「久留須神」の版間の差分

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=== 御栗栖神社(みくりす) ===
 
=== 御栗栖神社(みくりす) ===
京都府'''宇治'''田原町南地区に鎮座する旧郷社で、祭神は天津彦根命、現在は南地区の氏神「一の宮」として「田原祭(三社祭)」を構成する三社のひとつです。
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京都府'''宇治田原'''町南地区に鎮座する旧郷社で、祭神は天津彦根命、現在は南地区の氏神「一の宮」として「田原祭(三社祭)」を構成する三社のひとつです。
 
社伝では、弘安6年(1283年)6月、荒木の大宮神社から分祀されたのを起こりとされていますが、それより古い時代に豪族が土地を寄進した記録もあり、正確な創建年代は定かではありません。
 
社伝では、弘安6年(1283年)6月、荒木の大宮神社から分祀されたのを起こりとされていますが、それより古い時代に豪族が土地を寄進した記録もあり、正確な創建年代は定かではありません。
  

2025年1月4日 (土) 14:43時点における版

久留須神(くるすしん)は、長野県の神。八杵命あるいは八縣宿禰神の子神とされる。事績などは不明。縣諏訪神社(長野県東御市常田字伊豆宮)の祭神と伝わる。

関連すると思われる神社

久奈子神社

島根県出雲市古志町にある神社。式内社・出雲國神門郡久奈爲神社(くないじんじゃ)。祭神:伊邪那美命、合祀:速玉男命(久奈子社)、武甕槌命(三武社)、大年命(大年社)、事解男命(久奈子社)、誉田別命(八幡宮)、保食命(櫃森社)、合殿:建御名方命(諏訪社)。出雲国風土記記載の、久奈爲社、久奈子社、同久奈子社を合わせたもの。栗栖山(久留須山)にある。

御栗栖神社(みくりす)

京都府宇治田原町南地区に鎮座する旧郷社で、祭神は天津彦根命、現在は南地区の氏神「一の宮」として「田原祭(三社祭)」を構成する三社のひとつです。 社伝では、弘安6年(1283年)6月、荒木の大宮神社から分祀されたのを起こりとされていますが、それより古い時代に豪族が土地を寄進した記録もあり、正確な創建年代は定かではありません。

栗栖神社(くりす)

愛知県犬山市大字栗栖字大平にある神社。祭神:宇麻志麻知命(栗栖連饒速日命の子)[1]

関連すると思われる地名

国巣・吉野

石押分之子(いわおしわくのこ)は、『古事記』、『日本書紀』に記述される大和国の国津神。『紀』では、磐排別之子と表記される。吉野の国巣(くず)の祖(『紀』では、国巣部(ら)の始祖(もとつおや)なりと記される)。

『記』の記述には、神武天皇が東征のおり、熊野から吉野(大和)へ入り、3番目に出会った国津神とされ、山に入った所で岩を押し分けて出て来た上、2番目に出会った井氷鹿と同様に尾が生えていた(有尾人だった)ので、天皇がお前は誰かと問うと、「私は国津神で、名を石押分之子」と答え、「今、天津神の御子である天皇の行幸と聞き、迎えに参じた者です」と説明した(『紀』に、宇陀の穿邑から軽装の兵をつれ、巡幸した際の事と記す)。

また国栖(くず)とは「くにす」がつまった語であり、「国を住み家とする者」の意で、「国津神を祀る人々」を指す[2]、という説がある。

吉野には多古という地名がある。

備考

  • 国栖の記述として、大和国吉野とは別に、『常陸国風土記』茨城郡の条にも先住民としての国栖の説明がある。それによれば、「国栖(くず)とは俗(くにひと)の語(ことば)で都知久母(つちぐも)」とあり、『風土記 日本古典文学大系』(岩波書店、第14刷1971年、p.46)の脚注4によれば、「土蜘蛛とは土神であり、土着神(国津神)」とする、とある。
  • 『古事記』では、のちに大和国の忍坂(現桜井市)においても尾の生えた土雲(表記は原文ママ)と遭遇しているが、恭順した吉野の国津神とは異なり、久米の歌を歌った八十猛によって斬殺されている。
  • 星野良作は、応神紀の吉野行幸の際に国栖が来朝した記事が、神武紀と共通性があることから、神武紀の記述は、応神(仁徳)期の史実が反映されたものではないかと考える[3]

参考文献

  • 継子神を探せ、八ヶ岳原人(最終閲覧日:24-12-30):郷土の神々に対する探究心と行動力が素晴らしい、と感じるサイトです。詳細な資料に深く感謝いたします。
  • Wikipedia:八桙神社(最終閲覧日:24-12-30)
  • 八木神社、玄松子(最終閲覧日:24-12-30)

関連項目

脚注

  1. 栗栖神社、ホトカミ(最終閲覧日:25-01-04)
  2. 武光誠 『古事記・日本書紀を知る辞典』 東京堂出版 再版2000年(初版1999年) ISBN 4-490-10526-6 p.244.
  3. 『別冊歴史読本 特別増刊 24《これ一冊でまるごとわかる》シリーズ5 古代天皇家の謎』 新人物往来社 1993年 p.65.