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1,419 バイト除去 、 2025年1月4日 (土)
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<blockquote>昔バリになった(目から光の出る)人がいた。彼が見るものは何でも死んでしまった。配下は彼を恐れて、山の中に家を作り、彼をそこへ送った。しかし、食べ物は与えていた。その費用が大変なので、バリを殺そうとした。バリは切りつけられると、怒って睨みつけたので、切りつけた本島人は死んでしまってわずかしか残らなかった。バリが死んだので、首を取って布に包み、家に持ち帰った。ところが、見物に来た人たちはみなバリの目を見ると死んでしまった。「これはいけない」ということで生き残った人々は首を川へ持って行って淵の中に入れた。それからそこは常に不吉で、そこへ行くとみな病気になるそうだ<ref>神々の物語、台湾原住民文学選5、紙村徹編、草風館、2006、p323、『原語』pp271-273</ref>。</blockquote>
=== 私的解説 ===台湾のバルン神話は、三輪山の大物主と倭迹迹日百襲姫の婚姻譚に似る。こちらの場合、家族が娘の姿を見てはならないことになっている。そして、おそらくバルンは夫の後を追って入水したと思われるけれども、その点ははっきりしていない。彼女が「形見の品」として家族に首飾りなどを残すのは、朝鮮の伝承の「[[肥長比売|龍女]]」に似る。 そして、彼女に温かい食事を供すると、狩りの獲物が増えるとされている。この部分は、かつてバルンが狩猟民的な民族の「'''太陽女神'''」だったことの名残かと思う。温かい食事を求めるのは、温かいものでないと彼女を暑くできない、とされていたからかもしれないと思う。(彼女に対する生け贄を焼いたことの名残かとも考える。) 前半部分は、[[肥長比売]]の伝承よりはエンリルとニンリル的な雰囲気が良く出ている、と考える。バルンが湖に飛び込むのは、「'''大洪水'''」の暗喩も含まれているかと思う。オーストロネシア語族が中国本土を離れる際には、[[バロン]]とダロン、言い換えれば[[伏羲]]と[[女媧]]は、すでに「'''蛇形の神'''」とされていたことが分かる。 タロマク社のバルンと、ミャオ族の[[バロン]]は当然同じ起源の神と考える。台湾原住民の「邪視」男は、その眼が赤く、怪しい
== 関連項目 ==

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