「八束水臣津野命」の版間の差分

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'''八束水臣津野命'''(ヤツカミズオミツノ)、'''淤美豆奴神'''(オミヅヌ)は、日本神話の神。'''伊農意保須美比古(犬意保住彦)'''という名もあるように管理人は感じる。
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'''八束水臣津野命'''(ヤツカミズオミツノ)、'''淤美豆奴神'''(オミヅヌ)は、日本神話の神。'''伊農意保須美比古(犬意保住彦)'''という名もあるように管理人は感じる。妻神は[[布帝耳神]]である。
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長野県では諏訪を中心として[[矢塚男命]]という神が天白神として扱われており、これは八束水臣津野命が変化したものと考える。
  
 
== 概要 ==
 
== 概要 ==
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== 龍岩神社 ==
 
== 龍岩神社 ==
島根県邑智郡邑南町八色石にある神社。境内の由緒書きが興味深い。
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現在の祭神は八束水臣津野命。島根県邑智郡邑南町八色石にある神社。境内の由緒書きが興味深い。
  
 
<blockquote>八束水臣津野命あもりまし時、ひとりの姫神(御名は[[石見天豊足柄姫命]])あらはれて、告げていはく、此国に八色石あり。山をから山となし、川を乾川となし、蛇と化けて、常に来て民をなやますと。命国蒼生の為に之を亡さやと、おもほして、姫神のたつきのまにまに、其所に到り、其石を二段に切たまへば、其首、飛去て邑智郡の龍石となり、其尾は裂て、這行美濃郡角石となる。是より国に禍なしとて、姫神いたく喜悦て、やがて吾庵にいざなひて種々にもてなしつ。かれ命いなみあへで庵にやどりて、夜明けて見たまへば、其姫編み忽然にかはりて、一の磐となりき。命訝しくおもほして、此はあやしきいばみつる哉と、のりたまひき、かれいはみといふ龍石といへるは、邑智郡に八色石村といふ駅ありて、その所の荘屋野田鹿作が家の上なる山に、八色の石のあなるを、やがて神体として祭れるなん龍石なりき。其祭れる事の基を聞くに、此石ともすれば、人に祟て、えならぬ。蒼生の嘆ともかくも、しのびがたかりしを、公にきこしめして、素佐鳴尊を祭りそへたまひしより、祟らずなりしとかや。三月三日祭日也。上ること八丁、岩の形よく観に、うへの蛇の頭の如し。山を下て、鳥居の前なる田中に一つの岩のあなるをば切まま時たばしりし血の、化れりし也といふ。また一丁上て川中に夫婦石とて、二つあなる、是も血の飛び散りて化りしと語伝たり。<ref>[http://www.norichan.jp/jinja/hitokoto2/tatsuiwa.htm 龍岩神社]、のりちゃんず(最終閲覧日:24-12-04)</ref></blockquote>
 
<blockquote>八束水臣津野命あもりまし時、ひとりの姫神(御名は[[石見天豊足柄姫命]])あらはれて、告げていはく、此国に八色石あり。山をから山となし、川を乾川となし、蛇と化けて、常に来て民をなやますと。命国蒼生の為に之を亡さやと、おもほして、姫神のたつきのまにまに、其所に到り、其石を二段に切たまへば、其首、飛去て邑智郡の龍石となり、其尾は裂て、這行美濃郡角石となる。是より国に禍なしとて、姫神いたく喜悦て、やがて吾庵にいざなひて種々にもてなしつ。かれ命いなみあへで庵にやどりて、夜明けて見たまへば、其姫編み忽然にかはりて、一の磐となりき。命訝しくおもほして、此はあやしきいばみつる哉と、のりたまひき、かれいはみといふ龍石といへるは、邑智郡に八色石村といふ駅ありて、その所の荘屋野田鹿作が家の上なる山に、八色の石のあなるを、やがて神体として祭れるなん龍石なりき。其祭れる事の基を聞くに、此石ともすれば、人に祟て、えならぬ。蒼生の嘆ともかくも、しのびがたかりしを、公にきこしめして、素佐鳴尊を祭りそへたまひしより、祟らずなりしとかや。三月三日祭日也。上ること八丁、岩の形よく観に、うへの蛇の頭の如し。山を下て、鳥居の前なる田中に一つの岩のあなるをば切まま時たばしりし血の、化れりし也といふ。また一丁上て川中に夫婦石とて、二つあなる、是も血の飛び散りて化りしと語伝たり。<ref>[http://www.norichan.jp/jinja/hitokoto2/tatsuiwa.htm 龍岩神社]、のりちゃんず(最終閲覧日:24-12-04)</ref></blockquote>
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<blockquote>八束水臣津野命が天から降りられた時、ひとりの姫神(御名は[[石見天豊足柄姫命]])が現れて、告げられた。「此国に八色石という石があります。山を'''干山となし'''、川を'''乾川となし'''、'''蛇'''に化けて、いつもやってきては民を悩まします。」命は人々のためにこれを滅ぼそうと思い、姫神に案内させて八色石を2つに切った。すると、その首は飛び去って邑智郡の龍石となり、その尾は裂けて這っていき、美濃郡の角石となった。「これで国から災いがなくなりました。」と姫神はたいそう喜んで、命を館に誘いさまざまにもてなした。命が館に宿泊し、夜が明けてみると、姫神は岩と化していた。命はいぶかしく重い、「これは怪しいことだ。」と仰せられた。<br>龍石というのは、邑智郡に八色石村という駅があって、駅の荘屋・野田鹿作の家の裏山に、八色の石があったのを、神体として祀ったのが龍石である。その理由は、この石がともすれば人に祟って、よくなかったからだ。人々の嘆きが大きいので、役所が素佐鳴尊を添えて祀ったところ、祟りはなくなったとのことだ。三月三日が祭日である。山に上ること八丁、岩の形をよく見ると、蛇の頭のようである。山を下て、鳥居の前にある田中に一つの岩があるが、これは蛇を切って飛び散った血が、変化したものだという。また山に一丁上ると、川中に夫婦石とて、二つの石がある。是も血が飛び散って変化したものだと語り伝えている。</blockquote>
 
