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1,671 バイト追加 、 2024年12月24日 (火) 23:10
共同体の中から人身御供を選ぶ際には、犯罪者を選んだり、'''何か人と違ったところがある人'''を「共同体にそぐわない人」として血祭りに上げていたのだろう。
 
=== 愛本姫社の話との関連 ===
こちらは娘が「荒ぶる水神」の妻として人身御供になるパターンである。「父親」が人身御供になる話の方が古い時代の型であると考える。若干「自己犠牲」の精神も認められる。
 
ただ、「'''水の中に消えた娘'''」の話だから「'''水商売の女'''」に見立てるのはいかがなものなのか、という感はある。どちらも「'''自分以外の人のために苦界に身を沈める存在'''」ではあるかもしれないが。相手が大蛇であっても、真剣に恋愛に生きる純情な娘と、相手が人間であってもお金にしか見えない商売人とでは全然違うし、神に対する敬意とはなんだろう? 世界的に有名でさえあれば、何でもいいのか? やっぱり神とは金とか名声なのか? と個人的には考えてしまう。
 
ともかく、この「'''水商売をやってる豊玉毘売'''」という感の娘が、そんな風に取り扱った人間に対して、また祟りを起こしたら対処が必要、ということでエンドレスに人身御供の連鎖が続くことになり、祭祀のたびにお布施が必要になって坊主だけが肥え太る、となると立派なキリスト教神話のできあがりなのではないか、と感じるわけである。人身御供として苦界につき落とされる人が増えれば増えるほど、「魂'''だけ'''救ってやる」と言って彼らからむしり取れる収入が増えるような、おいしい「商売」はないのではないだろうか。
== 関連項目 ==

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