当麻山口神社

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当麻山口神社(たいまやまぐちじんじゃ)は、奈良県葛城市當麻(大和国葛下郡當麻村)にある神社。現在の祭神は天津彦火瓊瓊杵命、木花佐久夜比売命、大山祇命である。二上山の麓に鎮座する。

概要[編集]

二上山(にじょうさん)の麓に位置することから山の神「大山祗命」祀っていたが、平安時代の末期に天津日高日子番能邇邇芸命、木花之佐久夜毘売のご夫婦二柱を合祀した。

境内に摂社「當麻都比古神社(たいまつひこじんじゃ)」、鳥居からの参道に末社「春日若宮神社」がある。

一の鳥居北側付近は、蹴早の屋敷跡と伝えられている。朱塗りの二の鳥居は二上山にある大津皇子の墓の方角を向いている、とされる。

摂社など[編集]

當麻都比古神社:祭神:麻呂子皇子、當麻津姫。式内社「當麻津比古神社」は当社に比定されている。麻呂子皇子は用明天皇の第3皇子、聖徳太子の異母弟。母は、葛城当麻倉首比里古(かつらぎのたぎまのくらのおびとひろこ)。葛城国造の子孫・ 葛城直磐村(いわむら)の娘とされる。麻呂子皇子は、母の出身地からとって当麻皇子(たいまのみこ)ともいわれたようだ。

當麻津姫は当麻皇子の妻・舎人皇女や当麻皇子の母・葛城(当麻)広子のこととされるようである。ただし、古い由緒書には「當麻津姫」の名はなく、麻呂子皇子とあわせて祀られているのは日子坐王(ひこいます)である。日子坐王の子の小俣王(おまたのみこ)は当麻勾君(たいまのまがりのきみ)の祖とされる。

春日若宮神社:祭神:天忍雲根命

歴史的概要[編集]

『延喜式』神名帳の大和国・山城国には「○○山口(坐)神社」と称する神社が15社記載されており、その中の一つが当社である。他の「○○山口(坐)神社」と同様、水源となる山間の地に山の神を祀り国家的に管理・祭祀したものと思われる。「○○山口(坐)神社」は全て『延喜式』臨時祭の祈雨神祭八十五座に加えられており、このことからも「○○山口(坐)神社」が水を司る神として朝廷から重視されたことが窺える。

当社は二上山・雌岳の東麓に立地しており、この山の水源や樹木を守護する神であったと共に、非常に古くからあったと思われる近隣の「當麻寺」と合わせて当地における聖域として信仰されたことが窺える。江戸時代以前には「新宮」と呼ばれると共に「熊野権現社」とも呼ばれていた。このため一時期は熊野神を祀っていたと思われるものの、現在はそのような形跡はない。

『先代旧事本紀』にはニギハヤヒが降臨する際に随伴した二十五部の天物部の中に「当麻物部」が見え、当地に物部氏の一族が居住していたことが考えられる。一説にはこの「当麻物部」が奉斎したのが当社であったともされる。

『日本書紀』によれば垂仁天皇の御代に大和国當麻邑において「当麻蹴速」なる人物がおり野見宿禰と角力の勝負をしたことが見えている。この勝負により蹴速は死亡し野見宿禰の勝利となり、蹴速の領地は没収されて野見宿禰のものとなったと記されている[1]

私的考察[編集]

参考文献[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. 当麻山口神社 (奈良県葛城市當麻)、神社巡遊録(最終閲覧日:25-01-21)