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ただし、古代中国の殷(紀元前17世紀頃 - 紀元前1046年)では、「殷王は神界と人界を行き来できる最高位のシャーマンとされていた」ので、シャーマンからそのまま王に移行した例もある。日本の天皇にも、祖神の天照大神を祀ったり、穀霊を祀るシャーマン的な側面がある。また、かつては人間をそのまま神と考える「現人神」の文化もあり、天皇は王でもあり、太陽の子孫のシャーマンでもあり、神でもあり、それらが区別されずに一体化された存在とされていた。(そして、その地位の権利を八咫烏が定めた、といえる。)そのため、古代における「最高位のシャーマン」と「王権」と「神」とは互いに重なる部分があると考える。よって、今、古代の遺物の中にシャーマン的な人の像などを見る時には、それは現代的な観点では「シャーマン」に相当するものなのか、「王」に相当するものなのか、それとも「神」に相当するものなのか、ということはその遺物の存在した時代の文化を考慮した上でなければ、正確な意味を決めることが難しいのではないか、と思うのである。そのため、古代における「最高位のシャーマン」と「王権」と「神」とは互いに重なる部分があると考える。西欧でも「健康な王」が「豊穣をもたらす」という思想がかつてあり、凶作の年には、天候が順調でなかった、という点で王が責任を負わされ、殺されたこともあった。それは必ずしも人の行う政治の問題というだけに留まらない王のシャーマン的役割を示している。よって、今、古代の遺物の中にシャーマン的な人の像などを見る時には、それは現代的な観点では「シャーマン」に相当するものなのか、「王」に相当するものなのか、それとも「神」に相当するものなのか、ということはその遺物の存在した時代の文化を考慮した上でなければ、正確な意味を決めることが難しいのではないか、と思う。そして鳥(八咫烏)は、「最高位のシャーマン」の'''更に上'''に位置する'''隠れた真の最高位のシャーマン'''とされているように感じる。
=== 作物の起源 ===
2について。粟の霊を怒らせると、鳥になって飛び去るという物語(2)は、粟が鳥と同一のものとみなされていることが分かる。現実的には鳥と植物は別々のものなのだが、「鳥と植物の一体化」が既に紀元前1000年頃の中国では始まっていた、という証拠になると思う。なぜなら、「鳥仙女が穀物を持って下降してきて、人々に耕作を教えた」となれば、鳥仙女と穀物は別々のもので、穀物を食べても、それは鳥仙女を同様に食べても良い、ということには繋がらない。鳥=穀物、ということになれば、それは'''下降してきた鳥仙女を穀物と同じ物として食べてもよい'''、ということにはならないだろうか。ハイヌウェレ神話は、一方で人々を支配するムルア・サテネがいるのに、すでに下位の女神は「芋と同じ物として殺して食べてもよい」という存在に変化している。河伯に人身御供を捧げるのみならず、女神を作物の支配者から、作物そのものに変更することで、'''新たな「人身御供」の定義が出現した'''とみるべきであるし、やはり過渡期の物語であると思う。女性(女神)を害すと罰を受ける、という要素も残っているからである。作物は元々「神が支配するもの」であったのだから、「女神が作物と同じ物」とされて、その地位が低下することは、社会的には'''女性の地位の低下'''を意味するのではないだろうか。そして、ハイヌウェレ神話を元にした祭祀が存在するならば、ムルア・サテネの人類に対する復讐はもはや何の意味も持たず、殺される女性達は「ただ作物だから」という理由だけで、人間扱いもされずに殺されることになるだけである。そのため、「粟=鳥」とみなす思想は、女性(鳥)を穀物扱いし、人身御供とすることを正当化する思想へと繋がる、実は危険な思想というべきであると考える。
