そのため、この「天神」兼「河川神」を祀る祭祀者(シャーマン)は、上位の者は太陽女神とほぼ一対の存在として、その男性自身も「現人神」のようにみなされたであろう、と考えるが、下位の者は「太陽女神に力を与える生贄としての息子」とされて、人身御供にされてしまうということになったのではないだろうか。
また、この巨人は「世界を支える樹木」として「[[扶桑]]」、「[[建木]]」、「[[若木]]」といったいわゆる「世界樹」であったとも考える。中国神話の「植物神」を考えると、穀物神である[[后稷]]、擬人化した瓢箪であると共に北斗七星の化身でもある[[伏羲]]がいるが、人々に五穀を栽培することを教えた、とされる[[炎帝神農]]も農耕という職能に偏った植物神といえる。彼は多くの植物と「食べる」ことで一体化している。穀物神である[[后稷]]は「食べられるだけの神」」といえる。食物は人々になくてはならないものである。は「食べられるだけの神」といえる。食物は人々になくてはならないものである。そして、それは[[后稷]]の化身に見たてられた人にとっては、「人身御供」となって神に食べられる、という運命を定めることにならないだろうか。その人は穀物のように枯死して食物として神に食べられ、それで力を得て「育てる神」は新たな穀物を育てるのである。「育てる神」とは「太陽女神」のことに他ならない。植物であっても樹木は食べるには向かないものが多い。実が食べられるものもあるが、食べられないものもある。それよりも樹木はそれ自体が大きく成長するものであるし、加工して梯子を作ることもできる。そのため、樹木は「天と地を繋ぐ梯子」としての役割を割り振られ、祭祀者であるシャーマンは「天の神々と人を繋ぐ者」でもあるので、樹木の化身と考えられたのではないだろうか。日本神話にも[[高御産巣日神]]という樹木神がおり、この神は太陽女神である[[天照大御神]]よりも上位の神とされている。中国神話では、大洪水の際に、瓢箪の船に乗って天まで到達したと言われる[[伏羲]]が、蔓性の植物から発展して祭祀者兼樹木神へと変遷したのではないだろうか。また、太陽にも到達するような上位の植物神を炎帝とすれば、炎帝も農業の豊穣のための祭祀者兼樹木神といえる。とすれば、図4の巨人は「上位の植物神」であって、人間であれば神と人とを繋ぐ上位のシャーマンに相当する神であり、[[伏羲]]あるいは[[炎帝神農]]の前身となる巨人であると考える。天の神で「星神」も兼ねるのであれば、北斗七星でもある伏羲がこの巨人の名としては相応しいようにも感じる。この巨人が後世、天候神と一体化した祭祀者(天候神の操縦者)である[[伏羲]]と、農業に関する職能神である[[炎帝神農]]に別れたものと考える。大汶口文化の時代には、この2つはまだ別れていなかったのだろう。
また、「天を支える巨人」である点は[[盤古]]としての性質も備えた巨人であった、と考える。伝承では、[[盤古]]が亡くなった後に、その体から山に化生した部分もある、とされている。よって、図1,2の「山」は[[盤古]]の体の一部が変化したものなのである。そして、図1,2と図4を見比べた場合、図4の方が増えている紋様があることが分かる。いわゆる「雲」と呼ばれている部分である。
一方、伝承では、[[盤古]]が亡くなった後に、その体から山に化生した部分もある、とされている。よって、図1,2の「山」は[[盤古]]の体の一部が変化したものなのである。そして、図1,2と図4を見比べた場合、図4の方が増えている紋様があることが分かる。いわゆる「雲」と呼ばれている部分である。 管理人は、これを「'''雲'''」でもあるし、「'''鳥'''」でもあるし、「'''角'''」でもあると考える。また「'''月'''」とも見なせる場合もあるかもしれないと思う。これらはともかく、[[盤古]]の「首」から発生したもので、そのため[[盤古]]の体である「山」よりも高い位置にあるのではないだろうか。[[炎帝神農]]と同一のものと考えられる[[蚩尤]]は倒された時に首を切り落とされた、とされる。
[[盤古]]型巨人の一部は、死して樹木に化生した、とも言われており、それを[[扶桑]]のような「巨大樹」とすれば、[[三足烏]]はその頂点に留まっている鳥であるし、また太陽を背に乗せて飛ぶ鳥として現されることもあるので、巨人と太陽の間に存在する神霊としては「[[三足烏]]」が一番適すように思うのである。