<blockquote>八束水臣津野命が天から降りられた時、ひとりの姫神(御名は[[石見天豊足柄姫命]])が現れて、告げられた。「此国に八色石という石があります。山を'''干山となし'''、川を'''乾川となし'''、'''蛇'''に化けて、いつもやってきては民を悩まします。」命は人々のためにこれを滅ぼそうと思い、姫神に案内させて八色石を2つに切った。すると、その首は飛び去って邑智郡の龍石となり、その尾は裂けて這っていき、美濃郡の角石となった。「これで国から災いがなくなりました。」と姫神はたいそう喜んで、命を館に誘いさまざまにもてなした。命が館に宿泊し、夜が明けてみると、姫神は岩と化していた。命はいぶかしく重い、「これは怪しいことだ。」と仰せられた。<br>龍石というのは、邑智郡に八色石村という駅があって、駅の荘屋・野田鹿作の家の裏山に、八色の石があったのを、神体として祀ったのが龍石である。その理由は、この石がともすれば人に祟って、よくなかったからだ。人々の嘆きが大きいので、役所が素佐鳴尊を添えて祀ったところ、祟りはなくなったとのことだ。三月三日が祭日である。山に上ること八丁、岩の形をよく見ると、蛇の頭のようである。山を下て、鳥居の前にある田中に一つの岩があるが、これは蛇を切って飛び散った血が、変化したものだという。また山に一丁上ると、川中に夫婦石とて、二つの石がある。是も血が飛び散って変化したものだと語り伝えている。</blockquote>
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他に
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<blockquote>神社裏にある龍の頭に似た巨岩は、八岐の大蛇が退治された際に飛んできた首が石になったもので、この石が八色に輝き害をもたらしたのを、八束水臣津野命が退治したと伝えられている。龍岩の頂部の窪みに祭日(旧暦3月3日)に水が無いと干ばつになると言われている。</blockquote>
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という伝承もあるようである<ref>[https://dive-hiroshima.com/explore/3752/ 龍岩神社]、広島公式観光サイト(最終閲覧日:24-12-27)</ref>。
  
 
=== 私的解説 ===
 
=== 私的解説 ===
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* 女神が悪しき蛇神を倒すのに[[八束水臣津野命]]の助力を借り、彼と結婚した([[燃やされた女神]])。
 
* 女神が悪しき蛇神を倒すのに[[八束水臣津野命]]の助力を借り、彼と結婚した([[燃やされた女神]])。
 
* 女神が夫の悪しき蛇神と相打ちになって亡くなった([[吊された女神]])。
 
* 女神が夫の悪しき蛇神と相打ちになって亡くなった([[吊された女神]])。
* 女神が禁忌を破った夫の[[八束水臣津野命]]に殺された([[吊された女神]])。
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* 女神が禁忌を破って夫の[[八束水臣津野命]]に殺された([[吊された女神]])。
 
という3つの神話が複合してできたものと考える。(詳細は[[石見天豊足柄姫命]]の項を参照のこと。)
 
という3つの神話が複合してできたものと考える。(詳細は[[石見天豊足柄姫命]]の項を参照のこと。)
  
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* 女神が悪しき蛇神を倒すのに[[八束水臣津野命]]の助力を借り、彼と結婚した([[燃やされた女神]])。
 
* 女神が悪しき蛇神を倒すのに[[八束水臣津野命]]の助力を借り、彼と結婚した([[燃やされた女神]])。
 
* 女神が禁忌を破った夫の[[八束水臣津野命]]に殺された([[吊された女神]])。
 
* 女神が禁忌を破った夫の[[八束水臣津野命]]に殺された([[吊された女神]])。
という2つの伝承である。後者の方は、本物語でははっきりとは書かれず、「匂わせ」的な内容となっている。前半では、八束水臣津野命は、干ばつの神と戦い、女神を助ける[[黄帝型神]]なのだが、後半は[[須佐之男命]]に似た神となって[[祝融型神]]へと変貌してしまっている。
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という2つの伝承である。後者の方は、本物語でははっきりとは書かれず、「匂わせ」的な内容となっている。前半では、八束水臣津野命は、干ばつの神と戦い、女神を助ける[[黄帝型神]]なのだが、後半は[[須佐之男命]]に似た妻殺しの神となって[[祝融型神]]へと変貌してしまっている。これは何故なのだろうか。
  
