「葛木二上神社」の版間の差分

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創建の年代等は不詳である。二上山には石器の素材となる讃岐岩(サヌカイト)の層があり、古くから周辺に人が住んでいたものとみられる。文献の初出は、『日本三代実録』の貞観元年(859年)正月27日条、当社に従五位上の神階を授けるという記述である。延喜式神名帳では「大和国葛下郡 葛木二上神社二座」と記載され、大社に列している。
 
創建の年代等は不詳である。二上山には石器の素材となる讃岐岩(サヌカイト)の層があり、古くから周辺に人が住んでいたものとみられる。文献の初出は、『日本三代実録』の貞観元年(859年)正月27日条、当社に従五位上の神階を授けるという記述である。延喜式神名帳では「大和国葛下郡 葛木二上神社二座」と記載され、大社に列している。
  
[[當麻寺]][[中之坊]]所蔵の「当麻寺付近絵図」には二上山の雌岳に[[神蛇大王]]([[竜王]])を祭る社もあったことが記されており、現在は中之坊鎮守として遷座され、境内[[稲荷神社]]末社に竜王社の小祠となったとの伝承がある。当社との関係は不明。
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當麻寺中之坊所蔵の「当麻寺付近絵図」には二上山の雌岳に[[神蛇大王]](竜王)を祭る社もあったことが記されており、現在は中之坊鎮守として遷座され、境内稲荷神社末社に竜王社の小祠となったとの伝承がある。当社との関係は不明。
  
近世には当社は「岳の[[権現]]」と呼ばれ、二上山からの水流を利用する数十か村の岳郷の氏神であった。明治6年(1873年)4月に郷社に列格した。
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近世には当社は「岳の権現」と呼ばれ、二上山からの水流を利用する数十か村の岳郷の氏神であった。明治6年(1873年)4月に郷社に列格した。
  
 
==境内==
 
==境内==
現在の社殿は、[[1974年]]([[昭和]]49年)の二上山大火で焼失し、翌1975年に再建されたもので、内部には小さな榊の御神体がある。本社の東側に[[大津皇子]]の墓がある。
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現在の社殿は、1974年(昭和49年)の二上山大火で焼失し、翌1975年に再建されたもので、内部には小さな榊の御神体がある。本社の東側に大津皇子の墓がある。
  
 
山麓の[[葛木倭文坐天羽雷命神社]](倭文神社)に、相殿神として当社の大国魂神が祀られている。
 
山麓の[[葛木倭文坐天羽雷命神社]](倭文神社)に、相殿神として当社の大国魂神が祀られている。
  
 
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==祭事==
旱魃の年には岳郷によって「嶽の神様 [[幟]]がお好き、幟持てこい、雨降らせ」と唱和して雨乞いの登山が行われた。現在は毎年4月23日に有志による「岳登り」が行われている。
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旱魃の年には岳郷によって「嶽の神様 '''幟がお好き'''、幟持てこい、雨降らせ」と唱和して雨乞いの登山が行われた。現在は毎年4月23日に有志による「岳登り」が行われている。
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==その他==
 
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境内(雄岳山頂)に立ち入るには美化保存協力金200円を神社に支払う必要がある。
 
境内(雄岳山頂)に立ち入るには美化保存協力金200円を神社に支払う必要がある。
  
 
==関連項目==
 
==関連項目==
*[[二上神社口駅]](にじょうじんじゃぐち)
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*[[当麻山口神社]](にじょうじんじゃぐち)
  
 
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2025年1月22日 (水) 20:33時点における最新版

葛木二上神社(かつらぎふたかみじんじゃ/かつらぎにじょうじんじゃ)は、奈良県葛城市染野の二上山雄岳山頂付近にある神社。式内社(大社)で、旧社格は郷社。「二上神社」・「葛木坐二上神社(かつらぎにいますふたかみのじんじゃ)」とも。

祭神[編集]

豊布都霊(とよふつのみたま)神と大国魂(おおくにたま)神を祀る。豊布都霊神が石上神宮に、大国魂神が大和神社に勧請されたという伝承がある。豊布都霊神については布都御魂の名が有名だが、何故「豊」が名前に付くのかは不明。また、武雷神と同神とされる。大国魂神は国津神の大将軍とされる。

『神社要録』には「武甕槌命、大国主命」、『神祇志』には「紀豊布都霊神、大国神」と記載されている。元々は二上山の2つの山頂・雄山と雌山にそれぞれ男神・女神が祀られていたものとみられる。

歴史[編集]

創建の年代等は不詳である。二上山には石器の素材となる讃岐岩(サヌカイト)の層があり、古くから周辺に人が住んでいたものとみられる。文献の初出は、『日本三代実録』の貞観元年(859年)正月27日条、当社に従五位上の神階を授けるという記述である。延喜式神名帳では「大和国葛下郡 葛木二上神社二座」と記載され、大社に列している。

當麻寺中之坊所蔵の「当麻寺付近絵図」には二上山の雌岳に神蛇大王(竜王)を祭る社もあったことが記されており、現在は中之坊鎮守として遷座され、境内稲荷神社末社に竜王社の小祠となったとの伝承がある。当社との関係は不明。

近世には当社は「岳の権現」と呼ばれ、二上山からの水流を利用する数十か村の岳郷の氏神であった。明治6年(1873年)4月に郷社に列格した。

境内[編集]

現在の社殿は、1974年(昭和49年)の二上山大火で焼失し、翌1975年に再建されたもので、内部には小さな榊の御神体がある。本社の東側に大津皇子の墓がある。

山麓の葛木倭文坐天羽雷命神社(倭文神社)に、相殿神として当社の大国魂神が祀られている。

祭事[編集]

旱魃の年には岳郷によって「嶽の神様 幟がお好き、幟持てこい、雨降らせ」と唱和して雨乞いの登山が行われた。現在は毎年4月23日に有志による「岳登り」が行われている。

その他[編集]

境内(雄岳山頂)に立ち入るには美化保存協力金200円を神社に支払う必要がある。

関連項目[編集]