そして、炎黄神話においては[[炎帝神農|炎帝]]と[[黄帝]]は兄弟であった、と言われる向きもある。しかし、ギリシア神話では[[ミーノータウロス]]と[[テーセウス]]が兄弟であった、とは言われていない。日本の猿神退治でも、仲の悪い者どうしを「犬猿の仲」とことわざで述べるとおり、犬と猿の対立であって、それぞれは血縁的に近しい間柄ではない。一方、[[アリアドネー]]と[[ミーノータウロス]]は兄妹であるし、猿神退治の猿神が特定の集落や部族の神でもあったとするならば、立場としては生贄となる娘の方が、旅の猟師よりはずっと猿神に血筋として近いといえる。つまり、炎黄神話も、[[黄帝]]が羿と同じものであったとするならば、'''[[炎帝神農|炎帝]]、すなわち「射落とされた太陽」と親しく近い間柄であったのは羿の妻の[[嫦娥]]の方'''であって、それがなにがしかの事情で、神話の発生源である中国では[[炎帝神農|炎帝]]と[[黄帝]]が兄弟であるかのように置き換えられてしまったのではないか、と思われるのである。置き換えられる前の神話が各地に伝播したものが[[テーセウス]]の物語であり、猿神退治である。とすれば、中国ではなく伝播先の方に本来の形式の物語が残されている、といえる。すなわち、本来は[[炎帝神農|炎帝]]と[[黄帝]]は、赤の他人であった、ということになる。神話や伝承は、このように誰かの都合や意図によって書き換えられてしまうものでもある。正確な歴史を記録するのが神話の目的ではないからである。
羿の物語に戻ると、本来存在しなかった「犬」が挿入されることになった。この犬は月を飲み込む魔物である。月を女性として、かつ[[嫦娥]]だとするならば、黒耳は[[嫦娥]]を生贄に求めて殺そうとする彼女の兄の化身とはいえないだろうか。だからこそ月に逃げる[[嫦娥]]を追いかけて飲み込んでしまうのである。そして、ギリシア神話で女性を生贄に求め、殺そうとする[[アリアドネー]]の兄とは[[ミーノータウロス]]のことに他ならない。つまり黒耳とは、牛の怪物である[[炎帝神農|炎帝]]のことであって、古代中国において「[[炎帝神農|炎帝]]と[[黄帝]]が兄弟である」という神話の書き換えがあったのと同じ理由で、「[[炎帝神農|炎帝]]と[[黄帝]](羿)はト-テムが一致しているほぼ同じ存在である」としたいがために[[炎帝神農|炎帝]]のトーテムを犬に変えて、羿の物語に挿入したのではないか、と思われるのである。要は黒耳とは[[蚩尤]]([[饕餮]])のことであり、不老不死の存在となった、とは、[[炎帝神農|炎帝]]であった[[蚩尤]]が殺されたことを意味するのではないか、と管理人は考える。[[蚩尤]]の神話では彼は死後楓の木に化生したこととされているが、羿の物語では[[蚩尤]](黒耳)は死後天に昇って月を食べる[[天狗(中国)|天狗]]とされたのである。中国では散逸してしまっているのかもしれないが、本来はそのような神話があったのではないか。インド神話には不老不死の薬を盗んで罰のために首を切られて殺されたアスラが[[ラーフ]](首)と[[ケートゥ]](胴体)という怪物になり、彼らが天に昇って日月食を起こすようになった、という話がある。彼らは不老不死の薬を飲んでいるために死ぬことはないのだが、切られた首は元に戻せなかったらしい。[[ケートゥ]]は星になったが「暗黒で普段は見ることはできない」ともされている。羿の犬が黒耳という名前なのも、夜空では「黒くて見えない」という意味が含まれているのではないだろうか。首を切られても別のものに化生したり、そのまま何か霊的な存在に変化するところは、[[ラーフ]]はまさに中国神話の[[饕餮]]に相当するように思える。に相当するように思える。インド神話では、[[ラーフ]]と[[ケートゥ]]は「犬である」とはされていない。インドにも日月と関連する犬の神話は存在するのだが、その犬たちは直接羿のような英雄に関わっているわけではない。おそらく、中国でも当初は羿の物語とはやや離れた話として、殺された[[蚩尤]]が天に昇って悪霊のようになり、([[蚩尤]]に味方してくれなかった)日月を食らう、という話だったのかもしれないと思う。羿の話の方は、まず羿とそのトーテムが分離して、日本的な「猟師(狩人)と犬」の形式になったものがまず誕生しており、その「犬」の位置に「黒耳」という[[天狗(中国)|天狗]]を押し込んで置き換えてしまったのではないだろうか。そのため、日本では元の「猟師(狩人)と犬」が悪しき神を倒す、という形の話が伝播して残されることになったのだろう。
== 参考文献 ==