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=== 殺された八束水臣津野命 ===
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管理人が思うに、この物語には暗に
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* 八束水臣津野命が[[石見天豊足柄姫命]]に'''宴の席で殺された'''。
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というエピソードが含まれているのではないか、と思う。この場合、実は[[石見天豊足柄姫命]]と悪しき蛇神が夫婦で、かつ八束水臣津野命が彼らの親神だ、という設定になると思われる。[[石見天豊足柄姫命]]と悪しき蛇神が夫婦だったという名残は、川の中の「夫婦石」にあるように思う。[[石見天豊足柄姫命]]と八束水臣津野命が「父娘」だったという点は、[[石見天豊足柄姫命]]の名に「'''足'''」という文字があって、'''犬女神'''だと思われることと、八束水臣津野命の息子神に'''犬神'''がおり、その名から八束水臣津野命も'''犬神'''だと推察されることから、八束水臣津野命の一家は「犬神」の一家であり、[[石見天豊足柄姫命]]もその一族ではないか、と思われる点である。
  
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[[八束水臣津野命]]は、悪しき蛇神でかつ息子神である物を殺して、干ばつが起こる力を抑えこんだのだけれども、それはそれで、そのやり方に不満でもあったのか、娘女神は父親に対して殺意を抱いた、とでも言えば良いのだろうか。少なくとも神話作者にはそのような意図があったのかもしれないと思うのだ。
  
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日本の神霊に対する概念として「'''非業の死を遂げた物は怨霊(祟り神)になる。'''」というものがある。[[八束水臣津野命]]は[[石見天豊足柄姫命]]に殺されたので、怨霊となって逆に[[石見天豊足柄姫命]]を殺してしまったのではないだろうか。[[須佐之男命]]と[[大宜都比売]]ではないけれども、女神のささいな行動を「'''害意あり'''」とみなしてしまったのではないか、とも思う。
  
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=== その結果 ===
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1つには、八束水臣津野命が、悪しき災害神(怨霊)になって祟るので、これを'''鎮める祭祀が必要'''とされると考える。2つめには[[石見天豊足柄姫命]]も悪しき災害神(怨霊)になって祟るので、これもまた'''鎮める祭祀が必要'''とされるのではないだろうか。
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== 祀る神社 ==
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* 長浜神社(島根県出雲市西園町)
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* 富神社(とびじんや)(島根県出雲市斐川町富村)、祭神は八束水臣津野命、天之冬衣命。<br>八束意美豆努神、国引神事後、神名火山の嶺より地理を見て「八雲立出雲八重垣云」御歌唱え給いて神門水海に近くこの豊かな土地と鎮座し出雲社とした<ref>[https://www.shimane-jinjacho.or.jp/izumo/9beb36014adc5c9140d85169aa10fe5b34462f88.html 富神社]、島根県神社庁(最終閲覧日:24-12-27)</ref>。
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* 諏訪神社(島根県出雲市別所町)
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* 國村神社(島根県出雲市多伎町久村)
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* 須多神社(島根県松江市東出雲町須田)
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* 佐比売山神社(島根県大田市鳥井町鳥井)
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* 龍岩神社(島根県邑智郡邑南町八色石)
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* 北居都神社(岡山県岡山市東区東平島)
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* 金持神社(鳥取県日野郡日野町金持)
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* 美濃夜神社(三重県津市芸濃町雲林院)
  
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=== 富神社・伝承 ===
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富家は、「向家」ともいい、かつては「出雲家」「出雲臣家」と呼ばれてた。出雲王国時代は西出雲王家として「神門臣家」が、東出雲王家として「富家」が治めていたと云う。今は「天穂日」の末裔と称する出雲国造家が「出雲臣」を名乗っている。
  
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主祭神は「八束水臣津野命」(ヤツカミヅオミヅノミコト/ 神門臣家)、「天之冬衣命」(アメノフユキヌノミコト / 富家)、合祀祭神として「足名椎命」(アシナヅチノミコト)、「手名椎命」(テナヅチノミコト)、「稲田姫命」(イナタヒメノミコト)、「國忍富命」(クニオシトミノミコト/ 富家)、「布忍富'''鳥鳴海命'''」(フオシトミトリナルミノミコト / 富家)。
  
* 女神が人身御供にされて死んでしまった、という意味
+
「富家」は富村に、「富神社」を建てて、熊野大社の祭神を移したと云う。熊野大社の祭神とは出雲王朝の始祖「'''八耳命'''」と后「'''稲田姫命'''」だとのこと。[[須佐之男命|スサノオ]]は支那秦国から渡来した「徐福」のことであり、彼が妻としたのは8代出雲王「大国主」の娘「高照姫」だった。
* 女神が'''自ら死ね'''、という意味
 
  
である。後者の方が悪質といえる。ともかく、'''女神が石に変じてしまった話'''を挙げる。
+
富家は富神社に、さらに中興の祖「事代主」も祀ったが、富家は杵築大社や美保神社、塩治八幡宮の管理で多忙であったため、富神社の管理は地元に任せた。今は祭神が変えられてしまっていると云うことだ<ref>[https://omouhana.com/2017/09/24/%E5%AF%8C%E7%A5%9E%E7%A4%BE%EF%BC%9A%E5%85%AB%E9%9B%B2%E3%83%8B%E6%95%A3%E3%83%AB%E8%8A%B1%E3%80%8012/ 富神社:八雲ニ散ル花 12]、偲フ花(最終閲覧日:24-12-27)</ref>。
  
