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東北地方では『田村三代記』が間接的に地元の伝説や寺社縁起譚として取り入れられた場合があり、一般的に地元の鬼神退治譚もしくは鬼神退治の後日譚(残党の退治譚)といった内容となる<ref>阿部, 2004, pages116-120</ref>。
東北地方の他に伝説や縁起譚を持つ寺社は[[関東地方]]、[[中部地方]]、[[近畿地方]]、[[中国地方]]にまで及ぶ。各地の縁起は田村語りを基本にしつつ、その地方の歴史的、地理的な役割が反映されている{{Sfn|東北地方の他に伝説や縁起譚を持つ寺社は関東地方、中部地方、近畿地方、中国地方にまで及ぶ。各地の縁起は田村語りを基本にしつつ、その地方の歴史的、地理的な役割が反映されている<ref>阿部|, 2004|pages=120, pages120-121}}</ref>
=== 東北地方 ===
==== 青森県 ====
[[青森ねぶた]]は昭和末期までは田村麻呂の蝦夷征伐が起源と言われていた。もちろん史実の上では現在の盛岡市までしか北上していないことになっているが、青森市内には蝦夷征伐が行われたこと伝える史跡が複数残っており、いずれかの人物が来た可能性は高い。[[文室綿麻呂]]は811年に蝦夷大征伐を行っておりその大半が田村麻呂没後である。この前年、[[薬子の変]]にあたり誤認逮捕されていた綿麻呂が田村麻呂によって解放されたことから、綿麻呂自身がみずからの戦功を田村麻呂に捧げたとも考えることができる{{要出典|date=2016年1月}}青森ねぶたは昭和末期までは田村麻呂の蝦夷征伐が起源と言われていた。もちろん史実の上では現在の盛岡市までしか北上していないことになっているが、青森市内には蝦夷征伐が行われたこと伝える史跡が複数残っており、いずれかの人物が来た可能性は高い。文室綿麻呂は811年に蝦夷大征伐を行っておりその大半が田村麻呂没後である。この前年、薬子の変にあたり誤認逮捕されていた綿麻呂が田村麻呂によって解放されたことから、綿麻呂自身がみずからの戦功を田村麻呂に捧げたとも考えることができる<sup>''(要出典, 2016年1月)''</sup>
==== 岩手県 ====
{{See also|大武丸}}
[[気仙郡]]の猪川観音([[長谷寺 (大船渡市)|長谷寺]])、小友観音([[常膳寺]])、矢作観音([[観音寺 (陸前高田市)|観音寺]])の[[気仙三観音]]の勧進由来では、大嶽丸の残党と目される三鬼の残党の退治譚が記される{{Sfn|阿部|2004|pages=116-120}}。

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