3について。豚と瓢の起源譚、とはいえ、家畜である豚を何故食べてはいけないのか、という疑問を含む伝承である。瓢は中国の神話では、大洪水の際に伏羲がひょうたんに乗って逃れた、という神話的に非常に重要なアイテムである。台湾にも大洪水の伝承があるし、少なくとも古代中国の「伏羲と大洪水」の神話が紀元前1000年よりも前に成立し、台湾にも伝播していた証拠と言える。「豚神の屠殺の禁止」は、実のところ羿神話の思想とは逆向きの「人身御供肯定」に繋がる思想である(その点についてはおいおい述べる)。鳥ではなくて3について。豚と瓢の起源譚、とはいえ、家畜である豚を何故食べてはいけないのか、という疑問を含む伝承である。豚は犠牲に捧げる動物としても標準的なものだ。よって、この物語の豚は、特に'''神性の強い特殊な豚'''であり、そのようなものが存在する、という考えがあることを示唆しているように思う。瓢は中国の神話では、大洪水の際に伏羲がひょうたんに乗って逃れた、という神話的に非常に重要なアイテムである。台湾にも大洪水の伝承があるし、少なくとも古代中国の「伏羲と大洪水」の神話が紀元前1000年よりも前に成立し、台湾に伝播していた証拠と言える。「豚神の屠殺の禁止」は、実のところ羿神話の思想とは逆向きの「人身御供肯定」に繋がる思想である(その点についてはおいおい述べる)。鳥ではなくて'''瓢'''が天から降りてくる、という神話は父系の文化がかなり進んでからの神話なのではないか、と思う。伏羲は現代にまで「人々の運命を決める神」として名前が残されてるし、男性であるので父系文化の神であることは明らかである。また瓢に乗ることは、「自分達はすでに、太陽女神も、その部下の鳥仙女も必要とせずに天界と交通できる。」という意志の表れのように思われるからである。が天から降りてくる、という神話は父系の文化がかなり進んでからの神話なのではないか、と思う。伏羲は現代にまで「人々の運命を決める神」として名前が残され、中国のシャーマンの始祖的な存在であるし、雷神を助けて自分だけが恩恵を得ており、羿のように人身御供を求める神と対立しようとはしていないからである。また、男性であるので父系文化の神であるとも言えると考える。また瓢に乗ることは、「自分達はすでに、太陽女神も、その部下の鳥仙女も必要とせずに天界と交通できる。」という意志の表れのように思われる。
4について。ハイヌウェレ的であり、特に芋類について「死体化生」の思想が強く進められていたことが分かる。ただし、「甘薯は葛の根より得たり」とあり、死体のせいで葛が芋に変化した、ととれる内容である。『山海経』には、中国南部にある食物神・后稷の墓の周りには、穀物が自然に生じているとの記述がある、とのことなので、「死体が直接作物に変化する」、という形式よりも、「死体の働き掛けで環境が変化して作物が誕生した」という形式の方が古い形なのではないだろうか、と思う。「死んだ神(=黄泉の神)」が登場し、その神は自然に作物を発生させることができるのである。これも父系の文化の思想なのではないだろうか。このようにして、太陽女神と鳥仙女達は、どんどん「必要性」を神話の上から奪われているように思う。「死んだ神」が作物を自然発生させるために、新たな人身御供であるハイヌウェレを種芋として求めるようになるにはもう1歩、というところなのだと思う。死んだ神はハイヌウェレという花嫁を得て、芋という子供を発生せしめるようになるのである。これすなわち、花嫁を求める河伯の神話の焼き直し、と言わざるを得ないのではないだろうか。4について。ハイヌウェレ的であり、特に芋類について「死体化生」の思想が強く進められていたことが分かる。ただし、「甘薯は葛の根より得たり」とあり、死体のせいで葛が芋に変化した、ととれる内容である。『山海経』には、中国南部にある食物神・后稷の墓の周りには、穀物が自然に生じているとの記述がある、とのことなので、「死体が直接作物に変化する」、という形式よりも、「死体の働き掛けで環境が変化して作物が誕生した」という形式の方が古い形なのではないだろうか、と思う。「死んだ神(=黄泉の神)」が登場し、その神は自然に作物を発生させることができるのである。これも父系の文化の思想なのではないだろうか。このようにして、太陽女神と鳥仙女達は、どんどん「必要性」を神話の上から奪われているように思う。「死んだ神」が作物を自然発生させるために、新たな人身御供であるハイヌウェレを種芋として求めるようになるにはもう1歩、というところなのだと思う。死んだ神はハイヌウェレという花嫁を得て、芋という子供を発生せしめるようになるのである。これすなわち、花嫁を求める河伯の神話の焼き直し、と言わざるを得ないのではないだろうか。