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175 バイト除去 、 2022年3月20日 (日) 07:57
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* 浅間山が、自分より背の高い妹の富士山に嫉妬し、土を自分にわけろといった。富士山は了解し、だいだらぼっちが自分の前掛けで土を運んだ。しかし浅間山は土の量が足りないと怒り、彼を叩いた。その際にこぼれた土が前掛山となった。怒りだした浅間山はついに噴火してしまった。
* 西の富士、東の筑波と呼ばれる関東の名山の重さを量ろうとし天秤棒に2つの山を結わえつけ持ち上げると、筑波山のほうは持ち上がったが富士山は持ち上がらない。そのうちに結わえていたつるが切れ、筑波山が地上に落ちてしまった。その衝撃でもともと1つの峰だった筑波山は、2峰になってしまったという。
* [[信濃国|信州]][[佐久郡]]で[[土]]を運んでいた時、[[もっこ]]の[[ロープ|綱]]が切れ、[[平尾山]]と糠塚山ができた信州佐久郡で土を運んでいた時、もっこの綱が切れ、平尾山と糠塚山ができた<ref>『佐久口碑伝説集北佐久編限定復刻版』発行者長野県佐久市教育委員会、全434頁中、219頁、昭和53年11月15日発行</ref>。* 富士山と[[八ヶ岳]]が背比べをして、八ヶ岳が勝ったが、それを妬ましく思った富士山に蹴られ、山が八つに割れた。それを治そうとデエダラボッチが茅で出来たもっこで土を運び、線香を杖にしたら折れてしまい、暫く置いておいたら大泉山と小泉山が出来た([[諏訪地方]]、[[茅野市]])。富士山と八ヶ岳が背比べをして、八ヶ岳が勝ったが、それを妬ましく思った富士山に蹴られ、山が八つに割れた。それを治そうとデエダラボッチが茅で出来たもっこで土を運び、線香を杖にしたら折れてしまい、暫く置いておいたら大泉山と小泉山が出来た(諏訪地方、茅野市)。* 信州[[安曇郡]]で西側の[[飛騨山脈]信州安曇郡]から削り取った土を東側の山地に運んでいた時、もっこの綱が切れ、室山ができた。西側の飛騨山脈から削り取った土を東側の山地に運んでいた時、もっこの綱が切れ、室山ができた。
=== 足あと・手のあとを残す ===
* 上州の[[赤城山]]に腰掛けて踏ん張ったときに窪んで出来た足跡が[[水たまり]]になった。木部の赤沼がそれである{{r|fushigitaizen}}。上州の赤城山に腰掛けて踏ん張ったときに窪んで出来た足跡が水たまりになった。木部の'''赤沼'''がそれである。* [[長野県]][[大町市]]北部の[[長野県大町市北部の'''青木湖]]'''[['''中綱湖]]'''[['''木崎湖]]'''からなる[['''仁科三湖]]'''はいずれもダイダラボッチの足あとである。* 遠州の山奥に住んでいたダイダラボッチが子供たちを手にのせて歩いている時に、腰くらいの高さの山をまたいだ拍子に子供たちを手から投げ出してしまった。びっくりした子供たちとダイダラボッチは泣き出してしまい、手をついてできた窪みに涙が流れ込んで[['''浜名湖]]'''となった。* 現在、[[東京都]][[世田谷区]]にある地名「[[代田 (世田谷区)|代田]]」(だいた)や{{r|Y}}、[[さいたま市]]の「[[太田窪]]」(だいたくぼ)は、ダイタ坊(ダイダラボッチ、ダーダラボッチ)の足跡に由来すると言われている現在、東京都世田谷区にある地名「代田」(だいた)や、さいたま市の「太田窪」(だいたくぼ)は、ダイタ坊(ダイダラボッチ、ダーダラボッチ)の足跡に由来すると言われている<ref>『代田のダイダラボッチ』(きむらけん著)北沢川文化遺産保存の会紀要第5号、2017年/『浦和市史民俗編』浦和市総務部市史編さん室、昭和55年、793頁。</ref>。なお、代田のダイダラボッチについては2021.3.28日に[[小田急線]]世田谷代田駅前にダイダラボッチをかたどった駅前広場が完成した。これを記念して当日づけで『巨人伝説読本 代田のダイダラボッチ』(著作28日に小田急線世田谷代田駅前にダイダラボッチをかたどった駅前広場が完成した。これを記念して当日づけで『巨人伝説読本 代田のダイダラボッチ』(著作:きむらけん、発行:世田谷代田駅 駅前広場記念事業委員会)が発行された。「代田ダイダラボッチ音頭」も作曲された。<ref>{{Cite web |title =代田ダイダラボッチ音頭=|accessdate=, 2021-03-28| url =, https://www.youtube.com/watch?v=liKqjjoN218}}</ref>
* 長野県[[戸隠山]]の[[大座法師池]]、[[三重県]][[志摩郡 (三重県)|志摩郡]]の[[大王町]]はダイダラボッチに由来する地名である{{r|YJ}}。
* [[静岡市]]のだいらぼう山頂には全長150mほどの窪みがあるが、ダイダラボッチが左足を置いた跡と伝えられている。[[琵琶湖]]から富士山へ土を運ぶ途中に遺したものであるという。

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