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==== 中世 ====
* [[16世紀]]の初め頃16世紀の初め頃<ref name="JCPA-ウンカ" />([[戦国時代 (日本)|戦国時代]]中期) (戦国時代中期) - '''各地の[[農村]]で虫送りが行われ始める各地の農村で虫送りが行われ始める'''<ref name="JCPA-ウンカ" />。* [[天文 (元号)|天文]]9年([[1540年]]、戦国時代末期) 天文9年(1540年、戦国時代末期) - [[天文の飢饉]]が発生/前年に発生した[[大雨]]・[[洪水]]・[[蝗害]]により、この年の年明け以降、[[近畿地方]]を中心とした各地が[[飢饉]]に見舞われ、時疫([[伝染病|流行り病]])が追い打ちをかけた。しかし世は戦国の只中で、[[朝廷 (日本)|朝廷]]([[大和朝廷]])・[[幕府]]([[室町幕府]])・[[戦国大名]]([[細川政権 (戦国時代)|細川政権]])による政治的・経済的救済は皆無も同然であった。天文の飢饉が発生/前年に発生した大雨・洪水・蝗害により、この年の年明け以降、近畿地方を中心とした各地が飢饉に見舞われ、時疫(流行り病)が追い打ちをかけた。しかし世は戦国の只中で、朝廷(大和朝廷)・幕府(室町幕府)・戦国大名(細川政権)による政治的・経済的救済は皆無も同然であった。
==== 近世 ====
* [[江戸時代]]全般 江戸時代全般 - '''広く日本各地の農村で虫送りが行われていた'''<ref name="JCPA-ウンカ" />。* [[寛文]]元年([[1661年]]、江戸時代初頭) 寛文元年(1661年、江戸時代初頭) - [[小豆島]]の伝法川流域で虫送りが始まる/[[香川県]][[小豆郡]][[土庄町]]肥土山の自治会の史料による。小豆島の伝法川流域で虫送りが始まる/香川県小豆郡土庄町肥土山の自治会の史料による。* 寛文10年([[1670年]]) 寛文10年(1670年) - [[筑前国]](現在の[[福岡県]]北西部地域)にて、[[鯨油]]を使った稲虫の注油駆除法が考案される筑前国(現在の福岡県北西部地域)にて、鯨油を使った稲虫の注油駆除法が考案される<ref name="JCPA-ウンカ" />。* [[享保]]17年夏([[1732年]]夏、江戸時代前期) 享保17年夏(1732年夏、江戸時代前期) - [[享保の大飢饉]]が発生/[[梅雨]]入りから2か月も続く長雨による深刻な[[冷夏]]と稲虫([[ウンカ]])の大発生で[[西日本]]全域が大[[凶作]]に見舞われる。とりわけ[[瀬戸内]]の被害は甚大であった。稲虫の大発生については前年の[[暖冬]]も影響している。稲虫の大きく関わる飢饉としては日本史上最大のものとなった。享保の大飢饉が発生/梅雨入りから2か月も続く長雨による深刻な冷夏と稲虫(ウンカ)の大発生で西日本全域が大凶作に見舞われる。とりわけ瀬戸内の被害は甚大であった。稲虫の大発生については前年の暖冬も影響している。稲虫の大きく関わる飢饉としては日本史上最大のものとなった。** これ以来、[[江戸幕府]]は、稲虫が大発生した地域の[[代官]]に対して鯨油による注油駆除法を、幕府[[お墨付き]]の唯一の害虫駆除法として布達するようになったこれ以来、江戸幕府は、稲虫が大発生した地域の代官に対して鯨油による注油駆除法を、幕府お墨付きの唯一の害虫駆除法として布達するようになった<ref name="JCPA-ウンカ" />。* [[慶応]]4年[[5月26日 (旧暦)|5月26日]]([[1868年]][[7月15日]]、[[幕末]]) 慶応4年5月26日(1868年7月15日、幕末) - 鹿子原の虫送り踊([[島根県]][[邑智郡]][[邑南町]]矢上鹿子原の虫送り)の虫送り当日の献上物の記載あり。鹿子原の虫送り踊(島根県邑智郡邑南町矢上鹿子原の虫送り)の虫送り当日の献上物の記載あり。
==== 明治・大正時代 ====
* [[明治維新]]以降 - 稲虫の注油駆除法で用いられる油が、[[鯨油]]から[[石油]]に置き換わる<ref name="JCPA-ウンカ" />。
* [[1898年]](明治31年) - [[正岡子規]]が句集『俳句稿』を刊行。その「秋の部」に虫送りの一句「火や鉦や遠里小野の虫送」あり。
 
==== 昭和時代 ====
* [[第二次世界大戦]][[終戦]]後間もなく - 有機合成[[殺虫剤]]である[[DDT]]や[[BHC]]が登場し<ref name="JCPA-ウンカ" />、稲虫の注油駆除法は約280年もの長きに亘る役割を終えた<ref name="JCPA-ウンカ" />。
* [[1967年]](昭和42年)[[5月30日]] - [[#鹿子原の虫送り踊|鹿子原の虫送り踊]]([[島根県]][[邑智郡]][[邑南町]]矢上鹿子原の虫送り)が、島根県指定[[無形民俗文化財]]となる。早期の一例。
* [[1973年]](昭和48年) - [[青森県]][[五所川原町]](現・[[五所川原市]]内)にて「[[#奥津軽虫と火まつり|奥津軽虫と火まつり]]」の誕生/地元の青年会議所が地域の虫送りに[[火祭り]]の要素を取り入れたことで成立した。
 
==== 平成時代 ====
* [[1991年]](平成3年)[[2月2日]] - [[#祖父江の虫送り|祖父江の虫送り]]([[愛知県]][[稲沢市]][[祖父江町]]の虫送り)が、国の[[選択無形民俗文化財]]に選択される。

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