== 概要 ==
『日本書紀』巻十五の顕宗天皇紀では、遣任那使の阿閉事代に「月神」が憑依し、「我が祖先の[[高御産巣日神|高皇産霊命]]は'''鎔けあっていた天地を創造した'''功績がある。民地を私に奉れ。私が請うままに献上するならば、福慶があるだろう」と宣託をし、阿閉事代は京に帰って天皇に詳しく申し上げると、功績がある。'''民地を私に奉れ。私が請うままに献上するならば、福慶があるだろう'''」と宣託をし、阿閉事代は京に帰って天皇に詳しく申し上げると、'''山城国葛野郡'''の歌荒樔田(うたあらすだ)が月神のために与えられ、壱岐県主の祖の押見宿禰が祭祀を行ったという。「歌荒樔田」は現在、京都市西京区松尾大社の境外摂社の月読神社と考えられる<ref name="#2"/>
これが山背国の月詠神社の由来であり、宣託された壱岐には月詠神社が存在し、山背国の月読神社の元宮と言われている。が、これは現在では橘三喜の誤りで、宣託された本来の式内社月読神社は男岳にあった月読神社とされる。今は遷座され箱崎八幡神社に鎮座している。<ref>『式内社調査報告』山口麻太郎</ref>
* 月読神社(長崎県壱岐市芦辺町国分東触464) - 式内社の論社ではあるが、延宝年間に橘三喜が当社を「『延喜式神名帳』に記された月読神社である」と比定する以前に本当に月神が祀られていたかは不明であり、むしろ月神を祀る社ではなかったとする見方の方が有力である<ref name="#3">芦辺町史編集委員会『芦辺町町史』(芦辺町、1978年)</ref>。
* 箱崎八幡神社(長崎県壱岐市芦辺町箱崎釘の尾触823) - 『延喜式神名帳』に記された月読神社の流れを汲むとされる<ref name="#3"/>。
== 私的注釈 ==
松尾大社は秦氏が関連する神社なので、天月神命も秦氏関連の神と考える。山城国の桂川と合流する綴喜郡の木津川流域には、強固な月神信仰があり、「桂」という地名と結びついている。中国神話には、月に月桂樹が生えており、その葉から不老不死の薬が作られる、という逸話があり、いわゆる「[[玉兎|月の兎]]」は中国では月桂樹の葉から薬をついて作っている、とされている。山城国で月桂樹のことを「桂」という表記に固定されるまでは、日本では「'''カツラ'''」の地名の表記に「'''葛'''」や「'''楓'''」をあてていたとのことである。「'''楓'''」は中国神話では[[黄帝]]に殺された蚩尤が化生したもの、とされているため、秦氏が到来する前から、山城国では楓(蚩尤)を月神とする男性形の月神信仰があり、秦氏の'''天月神命'''はその上に立脚して成立した汎用性の高い「'''祖神ではない'''」月神だったと考える。この信仰が盛んだったために、中国神話で「月の女神」とされた[[嫦娥]]は日本ではその地位を外されてしまい、日本の月の神は男性形とされたのではないだろうか。管理人は、天月神命は、「前(pre)[[月読命]]」というべき神であったと思う。
秦氏は賀茂氏と結びつきの深い氏族であったので、天月神命と[[月読命]]の成立には賀茂氏も関わっていた可能性があるのではないだろうか。
== 関連項目 ==
* [[月読命]]
* [[高皇産霊]]
* [[月読神社 (京都市)]]
== 参考文献 ==
[[Category:月神]]
[[Category:須佐之男型神]]
[[Category:汎用神]]
[[Category:樹木神]]
[[Category:桂]]