その後、巌氏の愛娘・'''照日'''(てるひ)は嫁いだものの、父が人柱になったショックで口がきけなくなってしまった。夫が照日を実家に帰すべく垂水の近くに来たとき、鳴き声をあげて飛び立った一羽の雉を射落とした。それを見た照日は、「ものいわじ 父は長柄の橋柱 雉も鳴かずば 射られざらまし」と詠みました。父と雉を重ね、「父は余計な事を言ったから人柱にされた、雉も鳴かなければ撃たれないのに」と。妻が口を開いたのを喜んだ夫は、雉を手厚く葬り、来た道戻りその後仲良く暮らしたという(大阪府大阪市長柄橋の伝承)<ref>[http://greenroadlongride.blog.fc2.com/blog-entry-341.html 【大阪】雉も鳴かずば撃たれまい 吹田~大阪市ポタリング2]、GREEN ROAD(最終閲覧日:24-12-23)</ref>。
== 橋に関する話 ==
=== 猿橋 ===
山梨県大月市猿橋町にある橋。
伝説によれば、奈良時代、百済の人である志羅呼(しらこ)という匠がこの地にやって来た。桂川の谷が深く、橋がつくれないので難儀していた地元の人や旅人の頼みを聞いて、志羅呼は橋を架けるためにこの地にとどまることとなった。しかし、名案もなく、困っていたところへ、渓谷を行き交う野猿が両岸から手をさしのべて、橋を造り、対岸に往来する谷渡りをしているのをみて、両岸からはね材木をせり出して橋をかけることを思いついたと言われている。しかし、実際の工事は困難を極めたため、志羅呼は夫婦で命を捧げ、人柱となって、橋を完成させたということだ<ref>[https://www.mmdb.net/usr/digiken/saruhashi/page/A0001.html 日本三大奇橋 猿橋]、NPO 法人地域資料デジタル化研究会デジタルアーカイブ(最終閲覧日:24-12-23)</ref>。
== 私的解説 ==