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− | '''蚊屋島神社''' | + | '''蚊屋島神社'''(かやしまじんじゃ)は鳥取県西伯郡日吉津村日吉津にある神社。現在の祭神は[[天照大御神|天照皇大神]]、[[下光比売命|高比賣命]](タカヒメノミコト)。合殿:[[豊受大神|豊受姫命]]、[[年神|大年神]]、天萬栲幡豊秋津姫命、天手力雄命、'''[[天若日子|天若彦神]]'''。合祀:級長津彦命、月夜見命、猿田彦大神、神倭姫命、'''天太玉命'''、素盞鳴尊、大己貴命、事代主神、'''金山彦神''' |
鳥取県西部を流れる'''日野'''川の下流にひらけた箕蚊屋平野の中央部に鎮座し、現在の日吉津村よりも広い地域に及ぶ蚊屋庄29か村の産土神(うぶすながみ)である。蚊屋の「島」というように、わずかな微高地を示す場所に位置している。日野川は歴史を通じて幾度も氾濫(はんらん)を起こして流路を変えており、蚊屋島神社もその被害に幾度もあっている<ref>[https://www.hiezu.jp/list/kyouiku/e123/y114/a171/ 蚊屋島神社について]、日吉津村HP(最終閲覧日:24-12-27)</ref>。 | 鳥取県西部を流れる'''日野'''川の下流にひらけた箕蚊屋平野の中央部に鎮座し、現在の日吉津村よりも広い地域に及ぶ蚊屋庄29か村の産土神(うぶすながみ)である。蚊屋の「島」というように、わずかな微高地を示す場所に位置している。日野川は歴史を通じて幾度も氾濫(はんらん)を起こして流路を変えており、蚊屋島神社もその被害に幾度もあっている<ref>[https://www.hiezu.jp/list/kyouiku/e123/y114/a171/ 蚊屋島神社について]、日吉津村HP(最終閲覧日:24-12-27)</ref>。 | ||
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社名は、近世には日吉津大神宮(ひえづだいじんぐう)、伊勢宮(いせぐう)、天照皇太神宮(てんしょうこうだいじんぐう)などと呼ばれ、近世の棟札(むなふだ)には天照皇太神宮と記されている。明治初年に蚊屋島神社と改称され、現在にいたる。創立年代は不詳ですが、社領証文によって天文14年(1545)以前であると伝えられている。 | 社名は、近世には日吉津大神宮(ひえづだいじんぐう)、伊勢宮(いせぐう)、天照皇太神宮(てんしょうこうだいじんぐう)などと呼ばれ、近世の棟札(むなふだ)には天照皇太神宮と記されている。明治初年に蚊屋島神社と改称され、現在にいたる。創立年代は不詳ですが、社領証文によって天文14年(1545)以前であると伝えられている。 | ||
− | + | 近隣の旧家では現在の祭神と昔の祭神は違うと言い伝えられており、平安時代中期に成立した「日本三代実録」に記載されている伯耆国正六位上「'''天照高日女神'''」とは当社の事で、何時の頃から間違って「[[天照大御神]]」が祭られるようになったとある、とのこと。「昔の祭神」とは「天照高日女神」のことで、これが記紀神話の[[下光比売命]]の別名である高比売命(タカヒメノミコト)(古事記)のことであろう、ということで元の祭神も祀りたく思い、[[下光比売命|高比賣命]](タカヒメノミコト)も祀った、ということのようである。 | |
『鳥取県神社誌』(鳥取県神職会 編 昭和10年発行)には、 | 『鳥取県神社誌』(鳥取県神職会 編 昭和10年発行)には、 | ||
− | <blockquote>創立年代詳ならざれども、当社は旧天照高比売命を祀りしとの口碑あり。又旧神職田口家氏の伝へに、代々'''弓射る事'''と'''雉子の肉を食ふ事を厳く禁ず'''(当社の氏子鹿の肉を食はずとの伝もあり) | + | <blockquote>創立年代詳ならざれども、当社は旧天照高比売命を祀りしとの口碑あり。又旧神職田口家氏の伝へに、代々'''弓射る事'''と'''雉子の肉を食ふ事を厳く禁ず'''(当社の氏子鹿の肉を食はずとの伝もあり)。之れ[[天若日子|天若彦]]の古事に因みてなるべし。</blockquote> |
