「八丁島天満宮」の版間の差分

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殿様は幽霊などどうということはないと思って始めは馬鹿にしていたが、不作不幸があまりに続くので、家来を大蛇退治に差し向けたところ、家来達は逆に喰い殺されてしまった。それだけでなく、夢で城内を荒すと知らせて来たので、恐しくなって、毎日毎日村の者を一人ずつ、大蛇退治の名目で人身御供に差し出した。
 
殿様は幽霊などどうということはないと思って始めは馬鹿にしていたが、不作不幸があまりに続くので、家来を大蛇退治に差し向けたところ、家来達は逆に喰い殺されてしまった。それだけでなく、夢で城内を荒すと知らせて来たので、恐しくなって、毎日毎日村の者を一人ずつ、大蛇退治の名目で人身御供に差し出した。
  
その後、災難が減って来たんので、年に一遍男と女を一人ずつ人身御供にした 。これもずっと昔に止めて、今は御供納めとして米三石三斗にし、更に三斗三升に少なくし、もっと減らして三升三合にして、やっと人身御供の形だけ残すこととなった<ref>原題「カンシャク持ち殿さん」。久留米ん昔話ー宮の陣に載っている話(久留米弁)の転載。標準語的に直したのは管理人です。</ref>。
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その後、災難が減って来たんので、年に一遍男と女を一人ずつ人身御供にした 。これもずっと昔に止めて、今は御供納めとして米三石三斗にし、更に三斗三升に少なくし、もっと減らして三升三合にして、やっと人身御供の形だけ残すこととなった<ref>原題「カンシャク持ち殿さん」。久留米ん昔話ー宮の陣に載っている話(久留米弁)の再転載。標準語的に直したのは管理人です。</ref>。
  
 
== 神事 ==
 
== 神事 ==

2025年2月9日 (日) 11:01時点における版

八丁島天満宮(はっちょうじまてんまんぐう)は、福岡県久留米市宮ノ陣町八丁島の神社。八丁島天満神社ともいう。近くに祭祀を行う「天神堀」がある。現在の主祭神:菅原道真。

八丁島の御供納

八丁島の御供納(ごくおさめ)は秋の収穫を喜ぶ「新嘗祭」の行事と、「おかねの恩返し(江戸時代)」などの伝説に由来する「人身御供」の行事が一緒になったもといわれている。

前日に、10歳までの男の子によるお潮井汲みのあと、町内を掛け声をかけて歩き、筑後川で禊ぎを行う。

当日、天神掘にて、東北の隅にある玉太郎・竜宮姫を祭った石の祠前で祈念の祭典を行い、堀に用意された川舟にヤカゴを船に積み、神職・子ども達が乗り込む。神職が祝詞を唱えながら、穏やかに右回りに3回楠の周りを巡り、池巡りが終わりに近づく頃、神職の「エイッ」という掛け声とともに、御供(玄米三升三合)などが池に沈められる。同時に、対岸から中の島の楠を目がけて矢を放つ、矢放し行事(伝統大蛇殺害)が行われる[1]

由緒

殿様と忠臣(カンシャク持ち殿さん)

昔、八丁島に筑後川から水を引いて外堀を造ったお城があった。この城の殿は、かんしゃく持ちで気に入らないと家来を殺すし、無茶な税金を取り上げるので百姓からも嫌われていた。

殿様でもあんまりだと思い忠義な家来がある時殿様に忠告をしたら、無礼者ということで殿様は切腹を命じて殺してしまった。そのうえ、以後の見せしめということで外堀にある八丁島に家来の死体を埋めてしまった。殺された武士は、あまりの無法ぶりを怨んで大蛇になって領内に崇り、大水やら干照りをお越し、更に、人を喰い殺したり水に引き込んだりして災いを起こすようになった。

殿様は幽霊などどうということはないと思って始めは馬鹿にしていたが、不作不幸があまりに続くので、家来を大蛇退治に差し向けたところ、家来達は逆に喰い殺されてしまった。それだけでなく、夢で城内を荒すと知らせて来たので、恐しくなって、毎日毎日村の者を一人ずつ、大蛇退治の名目で人身御供に差し出した。

その後、災難が減って来たんので、年に一遍男と女を一人ずつ人身御供にした 。これもずっと昔に止めて、今は御供納めとして米三石三斗にし、更に三斗三升に少なくし、もっと減らして三升三合にして、やっと人身御供の形だけ残すこととなった[2]

神事

  • 10月第1土曜日 御願成就祭

参考文献

脚注他

  1. 八丁島の御供納(ゴクオサメ)、久留米観光サイト(最終閲覧日:25-01-15)
  2. 原題「カンシャク持ち殿さん」。久留米ん昔話ー宮の陣に載っている話(久留米弁)の再転載。標準語的に直したのは管理人です。