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=== 『続日本紀』 ===
日本書紀に続く六国史の第二にあたる続日本紀]]には、光仁天皇の時代に、暴風雨が吹き荒れたのでこれを卜したところ、伊勢の月読神が祟りしたという結果が出たので、毎年九月に荒祭(あらまつり)神にならって日本書紀に続く六国史の第二にあたる続日本紀には、光仁天皇の時代に、暴風雨が吹き荒れたのでこれを卜したところ、伊勢の月読神が祟りしたという結果が出たので、毎年九月に荒祭(あらまつり)神にならって'''馬'''を奉るようになったとある<ref>『古代日本の月信仰と再生思想』276頁。</ref><ref group="私注">月読命が馬と関連すると考えられていたのではないだろうか。天候神としての性質もあるとみなされていたようである。</ref>。
=== 『風土記』 ===
==== 山城国風土記 ====
逸文だが「桂里」でも、「月読尊」が天照大神の勅を受けて、豊葦原の中つ国に下り、保食神のもとに至ったとき、湯津桂に寄って立ったという伝説があり、そこから「桂里」という地名が起こったと伝えている。月と逸文だが「桂里」でも、「月読尊」が[[天照大御神|天照大神]]の勅を受けて、豊葦原の中つ国に下り、[[保食神]]のもとに至ったとき、湯津桂に寄って立ったという伝説があり、そこから「桂里」という地名が起こったと伝えている。月と'''桂'''を結びつける伝承はインドから古代中国を経て日本に伝えられたと考えられており<ref>村上健司編著, 村上健司, 日本妖怪大事典, 角川書店, Kwai books, 2005-07, page95, isbn:978-4-04-883926-6</ref>、万葉集にも月人と桂を結びつけた歌がある(「'''[[桂男]]'''」、「[[月読神社 (京都市)]]」参照のこと)。また、日本神話において桂と関わる神は複数おり、例えば古事記からは、天神から[[アメノワカヒコ|天若日子]]のもとに使わされた雉の鳴女や、兄の鉤をなくして海神の宮に至った山幸彦が挙げられる。のもとに使わされた雉の鳴女や、兄の鉤をなくして海神の宮に至った[[山幸彦と海幸彦|山幸彦]]が挙げられる。
==== 出雲国風土記 ====
: 千酌(ちくみ)の驛家(うまや)郡家(こおりのみやけ)の東北のかた一十七里一百八十歩なり。伊佐奈枳命(いざなきのみこと)の御子、「'''都久豆美命'''(つくつみのみこと)」、此處に坐す。然れば則ち、都久豆美と謂ふべきを、今の人猶千酌と號くるのみ。
ただし、都久豆美命は渡津の守護の月神で、古くから千酌を守る土着神だったが、朝廷の支配が強まったため土地の人々が伊佐奈枳の子としたのであり、ツクヨミとは関係ないとする説があるただし、都久豆美命は渡津の守護の月神で、古くから千酌を守る土着神だったが、朝廷の支配が強まったため土地の人々が伊佐奈枳の子としたのであり、月読命とは関係ないとする説がある<ref>武光誠, 出雲王国の正体 - 日本最古の神政国家, PHP研究所, 2013-04, isbn:978-4-569-81218-2, pages29,32 </ref>。
=== 『万葉集』 ===
万葉集の歌の中では、「ツキヨミ」或いは「ツキヨミオトコ(月読壮士)」という表現で現れてくる。これは単なる月の比喩(擬人化)としてのものと、神格としてのものと二種の性格が読みとれる。また「ヲチミヅ([[変若水]])」=ヲツ即ち'''若返りの水の管掌者'''として現れ、「月と不死」の信仰として沖縄における「スデミヅ」との類似性がネフスキーや折口信夫、石田英一郎によって指摘されている<ref group="私注">中国神話では「不老不死の薬」は[[西王母]]の持ち物である。[[嫦娥]]はこれを盗んで月に逃げ、月の女神になった、とされる。はこれを盗んで月に逃げ、月の女神になった、とされる。中国神話では、月の[[月読命不老不死の薬]]の起源の一つは、啓思想1型により、女神を男神に変換したものであることが分かる。は兎が桂の木の葉を杵でついて作る、とされており、「月の不死の桂の木」と月読命との関連姓が示唆される。</ref>。
なお、万葉集の歌には月を擬人化した例として、他に「月人」や「ささらえ壮士」などの表現が見られる。
==== 花喜山城光寺縁起・慈住寺縁起 ====
天照大神が八上行幸の際、行宮にふさわしい地を探したところ、一匹の白兎が現れた。白兎は天照大神の御装束を銜えて、霊石山頂付近の平地、現在の伊勢ヶ平まで案内し、そこで姿を消した。[[天照大御神|天照大神]]が八上行幸の際、行宮にふさわしい地を探したところ、一匹の白兎が現れた。白兎は[[天照大御神|天照大神]]の御装束を銜えて、霊石山頂付近の平地、現在の伊勢ヶ平まで案内し、そこで姿を消した。'''白兎は月読尊のご神体'''で、その後これを道祖白兎大明神と呼び、中山の尾続きの四ケ村の氏神として崇めたという。で、その後これを道祖白兎大明神と呼び、中山の尾続きの四ケ村の氏神として崇めたという<ref>中国神話では玉兎は嫦娥の供、あるいは嫦娥の化身とされており、[[啓思想]]1-2型の変換がみられる。</ref>。
== ツクヨミの表記 ==
== 私的解説 ==
日本の民間伝承における月読命の性質は、中国神話の月の女神[[嫦娥]]の性質を移したものがあるようである。月読命は、中国神話で月にあるという「不死の桂の木」の神格化であり、これは[[羿]]が射落とした太陽が変化したもの、あるいは[[黄帝]]に倒された[[蚩尤]]が変化したもの、と考えられたのではないだろうか。[[蚩尤]]は牛の姿であったとされ、西欧の牛の神で、かつ「倒される神」であるミーノータウロスの父であるミーノース王は、名前からいってエジプト神話の月の神であるミン神と関連があると考える。本来は[[蚩尤]]にも「月の神」としての性質があったのではないだろうか。そうすると、月読命の起源は蚩尤といえ、ギリシア神話におけるミーノータウロスと同じものである、といえることになる。
 
 
日本の現在の祭りでもそうだが、収穫を神に感謝する際には、収穫物の一部を神に捧げて、感謝の意を示すと共に、言外に今後の安寧も願うものであると思う。収穫物の一部を神に捧げて、今後の豊穣も願う、というのはわずかな収穫物を数倍にも倍増する新たな収穫に「'''化生させる'''」神事ともいえ、神に捧げるものを「人」とすれば『「[[人身御供]]」を捧げて収穫物他に化生させる』と変換し得る。現実には生きた人を生きたまま神に捧げても、あるいは殺して捧げても、他の植物や動物に化生することはないのだが、
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