とあるとのこと。 | とあるとのこと。 | ||
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+ | === 富氏神話 === | ||
+ | 斎木雲州氏によると、出雲9代大名持の「鳥鳴海」(トリナルミ)王が祀られた神社とのこと。鳥鳴海王は亡くなった後、伯者国日吉津の蚊屋島神社に祀られたので「[[加夜奈留美命|賀夜奈流美命]]」(カヤナルミノミコト)とも呼ばれた。その社には、事代主命や[[下光比売命|高照姫命]]・[[下光比売命|下照姫命]]も共に祀られたと伝わっている、とのことである<ref> [https://omouhana.com/2017/12/09/%E8%9A%8A%E5%B1%8B%E5%B3%B6%E7%A5%9E%E7%A4%BE%EF%BC%9A%E5%85%AB%E9%9B%B2%E3%83%8B%E6%95%A3%E3%83%AB%E8%8A%B1%E3%80%8029/ 蚊屋島神社]:八雲ニ散ル花 29、五条 桐彦(CHIRICO)(最終閲覧日:24-12-28)</ref>。 | ||
== 私的考察 == | == 私的考察 == | ||
− | + | 管理人は「[[田子]]」という言葉、「[[日置氏|日置]]」に類する言葉、「[[阿陀加夜努志多伎吉比売|加夜]]」に類する言葉には、賀茂系の'''人身御供に関する文化'''、'''太陽女神を変容せしめる文化'''に共通するキーワードとして追っているのだが、三拍子そろっている神社である。「[[日置氏|日置]]」に関しては「日野川」がある。「[[田子]]」に関しては「'''高'''比売」という女神がいる。「加夜」には「蚊屋」という地名がある。合祀されている'''天太玉命'''は日置神社の祭神としてたまにみられる。 | |
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+ | 問題は、古き祭神の「'''天照高日女神'''」の名であるが、名前からして太陽女神のことと思われる。そして中国の[[羿]]神話ではないが、太陽はいくつもいらないので、様々な伝承を併せれば | ||
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+ | [[天照大御神]] → 天照高日女神 → [[下光比売命]]・高比売命 → 天道日女命 | ||
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+ | はすべて、同じ「太陽女神」である、といえると考える<ref>「勘注系図」には「天道姫命 亦たの名 屋乎止女命(ヤヲトメノミコト)、亦たの名[[下光比売命|高光日女]]たこひめ命(タコヒメノミコト)、亦たの名 祖母命也」とある。([[豊受大神]])</ref>。合祀祭神に天萬栲幡豊秋津姫命の名が見え、尾張・海部氏系の氏族の存在も感じる。 | ||
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+ | '''天照高日女神'''は本来疫神を鎮める力を持つ女神で、要は[[阿遅鉏高日子根神]]を鎮める[[下光比売命]]のこと、で良いと思う。ただし、雉を弓で射たりしているのは、[[天若日子]]なので、「蚊屋」という地名からは、「加夜」すなわち「輝く夜」という意味で、星神としての[[天若日子]]あるいは大国主命が連想される。 | ||
