奈良時代に成立した『播磨国風土記』ののうち、播磨国の託賀郡(たかのこおり)(現在の兵庫県多可郡〈たかぐん〉)について記された「託賀略記」には、天が高いから楽に立って歩けると言ってこの地を好み、'''沼'''と化す数多の足跡を残した、大人(おおひと)の伝説が記されており、先述した『常陸国風土記』に所収されている“大櫛之岡の巨人伝説”(大櫛之岡の長大な人の伝説)の類型と考えられている。
<blockquote>《原 文》<ref>※縮小文字は原本上の補足。※和字間隔は現代の補足。</ref>右(此當為上)所以名 託賀者 昔 在大人 常勾行也 自南海到北海 自東巡行之時 到來此土云 他土卑者 常勾伏而行之 此土高者 申而行之 高哉 故曰 託賀郡(此云 高也 申 伸也)其踰跡處 數數成沼、『播磨國風土記』託賀略記 <ref></blockquote>
{{Quotation|《 大 意 》 <br />昔、[{{ruby|[[播磨国]]|はりまのくに}}の]{{ruby|託賀郡|たかのこおり}}には{{ruby|大人|おおひと}}(※[[巨人 (伝説の生物)|巨人]])がいた。[大人は]常に屈んで歩いた。[大人は]南海から北海へ到り、東を巡ってこの地にやってきた時、「他の地は[天が]低くて常に屈んで歩いていたが、この地は[天が]高くてまっすぐ立って歩ける」と言った。それゆえに、この地を「タカ(高)」の意をもって「託賀郡」という。[大人の]足跡は数々の沼になった。}}