一方、死せるハイヌウェレはアメタあるいはトゥワレと接触することでイモ(月)に変化する。アメタとトゥワレはこのように性質の一部が一致する。アメタとトゥワレで共通する点は、特にアメタを指して「<span style="color:red">'''上位鬼神トゥワレ'''</span>」と呼ぶこととする。「鬼」(キ) という漢字の原義は「死者の魂」であるので、本件での場合の「'''鬼神'''」とは「'''死んでいる神'''」のことを指す。日本語で「死神」と書くと、「死んでいる神」というよりは「他者を死なせる神」という意味になるため、「鬼神」とする。なぜ、アメタとトゥワレの共通点を指して「鬼神」とするかといえば、それはトゥワレ(とアメタ)の性質等による。ハイヌウェレが殺され、埋められる踊りは「'''夜'''」に行われる。とすれば乙女が地面の下に埋められるのは「'''夜'''」ということになる。トゥワレは太陽神であるが、夜は'''地面の下に沈んでいる'''。だから、夜であればトゥワレは地面の下から乙女を地中、すなわち'''自分の居場所'''に引きずり込むことが可能なのである。古代エジプト神話のように、太陽は夜間はいったん死んで、地面の下の黄泉の国を旅している、という考えもある。ヴェマーレ族の物語からのみでは、夜間の太陽が生きているものなのか、死せるものなのかははっきりしないが、昼間の太陽とは異なる、という点からも、夜間の太陽は「'''鬼神'''」とすることが妥当なように感じる。日本風にいえば、昼の太陽は「和魂」であるのだが、夜の太陽は「荒魂」となる、といえる。また、このように考えると、物語の中でははっきりとは語られないが、何故アメタが「<span style="color:orange">'''下位トゥワレ'''</span>」として祭りに参加しないのかが推察できるのではないだろうか。「<span style="color:red">'''上位鬼神トゥワレ'''</span>」であるアメタは、夜間は地面の下にいるので、人の祭りには参加できないのである。
ハイヌウェレの物語のうち、第一段階の<span style="color:brown">'''アメタが狩ることで豚からココヤシが発生する物語'''</span>では、アメタは<span style="color:red">'''狩人'''</span>であり、豚を手に入れることのできる<span style="color:red">'''獣の王'''</span>であり、獲物を祖神であるムルア・サテネに捧げて獲物以外の豊穣(ココヤシ)を得る<span style="color:red">'''シャーマン'''</span>でもある。この段階でのアメタは、人々の中でも、特に神の世界に近い存在、といえるかもしれないが、独立して「神」とする要素までが強いとは言えないように思う。日本人であれば、例えば新嘗祭のように、収穫の一部を神に捧げて、感謝の気持ちを示すと共に、その代わりに人々の安泰やその後の豊穣を願う、という考え方は理解しやすいのではないだろうか。その他にも、神に瓜類を捧げて雨乞いをする、等がある。捧げるものが動物であれば動物の命は失われるかもしれないが、例えば豚は食物でもあるのだから、特に家畜の場合は、いずれその生命は人間のために消費される運命であるので、動物を生贄にしても非日常な「命の消費」とまでは言えない、と考える。神に瓜を捧げるのも、豚を捧げるのも、意味としては同じで、「食料を捧げて見返りを求める」のである。