アメノヒボコの名はないが関連伝承として、『摂津国風土記』逸文(『萬葉集註釈』所引)によると、応神天皇の時に新羅国の女神が夫のもとを逃れ、筑紫国の「伊波比乃比売島」に住んだ(豊後国ながら大分県の姫島か<ref group="注">姫島には、この伝承に関連して比売語曽神社が鎮座する(大分県東国東郡姫島村)。</ref><ref>『新編日本古典文学全集 5 風土記』小学館、2003年(ジャパンナレッジ版)、p. 425。</ref>)。しかしこの島はまだ新羅から遠くないため男がやって来るだろうと、さらに摂津国の比売島松原に移った。そしてその地名「比売島」は元の島の名を取ったことに由来する、という<ref name="谷川1999">谷川健一 『日本の神々(岩波新書618)』岩波書店、1999年、pp. 180-186。</ref>。
また『豊前国風土記』逸文(『宇佐宮託宣集』所引)では、新羅国の神がやって来て田河郡鹿春郷の付近に住み「鹿春の神(かはるのかみ/かわらのかみ)」と称されたとする伝承を記す<ref name="谷川1999"/>([[福岡県]]田川郡[[香春町]]の[[香春神社]]に比定)。(福岡県田川郡香春町の香春神社に比定)。
=== 古語拾遺 ===
[[大同 (日本)|大同]]2年([[807年]])編纂の『[[古語拾遺]]』では垂仁天皇条において、新羅王子の海檜槍(あまのひぼこ)が渡来し、但馬国出石郡に大社(出石神社)をなしたとする{{Sfn|807年)編纂の『古語拾遺』では垂仁天皇条において、新羅王子の海檜槍(あまのひぼこ)が渡来し、但馬国出石郡に大社(出石神社)をなしたとする<ref>天日槍(古代氏族)|, 2010年}}{{Sfn|</ref><ef>神道・神社史料集成}}</ref>。
== 霊廟 ==
アメノヒボコに関わる神社としては、[[但馬国]][[一宮]]のアメノヒボコに関わる神社としては、但馬国一宮の'''[[出石神社]]'''([[兵庫県]][[豊岡市]]出石町宮内)が知られる。この神社は『[[延喜式]]』[[延喜式神名帳|神名帳]]では但馬国[[出石郡]]の[[名神大社]]として「伊豆志坐神社八座」と記載されるが、これは『古事記』の「伊豆志之八前大神」とも一致することから、『古事記』編纂の[[8世紀]]初頭に遡る頃から8柱の神々が祀られていたと見られる{{Sfn|(兵庫県豊岡市出石町宮内)が知られる。この神社は『延喜式』神名帳では但馬国出石郡の名神大社として「伊豆志坐神社八座」と記載されるが、これは『古事記』の「伊豆志之八前大神」とも一致することから、『古事記』編纂の8世紀初頭に遡る頃から8柱の神々が祀られていたと見られる<ref>上田正昭|, 2013年|pp=227, pp227-240}}</ref>。現在では、アメノヒボコが将来した八種神宝の神霊が「伊豆志八前大神」として祀られるとともに、アメノヒボコの神霊が併せ祀られている{{Sfn|<ref>出石神社(平凡社)|, 1999年}}</ref>。この出石神社の創祀は、社伝を別とすると、実際にはアメノヒボコを奉じる朝鮮系渡来人の一族がその将来した宝物を祀ったことによると推測される{{Sfn|<ref>出石神社(国史)}}。但馬地方では、出石神社のほかにも関係社数社の分布が知られる(「[[#信仰|信仰]]」節参照)。</ref>。但馬地方では、出石神社のほかにも関係社数社の分布が知られる。
== 後裔氏族 ==