差分

ナビゲーションに移動 検索に移動
358 バイト追加 、 2022年9月26日 (月) 21:20
編集の要約なし
それから数日経ち、とうとうこの父鬼がやってきた。父鬼が部屋に来る気配を感じると、天稚彦は咄嗟に術を使って、娘を脇息に変えてしまった。おかげで父鬼は娘の存在には気付かなかったが、「人の香がする」と言って去って行った。それからも度々来るようになったので、その度に天稚彦は娘を扇子に変えたり、枕に変えたりして誤魔化していたが、ある日うっかり昼寝をしていて娘を見つけられてしまう。
父鬼は娘に、百足の蔵で一晩過ごすように、などと難問をつきつける。しかし娘が天稚彦から譲り受けた袖を「天稚彦の袖」と言いながら振ると、百足は刺すことをしない。そこで父鬼は次々と難問を出すが、それも娘は天稚彦の袖を使って突破する。父鬼はとうとう娘を認めて「月に一度だけなら会ってもよい」と告げるのだが、娘は「年に一度」と聞き間違えてしまう。そこで父鬼が「それでは年に一度だ」と、瓜を地面に打ち付けると、[[天の川]]となった。こうして、娘と天稚彦は年に一度、[[7月7日]]の晩だけ逢瀬を楽しむことができるようになった。父鬼は娘に、百足の蔵で一晩過ごすように、などと難問をつきつける。しかし娘が天稚彦から譲り受けた袖を「天稚彦の袖」と言いながら振ると、百足は刺すことをしない。そこで父鬼は次々と難問を出すが、それも娘は天稚彦の袖を使って突破する。父鬼はとうとう娘を認めて「月に一度だけなら会ってもよい」と告げるのだが、娘は「年に一度」と聞き間違えてしまう。そこで父鬼が「それでは年に一度だ」と、瓜を地面に打ち付けると、天の川となった。こうして、娘と天稚彦は年に一度、7月7日の晩だけ逢瀬を楽しむことができるようになった。
==変身譚として==
====蛇⇒美男子====
天稚彦は初めは恐ろしい蛇の姿で登場するが、長者の末娘が蛇の頭を切ることで美男子の姿に変身する。
<!--古事記の[[ヤマタノオロチ八俣遠呂智]]のように、異形の存在に若い娘が嫁として、あるいは生贄として捧げられるエピソードは他の作品でも見られるが、最終的に異形の存在は退治されてしまう展開が大半で、上記のヤマタノオロチもその例の一つである。のように、異形の存在に若い娘が嫁として、あるいは生贄として捧げられるエピソードは他の作品でも見られるが、最終的に異形の存在は退治されてしまう展開が大半で、上記の[[八俣遠呂智]]もその例の一つである。
しかし天稚彦草子の場合は異形であった存在が人の姿となって、捧げられた娘と結ばれて次の場面へと続いてゆくという、一風変わった展開を見せている。
「蛇の頭を切れ」というのは、娘の結婚への決断を迫るものであり、娘が決断をし蛇の頭を切った結果、幸せがもたらされるのである<ref>天稚彦物語と女性の心の発達 253頁-254頁(大阪教育大学保健管理センター)</ref>。
===娘の変身== 私的解説 =====長者の末娘は普通の人間だが、天稚彦に術をかけられることで様々な道具に変身させられる。作中で描写されている限り、娘が変身する物体はすべて社会的な身分関係では、神である天稚彦の方が、人間である'''長者の末娘'''よりも高いといえる。これは[[無生物プシューケー|クピードーとプシューケー]]である。 に似た構造である。天稚彦草子では、女主人公が主人公の「'''首を切る'''」と主人公が蛇から人へ変化する。これはかつては女主人公が'''格の高い女神'''であって「'''死と再生'''」を司り、生贄に捧げられた男性(夫)の命を奪うし、別のものに化生させる、という思想の名残であると思う。日本ではこのような女神を九頭竜とか御社宮司神と言ったのではないか、と個人的には考える。いわゆる[[古事記女媧型女神]]の[[ヤマタノオロチ]]の説話においても[[スサノオ]]によって生贄の少女である。[[クシナダヒメプシューケー|クピードーとプシューケー]]が櫛に変身させられる場面があり、ヒロインを別の物体に変えて隠すという同様のモチーフが見られる<ref><天稚彦草子>の二系統の本文の展開とその性格 249(42)頁(都留文科大学研究紀要)</ref>。と比べれば、天稚彦草子の方が、女主人公に、このような「かつての格の高い女神」の姿が残されているように思う。
====娘(人間)⇒脇息====

案内メニュー