: [[塗山氏女]]の話。夏王[[]](「蛇」という意味の名)は熊に変身して、妻の[[塗山氏女]]を追いかけてた。妻は逃げて、からだを一ゆすりすると'''石と化して'''しまった。(中国神話)
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==== 私的考察 ====
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[[File:Ancient_Parthian_relief_carving_of_the_god_Nergal_from_Hatra.jpeg|thumb|350px|イラクのハトラから出土した[[ウルスラグナ|バフラム]](ネルガル)の浮き彫り(シンクレティック・パルティア)紀元1、2世紀のもの。イランの英雄神[[ウルスラグナ|バフラム]][[ウルスラグナ]])のレリーフとのこと。名前より[[ウルスラグナ]]とは北欧神話のオーディンのことと考える。]]
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「謎の出雲帝国」(吉田大洋著、徳間書店、1980)で有名な富神社である<ref>管理人はこの本は持っているわけですが、シュメール? ペルシャじゃなくて? と思ってその先はあまり読んで・・・な・・・すみません(汗)。</ref>。出雲はむしろ調べれば調べるほど「賀茂」な気がするのだけれども、大国主命とその周辺が特異な神々であることは事実と考える。風葬があること、八束水臣津野命が水神であり、英雄神的な性質を持つこと、大国主命の冥界流譚は印欧語族の民話に良く見られる話であること、蛇神信仰が強いことから、富氏は'''イラン系'''の人々ではないかと個人的には考えている。八束水臣津野命はアフラ・マズダ兼[[ウルスラグナ|バフラム]]、天之冬衣命はミスラ、稲田姫命はアナーヒターと言えなくもないだろうか。アナーヒター女神は王権神授にも関連した女神であって、男性に自らの権威を授けることのできる女神ともいえる。稲田姫命は[[須佐之男命]]に自らの権威を与えて[[八俣遠呂智]]を退治させる。
  
'''犬が石に変じる話'''はこちらだ。
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またバフラムのレリーフを見ると、彼は白と赤と黒の犬を連れている。八束水臣津野命の子神には赤犬がいる。[[高野御子神]]のように白と黒の犬を連れた神の伝承もある。
  
: 長野県長野市篠ノ井有旅犬石の伝承。むかし住んでいた長者が亡くなると、飼われていた犬が猛り狂い人々に害をなした。産土神が犬を諭すと、犬は改心して'''石と化し'''集落を護るようになった。この犬が産土神を追ったとき、里芋で滑りゴマで目を'''突いた'''、とのことだ。([[布施八龍大権現]]より)
+
ミスラは、イラン高原での信仰の実態は定かではないが、少なくともローマのミトラスは「冬至に復活する冬の太陽」という性質を持っていた。
  
=== 日妹・月兄 ===
+
記紀神話では、鳥鳴海神は大国主命の子神で、國忍富命の父神とされている。富氏の主張としては
: むかし天の神で二人の兄妹がいた。兄は太陽となり、妹は月になっていたところ、妹が「私は太陽になりたい。」と言った。兄はこれに反対して二人は争い、'''兄は煙管で妹の目をつきさし'''、それをつぶしてしまった。それで妹がかわいそうになって、兄は妹に太陽をゆずり、自分は月になった<ref>「日妹・月兄、」韓国昔話集成8、崔仁鶴編、悠書館、2020、p50-51</ref>。
 
  
=== まとめ ===
+
八束水臣津野命 → 天之冬衣命 → 大国主命 → 布忍富鳥鳴海命 → 國忍富命 → 富氏
<table class="wikitable">
 
    <caption>対比表</caption>
 
  <tr>
 
        <th>地名</th><th>祟り神</th><th>殺されそうになる相手</th><th>鎮める相手</th><th>祟り神を抑えていた者</th>
 
    </tr>
 
  <tr>
 
        <th>島根</th><td>石神(蛇神)</td><td>石見天豊足柄姫命</td><td>八束水臣津野命</td><td>八束水臣津野命</td>
 
    </tr>
 
  <tr>
 
        <th>長野</th><td>犬神</td><td>産土神</td><td>産土神自身</td><td>長者(死亡)</td>
 
    </tr>
 
  <tr>
 
        <th>朝鮮</th><td>月兄</td><td>日妹</td><td></td><td>母親</td>
 
    </tr>
 
  <tr>
 
        <th>中国</th><td>[[禹]](蛇神)</td><td>[[塗山氏女]]</td><td></td><td></td>
 
    </tr>
 
</table>
 
この神話はまとめると上の表のようになると考える。一番の元は中国の「[[伏羲]]・[[女媧]]型神話」であって、その中でも「'''兄が干ばつを起こす悪神であって、彼をなだめるために妹神に相当するものを人身御供に捧げる'''」という話に、[[黄帝型神]]が[[炎帝型神]]を倒す神話を組み合わせたものと考える。いずれも「'''犬祖型神話'''」の話と思う。石見天豊足柄姫命には二重の性質があり、八束水臣津野命の妻である石見天豊足柄姫命・母と、'''娘である'''石見天豊足柄姫命・娘が含まれていると考える。八束水臣津野命と石見天豊足柄姫命は、本来は「'''父娘'''」の間柄だったのではないだろうか。また、八束水臣津野命が石見天豊足柄姫命の家に泊まるのは「妻問い」の意味も含まれているように思う。女神には、八束水臣津野命の「'''妻'''」としての側面もある。八束水臣津野命自身は、'''干ばつを起こす神と対立して、これを倒す神'''であって、比較的単純にわかりやすい「'''黄帝型神'''」である。
 
