と詠んだ。記紀で最初の歌であることから、我が国最初の和歌ともされる。
また、ここから「[[八雲]]」は[[出雲]]を象徴する言葉ともなった。「八雲立つ」は[[出雲]]に掛かる[[枕詞]]である。また、ここから「八雲」は出雲を象徴する言葉ともなった。「八雲立つ」は出雲に掛かる枕詞である。
[[クシナダヒメ櫛名田比売]]との間に[[八島士奴美神]]が産まれ、その子孫がとの間に八島士奴美神が産まれ、その子孫が[[大国主神]]と解釈されてきた(『[[日本書紀]]』では大已貴命(おおあなむちのみこと)で『[[古事記]]』ではと解釈されてきた(『日本書紀』では大已貴命(おおあなむちのみこと)で『古事記』では[[大国主神]]は彼の6代後の子孫としている)。
また、[[神大市比売]]を娶って[[大年神]]と[[宇迦之御魂神]]を産んでいる。を産んでいる<ref group="私注">稲荷神は秦氏が奉斎した神であり、秦氏との関連が興味深い。</ref>。
『日本書紀』における八岐大蛇の記述がある一書第4では、天から追放されたスサノオは、『日本書紀』における[[新羅八俣遠呂智|八岐大蛇]]のの記述がある一書第4では、天から追放された須佐之男命は、新羅の[[蘇志摩利#そしもり|曽尸茂梨(そしもり)]]に降り、この地吾居ること欲さず「乃興言曰 此地吾不欲居」と言い息子の[[五十猛神]](いそたける)と共に土船で東に渡り出雲国斐伊川上の鳥上の峰へ到った(「遂以埴土作舟 乘之東渡 到出雲國簸川上所在 鳥上之峯」)後、八岐大蛇を退治した。鳥上之峯」)後、[[八俣遠呂智|八岐大蛇]]を退治した。
また続く一書第5では、木がないと子が困るだろうと言い、体毛を抜いて木に変え、種類ごとに用途を定め、息子の五十猛命 また続く一書第5では、木がないと子が困るだろうと言い、体毛を抜いて木に変え、種類ごとに用途を定め、息子の[[五十猛神|五十猛命]] 、娘の[[オオヤツヒメ・ツマツヒメ|大屋津姫命(おおやつひめ)、枛津姫命(つまつひめ)]] に命じて全国に植えさせたという。
[[大国主の神話#根の国訪問|大国主の神話]]において根の国のスサノオの元にやってきた葦原色許男神(あしはらしこを、後の大国主命)は、スサノオの娘である[[スセリビメ|須世理比売]](すせりひめ)と互いに一目惚れするが、スサノオは葦原色許男神に様々な試練を与える。葦原色許男神は須世理比売の助けを得ながらそれらを克服したので、スサノオは葦原色許男神に、須世理比売を妻とすることを認め、[[生大刀]]、生弓矢、天詔琴を譲り、大国主という名を贈った。
== 解説 ==
[[File:Dragon Susanoo no mikoto and the water dragon.jpg|thumb|170px|left|須佐之男命。[[歌川国芳]]作]]
スサノオは多彩な性格を有している<ref name="Y">『[[#八百万の神々|八百万の神々 - 日本の神霊たちのプロフィール]]』p.49,51-54,303</ref>。母の国へ行きたいと言って泣き叫ぶ子供のような一面があるかと思えば、高天原では凶暴な一面を見せる<ref name="Y" />。出雲へ降りると一転して[[ヒーロー|英雄]]的な性格となる<ref name="Y" />。