「ヴリトラハン(ヴァーユまたはインドラ)・ヴリトラ」の話と、「ジャナメージャヤ・タクシャカ (Takṣaka) 」の話
に分けてしまったのだと思う。インド・イラン系の共通神話の段階では、イラン型の神話だったのだけれども、イラン系とインド系の2つに別れた後に、中国で「祝融・共工型」の神話が発生したので、それに併せて、インドでは神話を2つに分けてしまったのだと考える。でも、それがイランまで伝播しなかったのだろう。ということは、中国でもに分けてしまったのだと思う。インド・イラン系の共通神話の段階では、イラン型の神話だったのだけれども、イラン系とインド系の2つに別れた後に、中国で「祝融・共工型」の神話が発生したので、それに併せて、インドでは神話を2つに分けてしまったのだと考える。「ヴリトラハン(ヴァーユまたはインドラ)・ヴリトラ」の神話はインド版の「祝融・共工型神話」といえる。でも、それがイランまで伝播しなかったのだろう。ということは、中国でも
'''「祝融・共工型」の神話の前に、「共工がジャムシード王に相当する王を倒した、その共工を祝融が倒した。」という伝承があった'''
のではないだろうか。その古い形式をイランの伝承は残しているのだと考える。なぜなら、ジャムシード王は、インドでは「ヤーマ」という神ともされ、この神は「一番最初に死んだ神」とされているからだ。ジャムシード王系の神は、北欧のユミル、ヨルムンガルドにしても、その多くが「'''死んだ神'''」とされている。インドのジャナメージャヤ王だけが、「死なない神」に変更された、と考える方が自然だ。