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306 バイト追加 、 2022年9月1日 (木) 23:47
1667年に徳川光圀の命で刊行された『東国通鑑』の和刻版の序文で林鵞峰は、檀君を朝鮮の祖としながらも、素戔烏尊を三韓の一祖として、日本と朝鮮を同一視する<ref name="北山祥子117"/>。これによって江戸時代には、檀君=素戔烏尊という主張が多くみられる<ref name="北山祥子117">北山祥子, 2021, p117</ref><ref group="私注">「同一視」ではなく、比較神話の観点から見れば、天から地上に降りた須佐之男に相当するのは檀君の父親の桓雄であると思う。</ref>。
落合直澄は、「五十猛神ト檀君トハ同神ニシテ素盞鳴神ノ御子ナル」と述べており、檀君を素盞嗚神の息子である五十猛神と主張している。1667年に刊行された和刻版『東国通鑑』に、林鵞峰が書いた序文「鴻荒の世に在りて、檀君、其の国を開く…我が国史を言えば、これ則ち韓郷の島新羅の国また是れ素戔烏尊の経歴する所なり。尊の雄偉、朴赫・朱蒙・温祚が企て及ぶ可きに非るときは、則ち推め三韓のこれ一祖と為せんもまた、誣しいたりとか為せざらんか」とあることから、落合直澄の「檀君=素盞鳴神の息子五十猛神」という主張は、林鵞峰の「素盞鳴神=三韓の一祖」から導き出したとみられる<ref name="北山祥子77-78"/>。落合直澄は、江戸時代の史書『日本春秋』において、朝鮮では「伊檀君曽(いたきそ)」が檀君を指し、檀君の別称が「新羅明神」「日韓神」としていることを根拠に、檀君を「太祈(たき)」と称し、五十猛神の別称が「伊太祈曽」「韓神曽保利」であることから、檀君と五十猛神は同一神であると主張した<ref name="北山祥子77-78">北山祥子, 2021, p77-78</ref><ref group="私注">興味深い説ではある。ただし、五十猛神は木地師といった職能の神といえ、王権の神、とは性質が異なると考える。また、檀君神話では檀君の母親が熊女である点が明確だが、五十猛神は明確でない。須佐之男を中心とした神話に類話を求めるのであれば、母方の系譜が明確で、かつ王権とも結びついている興味深い説ではある。ただし、五十猛神は木地師といった職能の神といえ、王権の神、とは性質が異なると考える。また、檀君神話では檀君の母親が熊女である点が明確だが、五十猛神は母方の系譜が明確でない。須佐之男を中心とした神話に類話を求めるのであれば、母方の系譜が明確で、かつ王権とも結びついている'''ニニギ'''が朝鮮における檀君と同じ性質なものといえると思う。ただ、名前の類似姓があるのであれば、起源的に檀君と五十猛神は同じ神である可能性もあると思う。が朝鮮における檀君と同じ性質なものといえると思う。ただ、名前の類似姓があるのであれば、起源的に檀君と五十猛神は同じ神である可能性はあると思う。須佐之男の子神のうち、「天から地上に降りた神」が存在し、それがニニギ、ニギハヤヒ、五十猛神等に日本の国で細かく分けられたのであれば、いずれも元は檀君と同じ神である、といえるのではないだろうか。</ref>。
[[林泰輔]]は、「其説荒唐ニシテ、遽ニ信ズベカラズ…或人曰ク…五十猛神、一名ヲ韓神ト云ヒタレバ、事實大略符號セリ、亦牽強ニ近シ」と述べており、朝鮮に興った最初国家は[[箕子朝鮮]]であり、[[朝鮮の歴史]]は、朝鮮に[[亡命]]した[[箕子]]に始まり、[[衛満]]と[[漢四郡]]の中国人国家、続く[[新羅]]・[[高句麗]]・[[百済]]、[[高麗]]、[[李氏朝鮮]]と列記している<ref name="北山祥子79-82"/>。また朝鮮の[[政体]]が、[[皇帝|帝]]や[[崩御|崩]]や[[陛下]]を使用しないことで[[中国]]に対して「王国ノ礼」をとり、[[元号|年号]]も中国のものを踏襲しており、朝鮮は「真の[[独立|独立国]]」とはいえないと指摘、檀君を「荒唐無稽な説」「にわかに信ずるべきではない」とし、[[落合直澄]]が主張する「五十猛神=檀君」を「道理に合わないことを無理にこじつけているのに近い」と否定した<ref name="北山祥子79-82">{{Harvnb|北山祥子|2021|p=79-82}}</ref>。

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