農民の間では、'''春になると山の神が、山から降りてきて[[田の神]]となり、秋には再び山に戻る'''という信仰がある。すなわち、1つの神に山の神と田の神という2つの霊格を見ていることになる。農民に限らず日本では死者は山中の常世に行って祖霊となり子孫を見守るという信仰があり、農民にとっての山の神の実体は祖霊であるという説が有力である。正月にやってくる[[年神]]も山の神と同一視される。ほかに、山は農耕に欠かせない水の源であるということや、豊饒をもたらす神が遠くからやってくるという[[来訪神]](客神・まれびとがみ)の信仰との関連もある。
猟師・木樵・炭焼きなどの山民にとっての山の神は、自分たちの仕事の場である山を守護する神である。農民の田の神のような去来の観念はなく、常にその山にいるとされる。この山の神は'''一年に12人の子を産む'''とされる<ref group="私注">これは「月」のことと思われる。「一年の秩序を守る」という点では「年神」に類似した性質といえるのではないだろうか。これは「月」のことと思われる。「一年の秩序を守る」という点では「[[年神]]」に類似した性質といえるのではないだろうか。</ref>など、非常に生殖能力の強い神とされる。これは、山の神が山民にとっての産土神でもあったためであると考えられる。山民の山の神は'''禁忌に厳しい'''とされ、例えば祭の日(一般に12月12日、1月12日など12にまつわる日)は山の神が木の数を数えるとして、山に入ることが禁止されており、この日に山に入ると木の下敷きになって死んでしまうという。長野県南佐久郡では大晦日に山に入ることを忌まれており、これを破ると「ミソカヨー」または「ミソカヨーイ」という何者かの叫び声が聞こえ、何者か確かめようとして振り返ろうとしても首が回らないといい、山の神や鬼の仕業と伝えられている<ref>武田明, 1938, 8, 南佐久郡北牧村民俗語彙, 旅と伝説, volume11, issue8号(通巻128号), pages56, 三元社, https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1483594, id:NDLJP:1483594</ref><ref>民俗学研究所編著, 柳田國男監修, 綜合日本民俗語彙, 1956, 平凡社, volume第4巻, pages1518, ncid:BN05729787</ref>。
また、女神であることから[[出産]]や[[月経]]の[[穢れ]]を特に嫌うとされるほか、祭の日には女性の参加は許されてこなかった。山の神は醜女であるとする伝承もあり、自分より醜いものがあれば喜ぶとして、顔が醜い[[オコゼ]]を山の神に供える習慣もある。なお、山岳神がなぜ海産魚のオコゼとむすびつくのかは不明で、「やまおこぜ」といって、魚類のほかに貝類などをさす場合もある。[[マタギ]]は古来より「やまおこぜ」の干物をお守りとして携帯したり、家に祀るなどしてきた。「Y」のような三又の樹木には神が宿っているとして伐採を禁じ、その木を[[神体|御神体]]として祭る風習もある。三又の木が女性の下半身を連想させるからともいわれるが、三又の木はそもそもバランスが悪いために伐採時には事故を起こすことが多く、注意を喚起するためともいわれている。