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2,491 バイト追加 、 2022年11月14日 (月) 19:09
現在、善光寺には宿坊を含めた40近い支院が存在し、その内の約15ほどの寺院の住職が若麻績姓である<ref>[https://善光寺-御朱印.jinja-tera-gosyuin-meguri.com/%E3%80%90%E5%A5%87%E6%80%AA%E3%80%91%E9%95%B7%E9%87%8E%E2%99%A1%E5%96%84%E5%85%89%E5%AF%BA%E3%81%AE%E5%91%A8%E8%BE%BA%E3%81%AB%E3%81%AF%E4%BD%95%E6%95%85%E3%81%8B%E3%80%8C%E8%8B%A5%E9%BA%BB%E7%B8%BE/%E8%8B%A5%E9%BA%BB%E7%B8%BE%E6%80%A7/.html 【奇怪】長野善光寺の周辺には何故か「若麻績(ワカオミ)」の名前が多い!その理由を知って・・・・みたい?]、♀善光寺・御朱印♀、22-06-22(最終閲覧日:22-11-14)</ref>。
 
善光寺の御越年式は「堂童子行事」と呼ばれ、古来より善光寺三寺の中衆(浄土宗十五坊)が行ってきた。『堂童子絵巻』には
 
<blockquote>開基善光卿以来若麻績氏が専任する香華、燈明、仏餉、茶湯等、檀越として如来に奉仕し来る所の常随給仕の当番役を云ふ。御越年の式は十二月二の申日の夜丑の刻に執り行ハるる祭事にして、祭式ハ若麻績家に相伝せらるる秘事にして、家督相続者のみに直伝相承せらるるもの。<ref>[http://kumi2.com/wakaomi/what_doudouji.html 堂童子について]、善光寺さん from 鏡善坊(最終閲覧日:22-11-14)</ref></blockquote>
 
とあるとのことである。白麻で仕立てられた狩衣型の衣に、白麻の括り長頭巾を着用するとのこと(長野県民族資料調査報告書7『善光寺正月行事』)。祭祀の相続者は古くから、他から養子を迎え入れず、中衆間の往来に限られる血統相続が厳しく守られている、とのことで、堂童子行事は善光寺草創の時代までさかのぼって伝承されている、創建者一族にとって重要な行事といえる。
 
伝承によれば「諏訪大社の縁起には「諏訪神が丑三時に善光寺に舞い降りて、本堂裏の扉を開けて入り、仏に仕えて後、明け方帰っていく」と御越年式と関連する話が伝わってるとのこと。若麻績氏の祭祀に諏訪大社が関わっている、とみなされていることが分かる。また、『信濃奇勝録』には、本堂の後に立つ年越宮は八幡宮を祀ると云うとし、「毎年十二月申日夜半に遷宮あり、俗説に八幡宮は本地阿弥陀如来にて此夜は如来八幡宮となりて年をとらせ給ふと云伝ふ、中衆十五坊の内、二坊は臈僧とて除き、十三坊にて輪番に此事を勤む、是をドウドウシと云」とあるとのこと。駒形嶽駒弓神社には、如来八幡は「聖徳太子の馬」に乗って市中を巡った、とあるので、古い順に彦神別神、聖徳太子、八幡神を複合的に阿弥陀如来と習合させて善光寺の本尊、いわゆる「御年神」とみなしていたことが分かる<ref>[http://kumi2.com/wakaomi/1216_2/index.html 【御越年式について】]、善光寺さん from 鏡善坊(最終閲覧日:22-11-14)</ref>。
=== 平安時代以降 ===

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