  
そして、父親に相当する八束水臣津野命が「犬」だから、石見天豊足柄姫命は「足に柄がある」犬女神なのだろう。中国の神話と比較して、日本神話の大きな特徴は
+
となろうか。イランの王書と比較したら
  
* '''父神が犬なら、妻も娘も息子も犬だろう'''
+
フェリドゥーン → サーム → ザール(白犬) → [[シームルグ]] → ロスタム([[甘基王]]) → 富氏
  
という「犬理論」が働いて、中国の犬神[[槃瓠]]の妻が「犬と結婚したことを思い悩む」といったような要素がほとんどないことだと思う。子孫の多くは、偉大な黄帝、偉大な犬先祖が大好きであって、妻子神も孫神も「犬だらけ」である。しかも、中国の場合「黄帝が中国の父」という感じの扱いなのに対して、日本神話は、それぞれの氏族に、黄帝に相当する先祖、その妻子に相当する先祖がいるので、[[黄帝型神]]も大量にいる。その結果、どこにでも似たような「犬神」が超大量に存在するのが日本神話で、氏族や住んでいる地域の違いで、少しずつ特徴が違う神々が大量にいるのである。
+
と変換できるように思う。ここに挙げたイランの古代の王達はサーサン朝よりも前の王と考えられているので、アケメネス朝の始祖伝承ではないか、と考える。「親に捨てられた」という伝承を持つザールは、「犬祖王」と述べる資格を持つように思うので、サームは[[赤衾伊農意保須美比古佐和氣能命]]に相当する神で良いと考える。一方蛇王を外祖父に持つロスタムは中国神話でいうところの[[甘基王]]と考える。神話的な事績に乏しいが、國忍富命がロスタムで良いように思う。布忍富鳥鳴海命は國忍富命の「育ての親」の[[シームルグ]]と考える。民間伝承では、この霊鳥は女神として語られることが多いのだが、神話では男神とされる。王書でもそうだし、富氏神話でもそうだとすれば、これは民間伝承を経ずに、「'''神話が直接伝播したもの'''」と考ええるしかないのではないだろうか。興味深いことだが、埼玉県鴻市の鴻神社のコウノトリは女神と思われるので、イラン系神話の霊鳥が民間伝承化したものは女神に戻ってしまっているように思う。そちらの方が本来の姿なのだと考える。
  
もう一つ、日本神話の特徴は、息子神が「二人」いる場合が多い、ということのように思える。中国の「[[伏羲]]・[[女媧]]型神話」は、'''父親、娘、息子の3人'''が'''悪神のもたらす災害に直面する'''ことになるが、日本神話では、例えば諏訪系の犬神は、[[出早雄命]](白・善神)と[[意岐萩神]](黒・悪神)とその父・建御名方命のセットで語られ、そこにそれ以外の兄弟姉妹が付加され、大家族を形成している。「'''二頭の犬を連れた狩人'''」の話は民間伝承でも良くみられる。
 
  
ただし、本物語の場合は、八束水臣津野命以外の男性形の「善神」は登場せず、倒される干ばつの蛇神(悪神)のみが登場する。この神は、[[祝融型神]]としても良いし、[[炎帝型神]]としても良いし、どちらとしても受け取れるようになっている。ただし、[[炎帝神農|炎帝]]に蛇神としての性質は乏しいと思うので、[[蚩尤]]のような[[祝融型神]]のほうがより相応しいとは感じる。
+
ということで、出雲王家の始祖と言われる「'''八耳命'''」とは何なのか、ということになるのだが、富氏神話を総合して考えれば、「'''天之冬衣命'''」のこと、となるのではないだろうか。これは記紀神話の'''[[神八井耳命]]'''に相当する神と考える。管理人の考えでは、[[神八井耳命]][[阿遅鉏高日子根神]]と同じ神であり、この神は[[須佐之男命]]も同然なので、[[神八井耳命]]が[[須佐之男命]]であって、その妻が稲田姫命であっても、個人的には違和感を覚えない。(この点についての考察は「'''[[天若日子]]'''」を参照のこと。)
  
== 祀る神社 ==
+
== 参考文献 ==
* 長浜神社(島根県出雲市西園町)
+
* Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B7%A4%E7%BE%8E%E8%B1%86%E5%A5%B4%E7%A5%9E 淤美豆奴神](最終閲覧日:24-12-27)
* 富神社(島根県出雲市斐川町富村)
+
* Wikipeia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E8%B1%8A%E8%B6%B3%E6%9F%84%E5%A7%AB%E5%91%BD 天豊足柄姫命](最終閲覧日:24-12-27)
* 諏訪神社(島根県出雲市別所町)
 
* 國村神社(島根県出雲市多伎町久村)
 
* 須多神社(島根県松江市東出雲町須田)
 
* 佐比売山神社(島根県大田市鳥井町鳥井)
 
* 龍岩神社(島根県邑智郡邑南町八色石)
 
* 北居都神社(岡山県岡山市東区東平島)
 
