では、例えば、「蘇民将来」の伝承のように、'''疫神が自ら地上に降りてきて'''、彼に不快な出来事が起きたらどうなるのだろう。彼は不快を与えた相手に病気や苦痛をもたらすかもしれない。それは神が起こす作用ではあるが、それも「邪視」の一種ではないだろうか。疫神が助けたいと思う相手にだけ、自らの毒気を防ぐ方法を教えたなら、それが「お守り」であり「お札」である。人を弱らせるのは疫神の性質なのだから、神であっても、防ぐ方法は教えられるが、自らの作用を抑制することはできないのかもしれない。「邪視」とはそういうものなのではないだろうか。
ということは「邪視よけ」とされる「目」や「男根」のお守りは、「良き神」あるいは「疫神」の一部であって、いずれかの神と持ち主が一体となる、という意味を持つアイテムなのではないだろうか。「良き神」と一体化すれば、その力で疫神を追い払うことができる。「疫神」と一体化すれば、疫神そのものは自らの能力から害を受けないのだから病気にならなくなる。
そして「お守り」というものには、ごくささやかだけれども、[[人身御供]]的な側面があるように思う。その能力を手に入れるためになにがしかの対価が必要とされるからである。
== 地域毎の邪視 ==