「愛宕神社(和泉国)」の版間の差分
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(ページの作成:「'''愛宕神社'''(あたごじんじゃ)は、大阪府堺市中区福田にある神社。式内社火雷神社跡地。 戦後陶荒田神社とは無関係で、…」) |
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祭神については「神社明細帳」が別雷大神としている。「山城国風土記」逸文によると、角宮神社(式内社 乙訓坐火雷神社)は八柱のうちの胸に生じた「[[火雷大神|火雷神]]」が祀られているとし、「[[火雷大神|火雷神]]」は後に「丹塗矢」となり賀茂建角身命(賀茂御祖神社の祭神)の御子である玉依日売の側に流れ寄り、[[賀茂別雷命]](賀茂別雷神社の祭神)が生まれたと記されている。 | 祭神については「神社明細帳」が別雷大神としている。「山城国風土記」逸文によると、角宮神社(式内社 乙訓坐火雷神社)は八柱のうちの胸に生じた「[[火雷大神|火雷神]]」が祀られているとし、「[[火雷大神|火雷神]]」は後に「丹塗矢」となり賀茂建角身命(賀茂御祖神社の祭神)の御子である玉依日売の側に流れ寄り、[[賀茂別雷命]](賀茂別雷神社の祭神)が生まれたと記されている。 | ||
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+ | 「神名帳考証」には[[葛城国造|伊古比都幣尊]]が祭神とある。 | ||
また「和泉国式神私考」は火之夜藝速男神(カグツチ神のこと)を宛てていう。 | また「和泉国式神私考」は火之夜藝速男神(カグツチ神のこと)を宛てていう。 |
2025年1月19日 (日) 05:19時点における版
愛宕神社(あたごじんじゃ)は、大阪府堺市中区福田にある神社。式内社火雷神社跡地。
戦後陶荒田神社とは無関係で、百坪足らずの旧社地の一隅に小祠を建て、愛宕神を勧請して祭る個人が現われ、現在は旧地に愛宕神社が祀られている。
火雷神社について
火電神社。和泉国大鳥郡鎮座。
社名がよく分からない神社である。「国史大系本」では火電神社と記して「いなひかり」と読みを振っているが。本文では「九條家本・金剛寺本・吉田家本ともに「大電神社」と記し、前二者は「イナヒカリノ」、吉田家本は「イナヒカリ」と訓む。しかし近世では「火雷神社」となり、「ホノイカヅチノ」と訓むよやうに変つてしまった。「大」と「火」、「電」と「雷」は誤読・誤写しやすい文字であるが、「イナヒカリ」と「ホノイカヅチ」の字義は全く別であるから、社名の称呼により祭神にも移動があつたものと考えられる。」とある。
結局「大」と「火」、「電」と「雷」をどう組み合わせれば良いかは不明である。近世の俗称は「愛宕地藏権現」、または「愛宕大権現」であり、明治以後も「愛宕さん」と呼ばれていた。由緒は不詳。明治41年2月、延喜式内社陶荒田神社へ相殿合祀された。
近年まで日照りが続くと祈りが捧げられていたと伝わる。
祭神
祭神については「神社明細帳」が別雷大神としている。「山城国風土記」逸文によると、角宮神社(式内社 乙訓坐火雷神社)は八柱のうちの胸に生じた「火雷神」が祀られているとし、「火雷神」は後に「丹塗矢」となり賀茂建角身命(賀茂御祖神社の祭神)の御子である玉依日売の側に流れ寄り、賀茂別雷命(賀茂別雷神社の祭神)が生まれたと記されている。
「神名帳考証」には伊古比都幣尊が祭神とある。
また「和泉国式神私考」は火之夜藝速男神(カグツチ神のこと)を宛てていう。
参考文献
- 愛宕神社、延喜式神社の調査(最終閲覧日:25-01-19)
- 愛宕神社 (堺市中区福田)、かむながらの道、~天地悠久~(最終閲覧日:25-01-19)