そして「死んだ神」とは「去勢されて殺された神」、「バラバラにして殺された神」とも重なる。'''何らかの原因で、罰されて殺された男神が、「黄泉の神」に変化している'''のである。エジプト神話のオシリスは、その一番良い例であると思う。ギリシア神話のポセイドーンやハーデースも、一度父親に食べられて「殺された神」であって、海や冥界といった異界の神とされている。また、「殺された神」の一部は「下位の男神」として、タンムーズやアッティスのように、直接穀物(植物)に変化するものも登場した。 これらの点から、「死んだ男神(=黄泉の神)」が歴史的に登場するのは、羿神話の登場により男神が罰を受けて殺された、とされてからではないか、と思う。一方殺されずに、「陰茎を失う」のみで済んだ物語からは、インド神話のアルナのように両性具有的な「神」として神のまま残ったり、キュベレーに使える神官達のように「シャーマン」的な存在となったりして、文化的に枝分かれしていくように思う。インドには現在でも「ヒジュラー」と呼ばれる男性でも女性でもない第三の性として女神に使える半陰陽の人々が存在する。{| class="wikitable"!colspan="4"|殺された河伯(巨人神)の神話的分化|-|0|河伯(巨人)に'''人身御供'''を捧げる|河伯は鳥や蛇でもある|巨人(台湾神話)、ミーノータウロス(ギリシア神話)等|-|1-1|陰茎を失う話|神のまま半陰陽に|アルナ(インド神話)、半分男(民話)等|-|1-2|陰茎を失う話|シャーマン(神官)に|ヒジュラー(インド)、(意味としては)純潔が要求される僧侶等|-|2-1|死ぬ話|冥界の神に|オシリス(エジプト神話)、ハーデース(ギリシア神話)等|-|2-2|死ぬ話|死体が植物の発生に作用する神|后稷(中国神話)等|-|2-3|死ぬ話|死体(の一部)が植物に変化する神|蚩尤(中国神話)、アドニース(ギリシア神話)等|-|2-4|死ぬ話|冥界神となった後、妻('''人身御供''')を求めて、植物(春)等何かを生ませる神|ハーデース(ギリシア神話)、ハイヌウェレ(インドネシア神話、特にマヨ祭)、エンリル(メソポタミア神話)等|}
=== まとめ ===
桑といえば、蚕の餌であって、養蚕とは切っても切れない。
絹織物は、中国で創出されたもので、絹を生産している形跡が新石器時代遺跡(西陰村遺跡、河姆渡遺跡など)から幾度も発見されている<ref>学術月報, 第 407~411 巻 文部省大学学術局, 1979 367ページ</ref>。そのため、太陽信仰の文化と養蚕は深いつながりがあるのではないだろうか。刺繍が施されるようになった最も早期の事例は、中国にある戦国時代(紀元前3世紀~5世紀)の墓から発見されたものである。。そのため、'''太陽信仰の文化と養蚕は深いつながりがある'''のではないだろうか。刺繍が施されるようになった最も早期の事例は、中国にある戦国時代(紀元前3世紀~5世紀)の墓から発見されたものである。
養蚕の起源は中国大陸にあり、浙江省の遺跡からは紀元前2750年頃(推定)の平絹片、絹帯、絹縄などが出土している<ref>亀山勝『安曇族と徐福 弥生時代を創りあげた人たち』龍鳳書房、2009年、84頁。</ref>。殷時代や周時代の遺跡からも絹製品は発見されていることから継続的に養蚕が行われていたものと考えられている。系統学的な解析では、カイコは約5000年前までにクワコ(''Bombyx mandarina'')から家畜化されたと考えられている<ref>=Sun, Wei, Yu, HongSong, Shen, YiHong, Banno, Yutaka, Xiang, ZhongHuai, Zhang, Ze, 2012-06, Phylogeny and evolutionary history of the silkworm、url=http://link.springer.com/10.1007/s11427-012-4334-7、Science China Life Sciences, volume=55, 6, pages=483–496, en, 10.1007/s11427-012-4334-7, 1674-7305</ref>。
 