* 金持神社(鳥取県日野郡日野町金持)
 
* 美濃夜神社(三重県津市芸濃町雲林院)
 
  
 
== 関連項目 ==
 
== 関連項目 ==
 +
* [[布帝耳神]]:妻神。
 
* [[赤衾伊農意保須美比古佐和氣能命]]:息子神とされる。
 
* [[赤衾伊農意保須美比古佐和氣能命]]:息子神とされる。
  

2025年1月29日 (水) 14:16時点における最新版

八束水臣津野命(ヤツカミズオミツノ)、淤美豆奴神(オミヅヌ)は、日本神話の神。伊農意保須美比古(犬意保住彦)という名もあるように管理人は感じる。妻神は布帝耳神である。

長野県では諏訪を中心として矢塚男命という神が天白神として扱われており、これは八束水臣津野命が変化したものと考える。

概要[編集]

『古事記』において須佐之男命の4世孫とされ、『日本書紀』には登場しない。粟鹿神社の書物『粟鹿大明神元記』には意弥都奴と記述されている。十七世神(とおまりななよのかみ)の一柱である国津神。

名称や母親[1]の系譜から水にまつわる神と考えられる。「淤」は「大」の音約、「美豆」は「水」、「奴」は「主」で、名義は「偉大な水の主」とされる[2]

『出雲国風土記』に国引きを行った八束水臣津野命(ヤツカミズオミツノ)の別名として意美豆努命(オミヅヌ)とあることから、この二神は同一神と考えられる[3]

長浜神社においては八束水臣津野命と淤美豆奴神を別神として扱っており、それぞれ国引きの神、妙見の神として祀っている。

北居都神社(岡山県岡山市東区東平島)では須佐之男命の御子神とされ、弟の衝鉾等乎留比古命と共に開拓神として祀られている。

八束水臣津野命[編集]

『出雲国風土記』意宇郡の条に記載されている国引き神話の主人公で、風土記の中で須佐能袁命や大穴持命との系譜に関する記述はない。

ただし赤衾伊農意保須美比古佐和気能命という御子神がいるとされる。

八束水臣津野命は「八雲立つ出雲の国は、狭い布のような国であることよ。最初に国を小さく作ってしまった。それ故、作って縫いつけよう」と言った。そして新羅・高志など各地の岬を切り取って綱で引き、繋ぎ合わせて出雲国を大きくしたとされる。

また島根の地名由来や杵築宮の起源としても登場する。

赤衾伊農意保須美比古佐和氣能命の父として[編集]

息子神には、「和氣能命(別神)」という名がつくのだから、八束水臣津野命には「(赤衾)伊農意保須美比古(犬意保住彦)」(意保に住む犬神)という名があるのではないだろうか。っそして、その名を持つのであれば、この神も犬神といえると考える。

系譜[編集]

深淵之水夜礼花神が天之都度閇知泥神を娶って産んだ神で、布怒豆怒神の娘の布帝耳神を娶って天之冬衣神を産んでいる。

出雲国風土記には赤衾伊農意保須美比古佐和気能命という御子神がいるとされる。

長浜神社では八束水臣津野命と布帝耳神の子とされている。

龍岩神社[編集]

現在の祭神は八束水臣津野命。島根県邑智郡邑南町八色石にある神社。境内の由緒書きが興味深い。

八束水臣津野命あもりまし時、ひとりの姫神(御名は石見天豊足柄姫命)あらはれて、告げていはく、此国に八色石あり。山をから山となし、川を乾川となし、蛇と化けて、常に来て民をなやますと。命国蒼生の為に之を亡さやと、おもほして、姫神のたつきのまにまに、其所に到り、其石を二段に切たまへば、其首、飛去て邑智郡の龍石となり、其尾は裂て、這行美濃郡角石となる。是より国に禍なしとて、姫神いたく喜悦て、やがて吾庵にいざなひて種々にもてなしつ。かれ命いなみあへで庵にやどりて、夜明けて見たまへば、其姫編み忽然にかはりて、一の磐となりき。命訝しくおもほして、此はあやしきいばみつる哉と、のりたまひき、かれいはみといふ龍石といへるは、邑智郡に八色石村といふ駅ありて、その所の荘屋野田鹿作が家の上なる山に、八色の石のあなるを、やがて神体として祭れるなん龍石なりき。其祭れる事の基を聞くに、此石ともすれば、人に祟て、えならぬ。蒼生の嘆ともかくも、しのびがたかりしを、公にきこしめして、素佐鳴尊を祭りそへたまひしより、祟らずなりしとかや。三月三日祭日也。上ること八丁、岩の形よく観に、うへの蛇の頭の如し。山を下て、鳥居の前なる田中に一つの岩のあなるをば切まま時たばしりし血の、化れりし也といふ。また一丁上て川中に夫婦石とて、二つあなる、是も血の飛び散りて化りしと語伝たり。[4]

