったという(うなずくまで静かに待った)。生贄は祭壇に運ばれ、頭を打たれて殺された後すぐにのどを切られて血が流された。その後生贄の体の一部が燃やされて神にささげられた。
儀式が終わると生贄は料理されて人々に配られた。普段は肉を食べられなかった庶民にとって祭りは肉にありつける、とっておきの場だった。一方、権力者にとっては、庶民の人気を得るための格好の場となった<ref>[https://blog.goo.ne.jp/t-shintani/e/d5e809f5269e70ea25bd07c28155083e 古代ローマ人の食事(1)祭りと生贄]、食の歴史 by 新谷隆史ー人類史を作った食の革命(最終閲覧日:25-02-11)</ref>。
== 文献 ==
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