古くから式内明神大・水内神社の奥社と伝えられている。水内神社は神仏習合時代、善光寺「奥の院」と称され参拝者が多かった。<br />
当神社は善光寺との関連が深く、社紋は卍であり、本殿は善光寺と同じ「撞木造り」である。二月一日には、境内にある善光寺堂童子斎場にて正月行事で用いられた注連等の祭具を焼却する「お駒送り」の行事が行われる。<br />
本殿には木馬四頭が神馬として祀られている。中央祭壇の黒駒の鞍には卍の印があり、乗っている人物は聖徳太子と言われている。その昔、聖徳太子の馬は甲斐の'''黒駒'''で、その駒が当社の高嶺にとまり、善光寺如来の鎮座を待ちこがれ仏法を守護した。そして、善光寺如来が当社の馬に乗り年越しの夜、市中を巡行したと言う伝説がある。<br />昭和以前の例祭日には遠くからも</blockquote>
=== 善光寺年神堂 ===