管理人が現代的に訳してみた。

八束水臣津野命が天から降りられた時、ひとりの姫神(御名は石見天豊足柄姫命)が現れて、告げられた。「此国に八色石という石があります。山を干山となし、川を乾川となしに化けて、いつもやってきては民を悩まします。」命は人々のためにこれを滅ぼそうと思い、姫神に案内させて八色石を2つに切った。すると、その首は飛び去って邑智郡の龍石となり、その尾は裂けて這っていき、美濃郡の角石となった。「これで国から災いがなくなりました。」と姫神はたいそう喜んで、命を館に誘いさまざまにもてなした。命が館に宿泊し、夜が明けてみると、姫神は岩と化していた。命はいぶかしく重い、「これは怪しいことだ。」と仰せられた。
龍石というのは、邑智郡に八色石村という駅があって、駅の荘屋・野田鹿作の家の裏山に、八色の石があったのを、神体として祀ったのが龍石である。その理由は、この石がともすれば人に祟って、よくなかったからだ。人々の嘆きが大きいので、役所が素佐鳴尊を添えて祀ったところ、祟りはなくなったとのことだ。三月三日が祭日である。山に上ること八丁、岩の形をよく見ると、蛇の頭のようである。山を下て、鳥居の前にある田中に一つの岩があるが、これは蛇を切って飛び散った血が、変化したものだという。また山に一丁上ると、川中に夫婦石とて、二つの石がある。是も血が飛び散って変化したものだと語り伝えている。

他に

神社裏にある龍の頭に似た巨岩は、八岐の大蛇が退治された際に飛んできた首が石になったもので、この石が八色に輝き害をもたらしたのを、八束水臣津野命が退治したと伝えられている。龍岩の頂部の窪みに祭日(旧暦3月3日)に水が無いと干ばつになると言われている。

という伝承もあるようである[5]

私的解説[編集]

石見天豊足柄姫命が「石に変じる」という設定の神話は、

という3つの神話が複合してできたものと考える。(詳細は石見天豊足柄姫命の項を参照のこと。)

私的解説[編集]

石見天豊足柄姫命の伝承は前述の通り、大きく分けて3つの伝承が融合しているものと考える。

その内、八束水臣津野命が関係するのは

という2つの伝承である。後者の方は、本物語でははっきりとは書かれず、「匂わせ」的な内容となっている。前半では、八束水臣津野命は、干ばつの神と戦い、女神を助ける黄帝型神なのだが、後半は須佐之男命に似た妻殺しの神となって祝融型神へと変貌してしまっている。これは何故なのだろうか。

殺された八束水臣津野命[編集]

管理人が思うに、この物語には暗に

というエピソードが含まれているのではないか、と思う。この場合、実は石見天豊足柄姫命と悪しき蛇神が夫婦で、かつ八束水臣津野命が彼らの親神だ、という設定になると思われる。石見天豊足柄姫命と悪しき蛇神が夫婦だったという名残は、川の中の「夫婦石」にあるように思う。石見天豊足柄姫命と八束水臣津野命が「父娘」だったという点は、石見天豊足柄姫命の名に「」という文字があって、犬女神だと思われることと、八束水臣津野命の息子神に犬神がおり、その名から八束水臣津野命も犬神だと推察されることから、八束水臣津野命の一家は「犬神」の一家であり、石見天豊足柄姫命もその一族ではないか、と思われる点である。

八束水臣津野命は、悪しき蛇神でかつ息子神である物を殺して、干ばつが起こる力を抑えこんだのだけれども、それはそれで、そのやり方に不満でもあったのか、娘女神は父親に対して殺意を抱いた、とでも言えば良いのだろうか。少なくとも神話作者にはそのような意図があったのかもしれないと思うのだ。

日本の神霊に対する概念として「非業の死を遂げた物は怨霊(祟り神)になる。」というものがある。八束水臣津野命石見天豊足柄姫命に殺されたので、怨霊となって逆に石見天豊足柄姫命を殺してしまったのではないだろうか。須佐之男命大宜都比売ではないけれども、女神のささいな行動を「害意あり」とみなしてしまったのではないか、とも思う。

その結果[編集]

1つには、八束水臣津野命が、悪しき災害神(怨霊)になって祟るので、これを鎮める祭祀が必要とされると考える。2つめには石見天豊足柄姫命も悪しき災害神(怨霊)になって祟るので、これもまた鎮める祭祀が必要とされるのではないだろうか。

祀る神社[編集]

  • 長浜神社(島根県出雲市西園町)
  • 富神社(とびじんや)(島根県出雲市斐川町富村)、祭神は八束水臣津野命、天之冬衣命。
    八束意美豆努神、国引神事後、神名火山の嶺より地理を見て「八雲立出雲八重垣云」御歌唱え給いて神門水海に近くこの豊かな土地と鎮座し出雲社とした[6]
  • 諏訪神社(島根県出雲市別所町)
  • 國村神社(島根県出雲市多伎町久村)
  • 須多神社(島根県松江市東出雲町須田)
  • 佐比売山神社(島根県大田市鳥井町鳥井)
  • 龍岩神社(島根県邑智郡邑南町八色石)
  • 北居都神社(岡山県岡山市東区東平島)
  • 金持神社(鳥取県日野郡日野町金持)
  • 美濃夜神社(三重県津市芸濃町雲林院)

富神社・伝承[編集]

富家は、「向家」ともいい、かつては「出雲家」「出雲臣家」と呼ばれてた。出雲王国時代は西出雲王家として「神門臣家」が、東出雲王家として「富家」が治めていたと云う。今は「天穂日」の末裔と称する出雲国造家が「出雲臣」を名乗っている。

