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比叡山延暦寺の僧の著書とされる神道理論書『耀天記(ようてんき)』によれば、漢字の発明者とされる古代中国の伝説上の人物・蒼頡が神の出現前に、'''釈迦が日本の日吉に神として現れ、サルの形を借りて吉凶を示す'''と知り、「申(さる)に示す」と意味で漢字の「神」を発明したことや、蒼頡は実は釈迦の前世であり、釈迦が日吉に祀られてまもなく、サルたちが日吉大社に集まったことが記述されている。この話は創作だが、仏教が日本に伝来するにあたり、それ以前から日本で信仰されていた日吉神など日本古来の神の信仰を繋ぎ合わせるものとして興味深いものと見る向きもあり、サルが日吉神の使者とされた由来の一つと考えられている<ref name="中村">中村, 1989, pp45-61</ref><ref group="私注">延暦寺では猿が単なる神の使いというのみならず、「'''釈迦の生まれ変わり'''」だ、と考えられてたことが分かる。</ref>。
また日本最古の説話集『[[日本現報善悪霊異記]]』には、[[近江国]][[野洲郡]](現・[[滋賀県]][[野洲市]])=== 近江の猿神信仰 ===で[[三上山]]の僧のもとにサルが現れて、「自分はインドの王だったが生前の罪でサルに生まれ変わり、この神社の神となった」と語る話があり、野洲郡が[[琵琶湖]]を挟んで日吉大社の反対岸にあることから、8世紀から9世紀頃には琵琶湖南岸一体でサルの信仰が広まっており、[[中世#日本|中世]]に入ってサルを神の使いと見なす考えに繋がったものと見られる日本最古の説話集『日本現報善悪霊異記』には、近江国野洲郡(現・滋賀県野洲市)で三上山の僧のもとにサルが現れて、「自分はインドの王だったが生前の罪でサルに生まれ変わり、この神社の神となった」と語る話があり、野洲郡が琵琶湖を挟んで日吉大社の反対岸にあることから、8世紀から9世紀頃には琵琶湖南岸一体でサルの信仰が広まっており、中世に入ってサルを神の使いと見なす考えに繋がったものと見られる<ref name="中村" /><ref group="私注">近江における猿神信仰は仏教の輪廻転生観と結びつき、「'''人が猿に生まれ変わった'''」ことが信仰の原因ともされているようである。</ref>。
猿神には[['''太陽神]]'''としての側面もあるが、「日吉」の表記が太陽に通じ、サルが日の出とともに騒ぎ出す性質があるために、サルと太陽が関連づけられたとする説が唱えられ<ref name="中村" />、サルに太陽を抑える役目が与えられたものといわれる<ref>{{Cite book|和書|author=多田克己|authorlink=, 多田克己|title=, 幻想世界の住人たち|volume=IV|year=, volumeIV, 1990|publisher=[[, 新紀元社]]|series=[[, Truth In Fantasy]]|, isbn=:978-4-915146-44-2|page=83}}, page83</ref>。しかし人々の多くが農耕生活から離れ、日の出と日の入りを生活基盤とする習慣も少なくなるにつれ、太陽神としての猿神の性格は薄れていったようである<ref name="中村" /><ref group="私注">この説は個人的には賛成しかねる。</ref>。
中世から[[近世#日本|近世]]にかけて流行した[[山王信仰]]においてもサルは神の使いとしての役割を担っており<ref name="篠原他">{{Harvnb|篠原他|1986|p=712}}</ref>、[[山の神]]としても尊ばれた<ref name="小谷町">{{Harvnb|小谷町他|1999|p=292}}</ref>。このように天界と地上を媒介する猿神の性質は、外部からの侵入を排除して村内を守る[[:Category:路傍の神仏|村落の神仏]]の信仰、特に[[庚申信仰]]、[[岐の神|塞の神]]、[[地蔵菩薩#日本における地蔵信仰|地蔵信仰]]とも結びついた<ref name="篠原他" />。中でも庚申信仰では庚申待の習俗が始まって以降、「申」がサルに通じることから、[[庚申塔]]に「見ざる、聞かざる、言わざる」の[[三猿]]が掘られることが広く行われるようになった<ref name="篠原他" /><ref name="小谷町" />。

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