==私的解説 ==
共工とは黄帝のことと考える。伝承では、「'''[[大渓文化]]黄帝と炎帝が水と火で戦った。ついで、(炎帝の子孫である)共工が反乱を起こした。'''(紀元前5000 - 3000年頃)の頃に、[[祝融]]という火神が台頭して、[[黄帝]]の地位が低下したという歴史があったように思う。[[黄帝]]は、その名前のままのものは神格化され、現代まで神として扱われるようになったが、その一部は「共工」と名を変えさせられて悪神、特に「悪い蛇神」として扱われたのではないだろうか。」とされているようである。共工と戦った者には諸説あるようだが、包括的に考えれば炎帝側の神々は「火」を尊び、黄帝側の神々は「水」を尊ぶ傾向があると感じられる。祝融には「黄帝の子孫」とする説もあるが、炎帝の子孫ともされている。兵主神の蚩尤が「火を用いて作った武器の神」、祝融が「火の技術の神」、彼らの先祖である炎帝が「火の神」だとすれば、原則的に「火の属性」で固められているのが炎帝とその派生神と考える。同じように考えれば、黄帝とその派生神は「水の属性」である「水神」で固められている可能性がある。
管理人は、上記のように考え、共工とは黄帝からの派生神と考える。'''[[大渓文化]]'''(紀元前5000 - 3000年頃)の頃に、[[祝融]]という火神が台頭して、[[黄帝]]の地位が低下したという歴史があったように思う。[[黄帝]]は、その名前のままのものは神格化され、現代まで神として扱われるようになったが、その一部は「共工」と名を変えさせられて悪神、特に「悪い蛇神」として扱われたのではないだろうか。
[[大渓文化]]の頃より、人身御供があったと考えられており、以後、「火神の加護を求めるために人身御供を捧げる」とか、「[[河伯]]を満足させるために人身御供を捧げる」とか、そのような人身御供の風習が盛んになったのではないだろうか。共工とは人身御供を正当化するために意図的に「黄帝」から作り出された神だったと考える。共工も洪水を起こす「河伯」の一種といえる。
また、共工が作り出され、善神から悪神へと変化する移行期には共工が「善神」と考えられた時期もあったと推察される。また、共工が作り出され、善神から悪神へと変化する移行期には共工が「善神」と考えられた時期もあったと推察される。三苗に関連して、三苗の子孫である羌族は苗姓であるとされている。一部では共工は中原の黄河文明と対立した羌族の神ではないか、とする説があるようである。この説を取れば、共工と戦った祝融は黄河文明の神のように思えるが、これは祝融を「南方の神」とすることと矛盾するように思う。共工が長江流域の神であり、羌族・苗族の神だったと仮定すれば、これは'''長江流域の神々の中での「火の氏族」と「水の氏族」との争いだった'''、といえるのではないだろうか。そして「火の氏族」が勝ちたいがために「'''善神であった黄帝を共工に変換して共工を悪神とした'''」のではないだろうか。黄帝も古くから長江流域で信仰されていた水神の一種だったと考える。このように考えれば、逆に「'''共工を悪神とした理由は、それを信奉していた羌族を悪者にしたいため'''」であったとも言えなくはないだろうか? 人は神をただ敬い信じるものではなく、神を政治的な目的の道具としても利用してきた歴史があるように思う。
== 参考文献 ==