主祭神は「八束水臣津野命」(ヤツカミヅオミヅノミコト/ 神門臣家)、「天之冬衣命」(アメノフユキヌノミコト / 富家)、合祀祭神として「足名椎命」(アシナヅチノミコト)、「手名椎命」(テナヅチノミコト)、「稲田姫命」(イナタヒメノミコト)、「國忍富命」(クニオシトミノミコト/ 富家)、「布忍富鳥鳴海命」(フオシトミトリナルミノミコト / 富家)。

「富家」は富村に、「富神社」を建てて、熊野大社の祭神を移したと云う。熊野大社の祭神とは出雲王朝の始祖「八耳命」と后「稲田姫命」だとのこと。スサノオは支那秦国から渡来した「徐福」のことであり、彼が妻としたのは8代出雲王「大国主」の娘「高照姫」だった。

富家は富神社に、さらに中興の祖「事代主」も祀ったが、富家は杵築大社や美保神社、塩治八幡宮の管理で多忙であったため、富神社の管理は地元に任せた。今は祭神が変えられてしまっていると云うことだ[7]

私的考察[編集]

イラクのハトラから出土したバフラム(ネルガル)の浮き彫り(シンクレティック・パルティア)紀元1、2世紀のもの。イランの英雄神バフラムウルスラグナ)のレリーフとのこと。名前よりウルスラグナとは北欧神話のオーディンのことと考える。

「謎の出雲帝国」(吉田大洋著、徳間書店、1980)で有名な富神社である[8]。出雲はむしろ調べれば調べるほど「賀茂」な気がするのだけれども、大国主命とその周辺が特異な神々であることは事実と考える。風葬があること、八束水臣津野命が水神であり、英雄神的な性質を持つこと、大国主命の冥界流譚は印欧語族の民話に良く見られる話であること、蛇神信仰が強いことから、富氏はイラン系の人々ではないかと個人的には考えている。八束水臣津野命はアフラ・マズダ兼バフラム、天之冬衣命はミスラ、稲田姫命はアナーヒターと言えなくもないだろうか。アナーヒター女神は王権神授にも関連した女神であって、男性に自らの権威を授けることのできる女神ともいえる。稲田姫命は須佐之男命に自らの権威を与えて八俣遠呂智を退治させる。

またバフラムのレリーフを見ると、彼は白と赤と黒の犬を連れている。八束水臣津野命の子神には赤犬がいる。高野御子神のように白と黒の犬を連れた神の伝承もある。

ミスラは、イラン高原での信仰の実態は定かではないが、少なくともローマのミトラスは「冬至に復活する冬の太陽」という性質を持っていた。

記紀神話では、鳥鳴海神は大国主命の子神で、國忍富命の父神とされている。富氏の主張としては

八束水臣津野命 → 天之冬衣命 → 大国主命 → 布忍富鳥鳴海命 → 國忍富命 → 富氏

となろうか。イランの王書と比較したら

フェリドゥーン → サーム → ザール(白犬) → シームルグ → ロスタム(甘基王) → 富氏

と変換できるように思う。ここに挙げたイランの古代の王達はサーサン朝よりも前の王と考えられているので、アケメネス朝の始祖伝承ではないか、と考える。「親に捨てられた」という伝承を持つザールは、「犬祖王」と述べる資格を持つように思うので、サームは赤衾伊農意保須美比古佐和氣能命に相当する神で良いと考える。一方蛇王を外祖父に持つロスタムは中国神話でいうところの甘基王と考える。神話的な事績に乏しいが、國忍富命がロスタムで良いように思う。布忍富鳥鳴海命は國忍富命の「育ての親」のシームルグと考える。民間伝承では、この霊鳥は女神として語られることが多いのだが、神話では男神とされる。王書でもそうだし、富氏神話でもそうだとすれば、これは民間伝承を経ずに、「神話が直接伝播したもの」と考ええるしかないのではないだろうか。興味深いことだが、埼玉県鴻市の鴻神社のコウノトリは女神と思われるので、イラン系神話の霊鳥が民間伝承化したものは女神に戻ってしまっているように思う。そちらの方が本来の姿なのだと考える。


ということで、出雲王家の始祖と言われる「八耳命」とは何なのか、ということになるのだが、富氏神話を総合して考えれば、「天之冬衣命」のこと、となるのではないだろうか。これは記紀神話の神八井耳命に相当する神と考える。管理人の考えでは、神八井耳命阿遅鉏高日子根神と同じ神であり、この神は須佐之男命も同然なので、神八井耳命須佐之男命であって、その妻が稲田姫命であっても、個人的には違和感を覚えない。(この点についての考察は「天若日子」を参照のこと。)

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

脚注[編集]

  1. 國學院大学 古事記学センター 天之都度閇知泥神
  2. 新潮日本古典集成 古事記 付録・神名の釈義
  3. 『日本大百科全書』においても同一視している
  4. 龍岩神社、のりちゃんず(最終閲覧日:24-12-04)
  5. 龍岩神社、広島公式観光サイト(最終閲覧日:24-12-27)
  6. 富神社、島根県神社庁(最終閲覧日:24-12-27)
  7. 富神社:八雲ニ散ル花 12、偲フ花(最終閲覧日:24-12-27)
  8. 管理人はこの本は持っているわけですが、シュメール? ペルシャじゃなくて? と思ってその先はあまり読んで・・・な・・・すみません(汗)。