差分

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==== 明治・大正時代 ====
* [[明治維新]]以降 明治維新以降 - 稲虫の注油駆除法で用いられる油が、[[鯨油]]から[[石油]]に置き換わる稲虫の注油駆除法で用いられる油が、鯨油から石油に置き換わる<ref name="JCPA-ウンカ" />。* [[1898年]](明治31年) 1898年(明治31年) - [[正岡子規]]が句集『俳句稿』を刊行。その「秋の部」に虫送りの一句「火や鉦や遠里小野の虫送」あり。正岡子規が句集『俳句稿』を刊行。その「秋の部」に虫送りの一句「火や鉦や遠里小野の虫送」あり。
==== 昭和時代 ====
* [[第二次世界大戦]][[終戦]]後間もなく 第二次世界大戦終戦後間もなく - 有機合成[[殺虫剤]]である[[DDT]]や[[BHC]]が登場し有機合成殺虫剤であるDDTやBHCが登場し<ref name="JCPA-ウンカ" />、稲虫の注油駆除法は約280年もの長きに亘る役割を終えた<ref name="JCPA-ウンカ" />。* 昭和30年代([[1955年|1955]]~[[1964年|64年]]) 昭和30年代(1955~64年) - [[滋賀県]]下で[[プロパンガス]]が普及し、従来の自家[[燃料]]としての[[ナタネ|菜種]]殻の需要が無くなる。菜種栽培の急速な衰退は虫送りに欠かせない[[松明]]の材としての菜種殻の調達が困難になったことを意味し、これを機に儀式そのものが一気に廃れていった。滋賀県下でプロパンガスが普及し、従来の自家燃料としての菜種殻の需要が無くなる。菜種栽培の急速な衰退は虫送りに欠かせない松明の材としての菜種殻の調達が困難になったことを意味し、これを機に儀式そのものが一気に廃れていった。* [[1964年]](昭和39年) 1964年(昭和39年) - [[#横江の虫送り|横江の虫送り]]([[石川県]][[白山市]]横江町の虫送り)が、白山市指定[[無形民俗文化財]]となる。最も早期の例。横江の虫送り(石川県白山市横江町の虫送り)が、白山市指定無形民俗文化財となる。最も早期の例。* [[1967年]](昭和42年)[[5月30日]] 1967年(昭和42年)5月30日 - [[#鹿子原の虫送り踊|鹿子原の虫送り踊]]([[島根県]][[邑智郡]][[邑南町]]矢上鹿子原の虫送り)が、島根県指定[[無形民俗文化財]]となる。早期の一例。鹿子原の虫送り踊(島根県邑智郡邑南町矢上鹿子原の虫送り)が、島根県指定無形民俗文化財となる。早期の一例。* [[1973年]](昭和48年) 1973年(昭和48年) - [[青森県]][[五所川原町]](現・[[五所川原市]]内)にて「[[#奥津軽虫と火まつり|奥津軽虫と火まつり]]」の誕生/地元の青年会議所が地域の虫送りに[[火祭り]]の要素を取り入れたことで成立した。青森県五所川原町(現・五所川原市内)にて「奥津軽虫と火まつり」の誕生/地元の青年会議所が地域の虫送りに火祭りの要素を取り入れたことで成立した。
==== 平成時代 ====

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