扶桑樹が古代中国の、いわゆる「世界樹」だったとすると、疑問点が2つ出てくる。一つは、すでに述べたように、扶桑樹は鳥、巨人(河伯)と組み合わされ、関連している。台湾の巨人神には豚のように大食いだったり巨大な蛇のような男根を持つ、という伝承がある。鳥以外にも、扶桑樹に関連している動物はいるのではないだろうか、ということ。もう一つは、「桑」とは養蚕に関連するものである。ということは、養蚕が開始される以前は、扶桑樹に相当するものが古代中国には存在したのだろうか、それはどのようなものだったのだろうか、ということである。
== 西王母と桑 ==
とある。帝女は西王母とされ、織女は天帝の孫と言われている。西王母は女仙を支配する女神でもある。西王母は、女仙の先頭に立って、自ら桑摘み、養蚕、紡織を行う女神でもあったのだろう。桑は西王母とは切っても切れない関係にあったのである。
漢代の図像には、世界樹の頂上に座す西王母がみられ、東王父が出現する以前は、西王母が世界樹である桑の木の頂上に座す、と考えられていたようである。母系社会には「父」というものは存在しないので、これが古い時代の西王母の図像であったのではないか、と推察する。漢代の図像には、世界樹の頂上に座す西王母がみられ、東王父が出現する以前は、'''西王母が世界樹である桑の木の頂上に座す'''、と考えられていたようである。母系社会には「父」というものは存在しないので、これが古い時代の西王母の図像であったのではないか、と考える。
また、日本神話との比較から述べると、日本神話では織女達を統括し、支配するのは太陽神である天照大神である。とすると、桑と養蚕を支配する西王母とは、本来、太陽女神であったとはいえないだろうか。河姆渡文化のレリーフでいえば、「鳥が運んでいる太陽」そのものが西王母の原型だったのだと考える。しかし、西王母は時代が下るにつれて、中国では「太陽女神」としての性質が薄れていくので、取り残された鳥の従者達に「太陽神」としての性質が移されたのではないか、と個人的には思う。また、日本神話との比較から述べると、日本神話では織女達を統括し、支配するのは太陽神である天照大神である。とすると、桑と養蚕を支配する'''西王母とは、本来、太陽女神であった'''とはいえないだろうか。河姆渡文化のレリーフでいえば、'''「鳥が運んでいる太陽」そのものが西王母の原型だった'''のだと考える。しかし、西王母は時代が下るにつれて、中国では「太陽女神」としての性質が失われるので、取り残された鳥の従者達の一部に「太陽神」としての性質が移されたのではないか、その過程には故意があったのではないか、と個人的には思う。
ともかく、「桑」を、西王母を頂上に抱く「世界樹」として考えた時、その根元は水の中や、あるいは混沌の中にあり、それらの中には「蛟がいる」と考えられていたのではないだろうか。メソポタミア神話、イラン神話等でも、「世界樹」の根元には蛇が巣くうことが多い。その起源は、少なくとも古代中国の西王母と桑の木にまで遡ると考える。水の中の蛇、とは当然いわゆる「河伯」でもあっただろう。世界樹の根元に巣くうのは、人身御供の乙女を妻として求める蛇の河伯だったといえる。ともかく、「桑」を、西王母を頂上に抱く「世界樹」として考えた時、その根元は水の中や、あるいは混沌の中にあり、それらの中には「蛟がいる」と考えられていたのではないだろうか。メソポタミア神話、イラン神話等でも、「世界樹」の根元には蛇が巣くうことが多い。その起源は、少なくとも古代中国の西王母と桑の木にまで遡ると考える。水の中の蛇、とは当然いわゆる「'''河伯'''」でもあっただろう。世界樹の根元に巣くうのは、人身御供の乙女を妻として求める蛇の河伯だったといえる。
台湾の伝承では蔓性の植物である葛から芋が発生した、とあるが、葛は「蛇」を模している、ともいえる。死体を与えられると、葛は単独で芋を生む。また、台湾の河伯は巨人であり、巨大な蛇のような男根を持つ。とすると、この「巨人」こそが、世界を支える扶桑なのではないだろうか。ギリシア神話には世界を支えるアトラースという巨人が登場する。中国神話にも盤古という巨人が存在する。

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