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− | + | 富氏神話に関しては、管理人はそもそも「鳥鳴海神」とは女神で「[[養母としての女神]]」であると考えているので([[八束水臣津野命]]の項を参照のこと)、管理人にとっての「鳥鳴海神」は[[下光比売命]]も同然である。[[加夜奈留美命|賀夜奈流美命]]のことを挙げるのであれば、これは管理人にとっては大国主命のことである。「鳥鳴海神」を挙げるのであれば、'''[[阿陀加夜努志多伎吉比売|多伎吉比売]]'''の方が、「母なる女神」として「鳥鳴海神」と同じものとして相応しいと考えるが、'''[[阿陀加夜努志多伎吉比売|多伎吉比売]]'''は'''[[阿陀加夜努志多伎吉比売|阿陀加夜努志]]'''と一体化して語られているので、[[加夜奈留美命|賀夜奈流美命]]として語られているのは、[[阿陀加夜努志多伎吉比売|阿陀加夜努志]](大国主命)のことで、[[阿陀加夜努志多伎吉比売|多伎吉比売]]と性質と性別に混乱が生じて語られているのではないか、と考える。合祀祭神の中には大己貴命の名が見える。このことを指して、[[加夜奈留美命|賀夜奈流美命]]としているのではないだろうか。 | |
== 参考文献 == | == 参考文献 == | ||
* [https://www.hiezu.jp/list/kyouiku/e123/y114/a171/ 蚊屋島神社について]、日吉津村HP(最終閲覧日:24-12-28) | * [https://www.hiezu.jp/list/kyouiku/e123/y114/a171/ 蚊屋島神社について]、日吉津村HP(最終閲覧日:24-12-28) | ||
* [https://www.anejinja.com/%E5%87%BA%E9%9B%B2%E5%9C%8B%E7%94%A3%E5%9C%9F%E7%A4%BE-%E3%81%86%E3%81%B6%E3%81%99%E3%81%AA%E3%81%97%E3%82%83/%E8%9A%8A%E5%B1%8B%E5%B3%B6%E7%A5%9E%E7%A4%BE/ 蚊屋島神社](最終閲覧日:24-12-28) | * [https://www.anejinja.com/%E5%87%BA%E9%9B%B2%E5%9C%8B%E7%94%A3%E5%9C%9F%E7%A4%BE-%E3%81%86%E3%81%B6%E3%81%99%E3%81%AA%E3%81%97%E3%82%83/%E8%9A%8A%E5%B1%8B%E5%B3%B6%E7%A5%9E%E7%A4%BE/ 蚊屋島神社](最終閲覧日:24-12-28) | ||
+ | * [https://古代出雲への道.jp/category7/entry65.html#i1 高照姫命と出雲族]、夕暮れのKAKA(最終閲覧日:24-12-28) | ||
+ | * [https://omouhana.com/2017/12/09/%E8%9A%8A%E5%B1%8B%E5%B3%B6%E7%A5%9E%E7%A4%BE%EF%BC%9A%E5%85%AB%E9%9B%B2%E3%83%8B%E6%95%A3%E3%83%AB%E8%8A%B1%E3%80%8029/ 蚊屋島神社]:八雲ニ散ル花 29、五条 桐彦(CHIRICO)(最終閲覧日:24-12-28) | ||
== 関連項目 == | == 関連項目 == | ||
− | * [[阿陀加夜努志多伎吉比売]] | + | * [[阿陀加夜努志多伎吉比売]] |
+ | * [[加夜奈留美命]] | ||
== 脚注 == | == 脚注 == |
2024年12月28日 (土) 19:25時点における最新版
蚊屋島神社(かやしまじんじゃ)は鳥取県西伯郡日吉津村日吉津にある神社。現在の祭神は天照皇大神、高比賣命(タカヒメノミコト)。合殿:豊受姫命、大年神、天萬栲幡豊秋津姫命、天手力雄命、天若彦神。合祀:級長津彦命、月夜見命、猿田彦大神、神倭姫命、天太玉命、素盞鳴尊、大己貴命、事代主神、金山彦神
鳥取県西部を流れる日野川の下流にひらけた箕蚊屋平野の中央部に鎮座し、現在の日吉津村よりも広い地域に及ぶ蚊屋庄29か村の産土神(うぶすながみ)である。蚊屋の「島」というように、わずかな微高地を示す場所に位置している。日野川は歴史を通じて幾度も氾濫(はんらん)を起こして流路を変えており、蚊屋島神社もその被害に幾度もあっている[1]。
概要[編集]
