蛇の息子

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蛇の息子[編集]

語り手・小倉たつ枝(丹後町・鞍内)

むかしあるところに、お爺さんとお婆さんとが住んでいて、お爺さんがある日に畑打ちにいったら、かわいげな卵が出てきたそうな。ほで、「これはまあなんの卵だ知らんけど、きれいなんだし」思って、持ってもどって、いろりのふちにちょっと置いといた。そいたら、それがポカンと割れて、かわいげな蛇が出た。ほで、お爺さんとお婆さんはその蛇を、子供もにゃあし、子供みたいに大事にしてふじいう名をつけた。ほで山からもどると、「ああふじや、もどったで」言うて、食べ物やっては大きいしとっただそうだ。
そいたら、だんだんだんだん大きくなって、もう、いろりのふちにおられんようになって、からだを床下に入れて、首だけ出やて食べ物むらってばおったそうだ。ほいからあまりに大きなるもんで、ふじに
「これはもう、これにはおれんが、どこに行く」言うたら、「依遅ガ尾いうとこに大きな池がある。ほいで、依遅ガ尾の沢行く」言うて。
「そうならまあ、依遅ガ尾の沢へ連れていったろう」言うて、その大きな池へ連れて放すだった。
ほうしたところ、それが大きな大蛇になって、通んなる人を飲むですわ。ほで、だあれもそれをよう殺さんですし、お殿さんから、ふれが出て
「依遅ガ尾の大蛇を殺した者にはほうびをやる」言うて。ほで、あっちもこっちも行くんですけど、みな飲まれてしまって、だあれもよう討たなんだ。その話をお爺さんが聞いて
「これぁ、われぁもうほっておけん」言うことで、その池のふちい行って、コーンコーンと手を叩いて、「ふじやあ」いうて呼んだそうだ。そいたら、大きな大蛇がのろのろと出てきた。ほで
「お前はわしに討たれるか」言うたら
「うん」言うて、こう、うなずいたそうな。それで、お爺さんは鉄砲で.ハァーンと撃ったら、その蛇の死体がそこいぱあつと上がった。ほで、そいでお殿さんからものすごいごほうびをもらって、お爺さんとお婆さんは安楽に暮らしたそうだ。(『京都の昔話』(昭58・京都新聞社))[1]

類話[編集]

  • ヘビの恩返し(長野のむかし話、長野県国語教育学会編、1976、p162-167):語り手・小林博(下高井郡山ノ内町)
    「蛇の息子」とほとんど同じ話。丹後町では蛇息子の名前が「ふじ」となっているが、山ノ内町では「シガ」となっている。

私的考察[編集]

黄帝(水神)と蚩尤(火神)の争いの神話が、独自に崩れたものと考える。「お爺さん」が黄帝、蛇が蚩尤に相当する。この蛇神は一般に「干ばつを起こす神」と広く考えられていたし、人身御供を求める神と考えられていたように思う。「田子」とか「多久」という地名を伴う賀茂系の氏族の伝承と考える。「竹野(たかの)」「高井(たかい)」と「たか」という地名が共通する地域に伝わっている。

岩見の天豊足柄姫命の神話とも共通性がみられる。八束水臣津野命が「お爺さん」、天豊足柄姫命が「お婆さん」、八色の蛇が「ふじ」に相当するといえる。

竹野神社の伝承から見ると、「お爺さん」に相当する神はおらず、斎宮(竹野媛命)が「お婆さん」とも言えようか。

関連項目[編集]

  • 竹野神社:京都府京丹後市丹後町宮にある神社。依遅ガ尾山信仰に関する神社。依遅ガ尾の大蛇伝承について。

脚注[編集]

  1. 丹後の伝説:5集、丹後の地名(最終閲覧日:24-12-19)