「三代実録」(883年)に伯耆國正六位上天照高日女神ー略ー従五位下の記述がある。外に比定社は存在しない。
社名は、近世には日吉津大神宮(ひえづだいじんぐう)、伊勢宮(いせぐう)、天照皇太神宮(てんしょうこうだいじんぐう)などと呼ばれ、近世の棟札(むなふだ)には天照皇太神宮と記されている。明治初年に蚊屋島神社と改称され、現在にいたる。創立年代は不詳ですが、社領証文によって天文14年(1545)以前であると伝えられている。
近隣の旧家では現在の祭神と昔の祭神は違うと言い伝えられており、平安時代中期に成立した「日本三代実録」に記載されている伯耆国正六位上「天照高日女神」とは当社の事で、何時の頃から間違って「天照大御神」が祭られるようになったとある、とのこと。「昔の祭神」とは「天照高日女神」のことで、これが記紀神話の下光比売命の別名である高比売命(タカヒメノミコト)(古事記)のことであろう、ということで元の祭神も祀りたく思い、高比賣命(タカヒメノミコト)も祀った、ということのようである。
『鳥取県神社誌』(鳥取県神職会 編 昭和10年発行)には、
創立年代詳ならざれども、当社は旧天照高比売命を祀りしとの口碑あり。又旧神職田口家氏の伝へに、代々弓射る事と雉子の肉を食ふ事を厳く禁ず(当社の氏子鹿の肉を食はずとの伝もあり)。之れ天若彦の古事に因みてなるべし。
とあるとのこと。
富氏神話[編集]
斎木雲州氏によると、出雲9代大名持の「鳥鳴海」(トリナルミ)王が祀られた神社とのこと。鳥鳴海王は亡くなった後、伯者国日吉津の蚊屋島神社に祀られたので「賀夜奈流美命」(カヤナルミノミコト)とも呼ばれた。その社には、事代主命や高照姫命・下照姫命も共に祀られたと伝わっている、とのことである[2]。
私的考察[編集]
管理人は「田子」という言葉、「日置」に類する言葉、「加夜」に類する言葉には、賀茂系の人身御供に関する文化、太陽女神を変容せしめる文化に共通するキーワードとして追っているのだが、三拍子そろっている神社である。「日置」に関しては「日野川」がある。「田子」に関しては「高比売」という女神がいる。「加夜」には「蚊屋」という地名がある。合祀されている天太玉命は日置神社の祭神としてたまにみられる。
問題は、古き祭神の「天照高日女神」の名であるが、名前からして太陽女神のことと思われる。そして中国の羿神話ではないが、太陽はいくつもいらないので、様々な伝承を併せれば
天照大御神 → 天照高日女神 → 下光比売命・高比売命 → 天道日女命
はすべて、同じ「太陽女神」である、といえると考える[3]。合祀祭神に天萬栲幡豊秋津姫命の名が見え、尾張・海部氏系の氏族の存在も感じる。
天照高日女神は本来疫神を鎮める力を持つ女神で、要は阿遅鉏高日子根神を鎮める下光比売命のこと、で良いと思う。ただし、雉を弓で射たりしているのは、天若日子なので、「蚊屋」という地名からは、「加夜」すなわち「輝く夜」という意味で、星神としての天若日子あるいは大国主命が連想される。
富氏神話に関しては、管理人はそもそも「鳥鳴海神」とは女神で「養母としての女神」であると考えているので(八束水臣津野命の項を参照のこと)、管理人にとっての「鳥鳴海神」は下光比売命も同然である。賀夜奈流美命のことを挙げるのであれば、これは管理人にとっては大国主命のことである。「鳥鳴海神」を挙げるのであれば、多伎吉比売の方が、「母なる女神」として「鳥鳴海神」と同じものとして相応しいと考えるが、多伎吉比売は阿陀加夜努志と一体化して語られているので、賀夜奈流美命として語られているのは、阿陀加夜努志(大国主命)のことで、多伎吉比売と性質と性別に混乱が生じて語られているのではないか、と考える。合祀祭神の中には大己貴命の名が見える。このことを指して、賀夜奈流美命としているのではないだろうか。
参考文献[編集]
- 蚊屋島神社について、日吉津村HP(最終閲覧日:24-12-28)
- 蚊屋島神社(最終閲覧日:24-12-28)
- 高照姫命と出雲族、夕暮れのKAKA(最終閲覧日:24-12-28)
- 蚊屋島神社:八雲ニ散ル花 29、五条 桐彦(CHIRICO)(最終閲覧日:24-12-28)